英語での報告はこちらでお読みいただけます。For my pianovan report in English, please go to this page.
「Dr.ピアニスト」として、私は以前から音楽の治癒効果が本当に必要な人達が演奏会場に行きにくいという現実を解決したいと思っていました。交通事情や経済的事情、身体の不自由、疲労、多忙などの理由で外出が困難な方々。幼児・高齢者・心身障碍者など、保護や介護が必要な家族と同居している方々。生演奏に癒しを求めるという経験や習慣のない方々。今回はピアノバンを趣味のために所有している方のご厚意で借り受け、試験的にサンフランシスコ界隈で多様な地域で演奏と簡単なトークをお届けしました。その5日間の大冒険のリポートをまとめて発表します。
今回のピアノバン大冒険の目的のまとめ
- 生活困窮者(貧困層・社会的弱者(移民・トラウマを持つ人、心身の健康に支障がある人、など)・多忙者などに音楽の治癒効果を体感・理解していただく。
- 私自身がこういう方々との音楽交流を通じ、ニーズをより良く理解し、どうしたら自分の専門性でより効果的に力になって差し上げられるか考察する。
- 社会・経済格差を越えて生演奏へのアクセスを平等化するという可能性を探る。
- ピアノバンで奏者が地域に生演奏をお届けすれば、演奏会場に聴衆が集まるよりもエコ。地域経済の活性化や地域の結束にもつながる。
ピアノ大冒険に至るまで:ピアノバンとの出会いと企画のきっかけ
ピアノバンとの初対面は9月上旬。ある協議会でピアノ愛好家のオーナーとそのピアノバンに出会いました。「これがあれば音楽の治癒効果を一番必要としている人たち、生演奏に手が届かない人たちに、演奏を届けて差し上げられる!」私が興奮してまくしたてたら、オーナーが「いつでも貸してあげるよ。やってみなよ。」と言ってくれたのです。(この勢いがあるうちに…)(野外コンサートには寒くなりすぎる前に…)(ホリデーシーズンでイベント目白押しになる前に…)と、11月の3週目、感謝祭の前の週に急遽企画したのが今回の一週間の行程です。
計画を始める:約40~50のNPO代表とお話しをする。
「ピアノバンが在れば音楽の治癒効果を沢山の人に届けられる!」と胸を熱くして、ピアノバンのオーナーが居住するサンフランシスコ界隈の知り合いの紹介で、様々なNPOに働きかけ始めました。数えきれないほどの団体・人々が熱意を持って色々な方法で社会の弱者たちの為に大奮闘しているのだ、という事が分かっただけでも勉強になりました。そういう人たちに、私の音楽の治癒効果に対する信念と、それを広報する活動、そしてピアノバンに託す想いを聞いて頂けただけでも、もうピアノバンの意義はあった!と思いました。
中々イベントの確約まで漕ぎつけられない。
問題は二つありました。一つは、音楽の治癒効果に関する研究結果や統計を示せても、私自身がピアノバンで具体的に何を提供できるのかという事を中々明確にできなかったことです。もう一つは、弱者を救うためのNPOやそこで働く人たちが、コロナ禍で疲弊しきっていたことでした。今回は特に準備期間が短かったこともあり、広報や会場の確保などの余分な仕事をする人や時間がない、という現状を打ち明けられることが多かったのです。「素晴らしい企画をどうもありがとう!是非やりましょう!」最初のメールやズーム会議では物凄く前向きなお返事をもらって勇気づけられても、急にメールの返信が全く来なくなってしまう、という人も何人かいました。ズーム会合の約束を取り付けても、10分前にドタキャンされてそのままになったり、キャンセルの連絡もなく待ちぼうけを食らった事もありました。他の演奏旅行などをこなしながら、こういう企画を進めていたので、私のスケジュールと先方のスケジュールが噛み合わず、どうしてもズーム会議に漕ぎつけられなかったNPOもありました。
月曜日から金曜日まで5日間サンフランシスコに滞在する予定で働きかけ始めたのに、確約を取れたイベントが火曜日と木曜日に一つずつだけ、という状態が何週間も続きました。(これはこれで一つの学びだ。2つだけでもイベントがあるのなら行こう!後は公園や大通りで弾いてもよい!)と腹をくくっていましたが、正直不安でした。(今回は自分のお勉強と修行!)と赤字は覚悟していましたが、(無駄な投資か?)(自己満足か?)と自問自答にさいなまされました。
ピアノバンに関するSNS投稿の反響にびっくり!急にご招待が続々!!
そういう状態でピアノバンに関するSNS投稿をするのはためらいもあったのです。でも私は同僚や後輩の音楽家にもっと積極的に社会的に関連性のある音楽創りの提案をしたい、という気持ちもあったので思い切って公開しました。Facebookやインスタグラムにポストをしたほか、ブログで、なぜ私がピアノバンで音楽の治癒効果を届けることに意義と将来性を感じるのか綴りました。出発10日前でした。そしたら10年以上前の学友や、ついこの間ちょっと初対面した知り合いまで、皆が物凄く応援してくれたのです。
「家に泊まってください!大学に行っている娘の部屋が空いています!」「最近サンフランシスコに越して来たの。出来ることは何でも言って!」「知り合いが行政で働いています。色々な団体にご紹介できると思う。どういうイベントがしたいのか、詳しく教えてくれたら企画のお手伝いをします!」「ご飯しましょう!」「私自身はサンフランシスコ在住ではないけれど、友人に広報するからイベント詳しい日時と場所をHPに載せて!」
更に私の知らないところで沢山のメールが私のピアノバンを宣伝してくれていたようです。「彼女を支援する方法は3つあります。①イベントへの出席。②イベントの広報。③活動支援金の寄付。」こんなメールが出回っているのを知った時は思わず笑ってしまいました。そして正直に、心の底から嬉しかった。勇気100倍に成りました。私のやろうとしている事が、他の人の共感と賛同を得ている!
結局出発前にはイベントが2つ加わり、そしてサンフランシスコに着いてから更にもう2つイベントが決まり、計6つ!最終的にはお話しを全てお受けできずお断りするご招待もでてしまい、嬉しい悲鳴を上げました。
ピアノバン詳細①:バンその物について
ー大きさ: 長さ6メートル弱、高さ3.35メートル強(天上の低い地下駐車場などには高すぎる)。幅は大型乗用車と同じ。
ー重さ: 見積もり約6トン(バンその物の重さ以外にピアノ・水タンク・ソーラーパネルなど荷重。)
ーすごい馬力とサスペンションなので運転は意外とスムーズかつ簡単。タイヤ―は特注?加速・減速など高速でも問題なし。上下の揺れも少なくピアノの調律の懸念も最小限。また小回りも効き、かなりの小道も大丈夫。バックミラーは長いバンでは随分な違和感。後進は難しい。縦列駐車はオーナーでも一人では無理と言っていた。
ピアノヴァン詳細②:ピアノについて
- ヤマハのアップライト:調律が狂うのはある程度はしょうがないのですが、思ったよりも安定していてアクションも均整がとれており、楽器へのこだわりが強い私でも十分楽しんで弾くことができました。
- オーナーの工夫で、下にスピーカーが内蔵されており、更にサイレント・ピアノのファンクションもついていました。調律の狂いが許容範囲を超えた場合はサンプルの音で練習を続けるためのデザインでしたが、お蔭で私はこの音をアンプに繋げてバンの外に聴こえる様にすることができました。これにより、それぞれの会場に合わせた音量のコントロールもできたので良かったです。
- 元々公開演奏の為ではなく、オーナーの個人練習の為のピアノバンだったので、ピアニストが外に背中を向ける格好となったのが私の用途にはネガティブ要素となりました。これに対処するアイディアがいくつか出ています。
- 鏡をピアノの上に配置し、奏者が聴衆を観れるようにする
- 演奏中のピアニストを映写しその画像を同時進行で壁に映写する
プレキシガラスでピアノの中が見える ピアノの中から光る
ゴールデンゲートブリッジ サンフランシスコの街並み
サンフランシスコでいざ、ピアノバンで廻る!
最終的にイベントの行程はこうなりました。一週間のピアノバンイベントを6分強のビデオにまとめました。ご覧ください。
- 16日(火) イベントその①:オークランドのドライバー公園でセルフ・ヘルプ・ハンガー主催の音楽交流
- 2009年に始まったセルフ・ヘルプ・ハンガーは地域の生活困窮者たちに・法律相談・健康相談を定期的に無償提供する。
- 地域の富裕化現象・白人化により昔からの居住者(主に有色人種)が立ち退く羽目になり、経済層・人種の対立が問題化。
- 創始者・主催者のフランシス叔母さんに「この人たちがこんなに静かに座っているのを見た事がない」と言われる。
- 私の演奏中、地域の人たちが足を停め同じベンチでホームレスの人たちの隣に座ったりした。
セルフヘルプハンガー まさに音楽交流! 温かく迎えてくれて嬉しかった
- 17日(水)
- 10時半〜1時:イベント②バークレーのカレッジアヴェニューの友人の店先で演奏。近所で哲学を教えている友人が同僚の音楽愛好家を引き連れて応援に駆けつけてくれたり、近所のオークランドの友人夫婦がほかほかのお昼を差し入れに持ってきてくれたりしました。
- 2時〜2時半:サンフランシスコのとある芸術センターの館長のご招待でピアノバンの趣旨の説明に上がりました。
- 4時〜5時半:イベント③フレモントの公共図書館の駐車場でDV被害者支援の「SAVE-dv」というDV被害者支援のNPO主催で演奏とトークをしました。
- 7時半~8時:イベント④オークランドの住宅街で満月の下で地域の人々に「月の光」や「月光」などを演奏しました。
誘いかけたり... ピアノでデモンストレーションしたり... ほらね?...
- 18日(木)
- 4時~5時 イベント⑤ カリフォルニア美術大学
- 特にコロナ禍に入学した不安症などを訴える生徒が多い下級生に向けた企画。
- 6時~6時半 イベント⑥ ストリートサッカーUSA
- サッカーを通じて困窮家庭出身者たちにチームワークや自信を培うNPO
- 4時~5時 イベント⑤ カリフォルニア美術大学
大学生に語りかけます。 将来を担う若者たち、聞いてくれ! サッカー少年たちにも語りかけます。
一週間を通じて行ったピアノバン大冒険は平均して予想を上回る成功だったと言って良いと思います。イベント終了後、突き動かされるように身の上話を始め、私をハグして泣きだした女性がいました。お母さんに連れてこられた5歳の女の子は私がいくら話しかけても返事をしてくれなかったのですが、目を大きく見開いてみじろぎもせずにピアノに聞き入り、そしてお母さんの首に抱きついて感想や質問を内緒話ししていました。アルバイトに向う途中たまたま私のピアノバンでの演奏を目にした高校生の男の子は、一曲弾き終えた私に色々質問をしてきて「こんな思いがけない出会いがあるなんて人生はなんて素敵なんだ!バイトに時間通りに到着するよりも大事なことがあるって思い出した!」と、頬を赤くして興奮して宣言してくれました。
街中の路上ですから、演奏中にごみ収集のトラックが来たり、赤ちゃんが泣き喚いたり、携帯が鳴り響いたりと、音環境は良くはなかったのです。でも不思議に思うほど数多くの人に「騒音公害とあなたの音楽のコントラストが、逆に奇妙な落ち着きをもたらした」「騒音の中にオアシスが出来た」といった意味のコメントをそれぞれ違った言い回しでいただきました。
カリフォルニア美術大学でのイベントは夕方4時からでした。サンフランシスコの11月は日中は暖かいのですが、暗くなると冷え込みます。この日はあいにく曇り空。そして垂れこめた雲の向こうの太陽が沈んで夕暮れる中、冷たい小雨も降ってきました。でも何十人も集まった生徒たちは、半数は冷たいコンクリートにべったりと腰をおろして活発に質問やコメントをしたり、私のちょっとしたジョークに大笑いしてくれたり、本当に打てば響くように熱心に一体となって参加してくれました。コロナ禍での将来の不安もあり、精神不安の症状を訴えたり、消極性や反抗的な態度が問題化されている今の大学生。今回のイベントを企画して下さった大学側からも「あなたはまさに彼らが必要としている物を提供してくれた。また来てください!」と手放しの感謝をされました。胸が熱くなりました。
将来に向けて改善するための学び
- 私は一過性の娯楽や現実逃避を提供したいのではなく、長期的に役立つ考え方や感じ方やツールとしての音楽の起用法のきっかけを提供したいと思っています。
- それが成し遂げられたかどうか確かめるためにも、もう一度半年後位に同じような企画を同じ主催者さんたちとやって、今回来てくださった方々にメッセージが附着・浸透しているか確かめたい。
- 音楽の治癒効果の趣旨や教訓などを簡潔にまとめたチラシ・ハガキ・磁石・Tシャツなど、思い出と記憶補強の為に差し上げられるものを作りたい。
- 通りすがりで興味があっても足を停められない方々にも配りたい。
- お客さんの呼び込みや、通りすがりの人が後からオンラインで検索できるように、看板の様なものを作りピアノバンの前後左右に置きたい。
- 多額の寄付をして下さる方に税金控除が適応されるように、NPOのスポンサーを探す。
- 公共や大手NPOの資金援助に応募したり、企業スポンサーを見つけたりして、もっと大きく物事を展開できるようにする。
- ピアノバンを自分で所有するか、ピアノバンは「Dr.ピアニスト」として音楽の治癒効果を謳う活動に必須かじっくり検討する。
- ピアニスト有志を集めてピアノバンを共有するという案が出ている。この是非も検討していく。
ピアノバン大冒険を経て得た気づき
- 私は生活困窮者の為に音楽の治癒効果を提供するためには、自分を犠牲にする必要があると思っていた。例えば、犯罪率の高い所に出向くとか、清潔で無い場所や人も厭わないとか、自分の本意でない音楽でも人の為に弾くとか、自分が経済的に損をしても良い、とか。でもそれはおごりだったと気が付いた。私は自分のまごころを届けるためには、自分本意の音楽しか弾けない。そして自己犠牲は、長期的には我がまま。本当に人の役に立とうと思ったら腰を据えて学びながら長い時間をかけて試行錯誤しながらやらないと無駄。その為にはある程度保身も必要。ニーズはそこら中にある。富裕層にもある。一番の危険地帯とか、悲惨状況に行かなければというのは、ナルシシズム。
- 貧困層を本当に助けようと思ったら、貧困層だけを相手にしていたらダメだ。ピアニストとしての特権は富裕層にも貧困層にもアクセスがある事にある。富裕層と貧困層に共感と共存の為の橋渡しをしたり、富裕層に余っている資産を貧困層に流したりできる。
- 特権的教育を受けた人と受けてない人の間にも、富裕層と貧困層のに似た溝がある。でも既成教育の固定観念からできる盲点や不自由があるというハンデの認識を広め、世界観や「常識」の多様性を謳う事で、この溝をも埋められるはず。音楽はこの溝をも橋渡しできると思う。その為にはまず私自身が特権的教育を受けた人間で盲点や不自由を持っていると自覚しなければいけない。
- 私は貧困層とか困窮者こそが音楽の治癒効果を一番必要としていると思って、ピアノバンをそういう人たちのいそうな地域に運転して行きました。彼らは確かに喜んでくれた。でも、もっともっと大きな共感と賛同をしてくれたのは、一般的には貧困層や困窮者に入らない人達、教育と平均以上の収入がある人たちだった。この人たちは社会経済格差・人種問題・意見の対立化・環境問題などと言った社会問題を把握しながら、どう行動をすれば良いのか考えあぐねている。ピアノバンは一つの橋渡しの在り方を象徴的に提唱したからこんなに賛同を得たのではないのか。ピアノバンは政治や対立を超越しているので、他の人の意見を気にせず支援しやすい。
ピアノバンは私のリンゴ箱!その上に立って「自由・平等・同胞愛」を謳う!!
「リンゴ箱」とかけて「青年革命家」と読むのって私だけですか?フランス革命の青年革命家ってみんなリンゴ箱に立ってませんでしたか?
兎に角、私はピアノバンに乗って演奏したりトークしたりしながら、何だか革命を呼びかけている気持ちでした。別に社会構造を覆そうとか反権威主義とか物騒なことを言うつもりはない。五感の再確認によってもう一度世界や自然やお互いや今この瞬間を愛でる気持ちを取り戻そう。運命共同体としてお互いを仲間と認識する必要性を理解しよう。そういう内面的な意識革命が、結局今一番必要な事なのではないでしょうか。
私には富も名声も権力もない。でも何かに突き動かされる。これを信念というのか、正義感というのか、使命というかの、役回りというのか。そんなことはどうでも良い。言わなければいけない。だからリンゴ箱の上の青年革命家なのです。
最後に:社会運動に於いて、音楽には二種類ある、という気づき。
私は今回ピアノバンで困窮者たちの地域に行くと決めた時、一体感を醸し出す為に参加型の音楽を提供しなければいけない、と思っていました。不本意だったけれど「イマジン」とかまあ、色々な非クラシックジャンルのポピュラーな物の楽譜を一応準備し、ボランティアで私の補佐をしてくれた人たちのカラオケの伴奏の様な事もちょっとしました。でも全然しっくりこなかった。(私はお高く止まっているのか?)(クラシックに凝り固まっているのか?)...そんな後ろめたさを感じ始めていた時、そうではない、とハッと気が付いた瞬間が在ったのです。
音楽には二種類ある:参加型音楽と、発表型音楽。
参加型の音楽は、通常儀式化されています。自分よりも大きなものの一部と繋がっているという充足感と、同胞への一体感を募らせ、儀式に高揚感をもたらします。同じ歌を皆で斉唱するという行為は、特に読み書きが普及する前は、大事な文章を記憶したり、メッセージを浸透させたりという役割もありました。音楽を人間社会の営みとして歴史的・世界的に見たら参加型音楽は圧倒的多数を占めます。参加型音楽は繰り返しが多く、そして長年にわたって定期的に皆で演奏する社会的条約があります。例えば国家・校歌・ラジオ体操…「起立・礼・着席」や夏祭りの盆踊り、「いただきま~す」なども儀式化された音楽的営み、といえるでしょう。
一方、発表型の音楽では発表する者に対し、残りは聴く側に回るという暗黙の了解がなされています。例えば宗教儀式で祭司が行う説教などが発表型音楽に似ています。選ばれたものが、与えられた場所でのみ発表する、特別なイベントです。発表型の音楽は、特殊訓練を受けていない聴衆には真似できない技術や崇高性を持って、聴衆に感動や行動を呼び起こすという役割を担っています。私が生涯をかけて培ってきたのはこちらの音楽です。
なぜ、この二つの全く違った社会的役割を持つ音楽が、私の様な音楽を専門にする者にさえ混同されてしまうのか。それは、主に発表型音楽のみを「価値のある音楽」とする西洋文化が圧倒的に優勢だからです。西洋音楽の美学では「参加型音楽」は考察の対象にすらならないから、「発表型音楽」対「参加型音楽」といった二分化もされにくくなってしまうのです。なぜ西洋音楽では「発表型音楽」ばかり強調するのか。それは極端な個人主義の為です。個人主義は、社会動物としての人間の性の多くを否定します。個人の意思や選択の自由はある程度は尊重されるべきだと、私も思います。でも、そればかりが強調されて来たから、今私たちは意見対立や差別や格差で、環境問題やパンデミックの様なグローバルな問題にすら対処に足並みを揃わせることができないのではないでしょうか。更に「発表型音楽」やそのタイプの音楽家の方が商品化しやすい。こういう要素全ての結果、「発表型音楽」は世界制覇を成し遂げる寸前なのです。
私は運命的な事の運びで、発表型の音楽を専門的に勉強してここまで来ました。私には技術と経験と知識がある。革命のリーダーがシュプレヒコールを言えないかと言えば、それは勿論生態的には発声はできます。それと同じく、私だって「イエスタデー」や「イマジン」は弾ける。でも、私は発表型音楽を使って世の中に物を訴えるため、幼児期から訓練されてきたのです。ですから、私はこれからは人のカラオケの伴奏はしません。
お疲れ様です。
音と文と映像があって、「ピアノバン」の活動がつぶさにわかりました。
それは、ドクターピアニストの心意気が音となって共鳴できました。
サロンコンサートの文化が、21世紀型として定着するといいですね。
小川久男
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