演奏道中記6.30:空港にて

遠足前夜の子供の様に、3時半に目が覚めてしまった。

8時50分発の飛行機には、渋滞の懸念もあって電車とシャトルバスで行く予定だったけれど、私が起きたので何となく起きてしまった野の君がまだ早朝の渋滞前だから送ってくれるという。ありがたく5時に空港着。ずっと書けていなかったブログを書く予定にしていたけれど、さすがに眠い。

ギリシャから帰って18日目。その間に私も野の君もコロナに感染してしまい、2回予定されていた演奏会も8月に延期にし、リードするはずだった「音楽の効用を職場で活用!」ワークショップの為の一泊二日旅行もキャンセルしてリモートで行った。幸い大した症状は出なかったが、食欲も活力も減退していたのは、旅疲れかやはりコロナか。大人しく家に籠って粛々と練習や気候運動や教え(オンライン)などをこなしながら過ごしていた。

その間にも世界情勢は劇的に動く。ドイツではG7が開かれた。スウェーデンとフィンランドがNATOに加入。そしてアメリカ国内では2020年1月6日のトランプ支持者によるホワイトハウス襲撃事件に関する公聴会で、トランプ元大統領が暴徒を扇動するような言動を見せた証言が次々と発表されている。それにも増して、私の周りでソーシャルメディアなどを通じて様々な感情が入り乱れるニュースは、人工中絶の権利では米憲法で保障されていないという6月24日の最高裁の判決。

私は、ニューヨーク育ちのカリフォルニア在住と、途中ヒューストンでの7年間を経ながらもリベラルな州で過ごした時間が多い。更に専門分野が歴史的に左寄りな芸術関係であること、女性の社会進出を支援する傾向が強い社会的立場に在った事などから、知り合いの圧倒的多数がこの最高裁の判決を「時代錯誤」「非常識」「女性の個人としての権利を奪う」「社会の不平等性を更に悪化させる」などとして怒り心頭で受け止めている。しかし、ごく少数ではあるが、私のソーシャルメディア繋がりの知り合いの中には、宗教的理由から中絶を「人殺し」として、この最高裁判決を祝っている人もいる。そして様々なアンケート調査などによると、アメリカで中絶の権利を無条件で支持する人は6割程度にとどまっている。

理解したい一心で、私は生まれて初めてアメリカ合衆国独立宣言を最初から最後まで読み、その背景などについても調べた。米国内の多数の州で中絶が違法になる事で予想される社会的弊害についても、専門家の研究などを読んでみた。そして、隔週で日刊サンに発表させて頂いているコラム「ピアノの道」の次号が7月3日発表なのを踏まえて、次の文章にした。

1776年7月4日に発行されたアメリカ合衆国独立宣言。「人間はみな平等」であり、「それぞれに命、自由、そして幸福追求の権利がある」そして、「この権利を保障するのが政府である」と書かれています。

しかし、政府が保障するべき権利とは何か。ある人間の権利が、周りの権利を脅かす場合、特に問題が複雑化します。例えば銃の所有は個人の命・自由・幸福追求に必要な権利だとする意見がある一方、銃乱殺事件が相次いで多くの人の命・自由・そして幸福追求を妨げています。また、誰を持って人間とするのか、という問題もあります。独立宣言が書かれた当時は『人間』とは資産を保有する白人男性でした。今では『みな平等』とされる『人間』は全ての個人との解釈が一般的です。が、移民の権利も米国の予算を使って保障するべきか。受精卵は『人間』か。移民法や、中絶の是非などを巡って国内の意見が激しく対立します。

DEI(Diversity=多様性・Equality=平等性・Inclusion=包括性)と言うは易しですが、どう現実化するのか。私はそんな時、自分の手を見ます。様々な10本の指がそれぞれ特徴を持って物を掴み、握手をし、ピアノを奏で、言葉をタイプします。右手と左手それぞれに役割があり、私という人間の一部を成しています。両手で打ったパンと言う音は片手では出せない。ピアノの鍵盤では、それぞれの指の長短や強弱が、その瞬間のその指にしか出せない音色を発し、その一音一音が絡み合って音楽になります。

立場や視点が違うあなたがいるから私は私になれるし、あなたはあなたになれる。それぞれの言い分に耳を傾けあい、相手の立場や視点を尊重する。それが人間社会の道理として浸透した時、他人の権利を侵害する自由というのは無いと皆が実感できるはずと私は信じます。

字数制限や、コラムの主旨に沿って音楽に絡めなければいけないことなどがあり、こういう根深い問題に言及するとどうしても象徴的でおセンチになり勝ちですが、今回はかなり腰を据えて書いたのです。理由の一つは、これから私が向かうのがルネッサンス・ウィークエンドだからという事があります。政治・宗教・教育・軍・NPO/NGO・芸術・メディアなど様々な分野のリーダーたちが意見交換する場。今回の会場はカナダのバンフです。

バンフは最低気温が1桁台まで落ち込みます。最高気温も20度に届かない日もあるくらい!という事で、朝5時でも21度あったロサンジェルス空港で私はジャケットを着こんでこのブログを書きました。まだ登場まで30分以上ある...

1 thought on “演奏道中記6.30:空港にて”

  1. お疲れ様です。

    今を日本で生きる人とアメリカ合衆国ですむ人の
    文化的温度差を感じました。
    それは、農耕民族と狩猟民族の違いかも知れません。
    人は、平等だから声高に主張することもないと思っています。
    一神教と八百万の神を受け入れる民族との差を感じます。
    それにしても、教養の諧調を観ているような一文でした。

    小川久男

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