4歳から13歳でジュリアードに合格するまで私をピアニストとして育ててくださった伊藤先生。まだ小さかった私にこんな事を言われたことがあります。

「お友達にプレゼントをあげるとき、きれいな紙で包んで、リボンをかけて、両手で持って大事に上げるでしょ?ピアノの音もそういう風に(どうしたら喜んでもらえるかな?)と考えて、工夫して、プレゼントを渡すように送り出すのよ。それが『心を込める』ということなのよ。」

「言霊幸わう(ことだまさきわう)」という表現を最近知りました。言霊というのは日本古来から伝わる言葉にこもる精霊や霊力です。良い言葉には良い霊力が、悪い言葉には邪気がそれぞれ宿る。だから入院のお見舞いに鉢植えのお花は「根付く(=寝付く)」でNG・正念場の前に「とんかつ(=とんとん拍子で勝つ)」を食べる・フクロウ(=不苦労・福朗)は縁起良い鳥…となるんだそうです。

同じく音霊(おとだま?)も絶対ある―私はピアニストとして体験上知っています。破壊力のある音というのは爆発音など実際の破壊の音だけではありません。「不必要な音は最も邪見な心なさである」といったのは伝説の看護師、フロレンス・ナイチンゲールです。そしてそれに対するのが伊藤先生がおっしゃった「心を込めた音」だと思うのです。

古代ギリシャ人は動くもの全てに音があると信じていました。天球も動くので発音をしているはず―でもその音は我々が生まれてから死ぬまでずっと鳴り響いているので知覚できない。この聴こえない天球の音楽と共鳴するのが良い音楽であり、良い音である、と考えたのです。これがいわゆる「天球の音楽」という考え方です。共鳴(=「ハモる」)というのは、美しい現象です。音波が他の音波と協調することでお互いを助長します。この共鳴を「美しい」と感じるのは、我々人間が協力や共感を自然と営む社会的動物だからではないか…私は敢えて信じます。

音楽万歳。

このブログエントリーは日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯169(1月18日発表)を基にしています。


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