ピアニスト

曲を多く抱えているときの練習

良い練習と言うのは、脳が活性化し、曲がどんどん好きになる。 新しいことがどんどん習得でき、面白い。やればやるほど意欲的になる。 悪い練習と言うのは、曲に飽きるし、音楽に近視になり焦点がぼけてくる。 曲が多すぎたり、ラストミネットの本番が立て続けに入ったりすると「自動長期練習モード」に入り勝ちだ。 これは概して「悪い練習」になることが多い。 私は今まさに、ラストミネットの本番が立て続けに入り、新曲が多く、「悪い練習」で悲壮感漂わせながらただ長時間実りの少ない練習をする羽目になる危険性のある心理状態にある。 そんな自分の覚書も兼ねて、今日は「良い練習」をするために必要な事を書き出してみようと思う。 1.小まめに充実した小休憩を取る。我武者羅に弾き続けない。 ー無目的に兎に角ピアノの音を鳴らし、指を動かす、と言う状態を避ける。音は疲れる。弾くと言う行為も疲れる。無神経に弾いて自己満足だけを得るよりは、良い休憩を取り、脳みそにインプットした情報をプロセスする時間を与える。小休憩と言うのは、例えばペダルを抜かして一瞬ずつ「無音」の状態を作る、と言うことろから、弾くのを辞めて楽譜にある情報を言葉にして考えてみるとか、ピアノの蓋を占めてその上で運指だけしてみるとか、そういうのも「小休止」。休む時はストレッチとか、水を飲むとか。でも休みすぎない。タイマーをかけたり(これをしたら練習に戻る)と自分と約束して、守る。 2. どのチャレンジにどう対応するための練習か、ゴールをいつも明確にしておく。 困難なパッセージを簡単に弾けるための分析練習とか、声部を弾き分けるための声部を一つずつ弾いて耳で覚えていく練習、あるいはハーモニーを理解するための練習、など。新曲を兎に角理解して指に入れるための練習の時も、最初から一音一音学んでいくのではなく、ユニット(小節とか、フレーズとか、セクションとか)自分が正直に理解できている範囲だけに集中して、そのユニットをクリアしてから次のユニットへ行く。 3.弱音での練習、弾かずに歌う練習、楽譜に在る音を頭の中ではっきり聴けるようにする練習。 兎に角長時間練習をする際はピアノの音に疲れてしまう(慣れてしまう)ことを避けるために色々工夫が必要。いつもピアノの音が新鮮に喜びと驚きを持って聞ける状態を保つ。 4.自分に正直に。 出来ないこと、分からないことを追求。出来ていること、弾けている個所は「練習」しない。 5.時間割(時間配分表)を作り、一つの曲に時間をかけすぎない。 修得すべき曲のリストを書き出し、難度、演奏の日時、重要度、などを把握。 そしてその日にかけられる練習時間から逆算して重要度によって割合で最終的に何分かけられるのか、決める。 必要ならタイマーをかけて、時間を厳守する。 何より大事なのは(楽しい!)と思って練習すること。好きこそものの上手なれ。 こんなところかな? 明日は一日練習日。朝一で曲のリストを作り出します。  

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音楽博士、参上!新しく活動展開します。

皆さまのお役に立ちたい。 社会貢献がしたい。 世界平和へ向けてのお手伝いがしたい...   私は音楽家としてユニークな特権にあやかって人生の前半を歩んできました。 13歳から渡米して世界一流の教育機関や音楽家と勉強する幸運と、音楽人生に専念する贅沢を許され、 何十年も日々精進して、美や人生、精神性や現世界について考察を重ねて参りました。 お蔭様で南米から東欧まで世界各地を演奏旅行をして自分なりの見分を深める機会にも恵まれました。 そんな私が培ってきた人生観を皆さまのお役に立てるためにはどうすればよいのか? 皆さまの日常や状況に寄り添った、より社会に関連性がある活動をするために、どのような活動展開していけばよいのか?   博士課程を取得、新天地への引っ越し、と言ういくつかの人生の転機をきっかけに これからの人生プランの考察とリサーチを数か月行いました。 沢山の本を読み、色々な方のご意見や経験談を伺いました。 そして段々見えてきていたものをここにまとめてみます。 1.持続性(Sustainability)がなければいけない。 ー 自分が好きで得意な事を、楽しみながら一生懸命やる。 ー 無理は長続きしない。経費を軽く上回る収入を確保して、初めて持続性が設立する。 2.お客様のニーズに寄り添ったサーヴィスや商品を提供する。その為のマーケットリサーチは直接お客様に尋ねるのが一番。 ー 人の悩みや問題を解決して夢や希望を叶える明確な方法を提示する 3.商品やサーヴィスの内容に一時間かけるとしたら、その広報に3時間かける。 ー そうしないといくら立派なサーヴィスや内容を創設しても、誰もそのことについて知り得ない。   簡単な様で明確に具体化し、実現にこぎつけるまでにはいろいろと努力が必要な事です。 特に3番は、クラシック音楽家として「良いものを提供していればお客様は絶対あなたを発見します。」と言われ続けて育ったピアニストとしては中々受け入れるのが難しい概念です。「スター的な売れ方をしないのは、私の選曲や演奏に問題があるからでは...」と自分自身ではもちろん思いますし、周りからも言われ続け、それを修行の燃料にもして参りました。が、調べてみれば演奏と言うのは元々お金にならない商売なんです。パガニーニは自らビラ配りをし、演奏途中の休憩時間にはチケット窓口で半額でチケットを売ったそうです。リストも自分の親友に好評を書かせました。そうしなきゃスターにはならなかったし、興行としても成功しなかったんです。 そしてそれは、演奏会と言う形態では、お客様のニーズに寄り添っていないと言うことの結果に他なりません。 でも、音楽が人間の脳の活性化や健康促進に非常な効果があることは、最近の研究で明らかになってきています。更に、私自身が音楽人生を歩んできて、音楽は私のポジティブ思考に多大な影響を及ぼしていることを証言できます。 じゃあ、どうすれば音楽の効果を皆さまに提供して喜んでいただくことができるのか? 具体的な方法はまだ模索中ですが、とりあえず私の存在を確立するために、オンラインでの活動をこれから繰り広げます。Facebookでお友達申請、「いいね!」、インスタグラムやツイッターのフォロー、さらにこのブログへのコメントなどで応援いただければ、大変心強いです。 ご質問、ご提言、お問い合わせ、なんでも大歓迎です。 よろしくお願いいたします。          

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書評:恩田陸「蜜蜂と遠雷」をピアニストとして読むと…

日本に帰って来る度の楽しみには色々(食!)あるが、乱読もその一つである。平田家はみんな本が好きなので、帰ってくるとすでに両親からの「推薦読書」が結構ある。妹が漫画をシリーズで図書館から借りておいてくれてある時もある。今年は特にUS-Japan リーダーシップ・プログラムへの参加を来月に控えて、みんなの推薦読書がより硬派になっている。私の音楽馬鹿さ加減を一か月で解消しよう、と言う野望には無理があるが、でも面白く・ありがたく読み進んでいる。 今日のブログには今年の直木賞受賞で話題になった、国際ピアノコンクールを描いた小説「蜜蜂と遠雷」について書きます。この本は私の演奏会に来たお客様にも意見を求められるほどだった。今朝読破。小説の中心になる4人の登場人物がコンクールに勝ち残れるのかどうか、気になってぐいぐい読んでしまう。まず第一印象から言うと、この小説はバレーを題材にした少女漫画(例えば有吉京子の「スワン」)によく似ているな~、と思った。そしてピアニストとしてピアノ・レパートリーの描写をどう思うかと聞かれると、私は筋を追う事に専念して、特に小説の終わりの方はそう言う所は読み飛ばしている自分を発見した。一般のお客さんには「ピアニストは演奏中何を考えているのか」と言う興味に夢が出て、この小説のお陰でクラシックの人気が高まるのかも知れない。そうすれば私もうれしい。今回の帰国で、家族の気遣いが例年より細やかなのも、もしかしたらこの小説のお陰なのかもしれない。私がこの小説で一番共感したのは、「練習と言うのは掃除に似ている」と言う所である。曲(家)が小さければ、掃除も簡単。でも曲(家)が大きくて、構造が複雑であればあるほど、その家をきれいな状態に保っておくことが難しくなってくる。一か所をきれいに保つことを集中すると、他がいつの間にか汚くなっている。でも、段々効率よくその家をきれいにすることをマスターするとやがて、花を飾ったり、特別にぴかぴかに磨いたりして、自分らしさを演出することが出来るようになる。この描写は(そう言う云い方もできる!)と深く共感した。それから本番前と演奏中の緊張の描写。特に三次予選トップバッターがプレッシャー負けして暴走する部分は、凄い洞察力・描写力だと思った。恩田陸は幼少からピアノを習い、大学時代にはビッグバンドでのサックス演奏経験などもあるようだが、それにしてもすごい。 でもやっぱり、少なくともピアニストとしての私の実感とは違うな~と言う所もある。そして風間塵と言うキャラクターはかなり現実離れした状況設定。曲に対する奏者の事細かなイメージ描写も、う~ん、やっぱり音楽とか音楽体験を言語化することの限界を感じてしまう。それから小説に於いて注目されるコンテスタントの二人が日本人、もう二人が日本人とのハーフと言うのも、この小説は国際的にはベストセラーにならないな、と私が思う理由である。あと、もう少し違う国の教育とか音楽観とかピアノ技術へのアプローチの違いを浮き彫りにした方が、舞台を国際コンクールにした理由がもっと生きるな、と思った。 同じく音楽を題材にこれから色々執筆しようと思っている私が一番うれしかったのが、ナクソス・ジャパンとの提携で小説で出てくる曲全てを、著者のイメージと合った演奏で聴ける、と言うサービスがあること。http://www.gentosha.jp/articles/-/7081 私も自分の著書にはCDを付録して出版したいと思っている。私の場合は自著自演になるけれど。

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壇上で涙してしまいました…自分でもびっくり!

昨日は千葉美浜文化ホールでの「『天上の音楽』vs.地上の音楽」でした。音響もピアノも素晴らしいホールで前々から今年も楽しみでしたが、本番前の練習の時、あまりにも音がきれいで練習し過ぎ無い様に、本番のために体力温存するため自分を制するのが難しい感じでした。こういう時、本番前は結構苦しいです。素晴らしいごちそうを目前に、お預けを食らっている感じです。 今、昨日の録音を聴きながらブログを書いていますが、素晴らしいピアノや音響と言うのは奏者を勇気百倍にし、また実際の助っ人にもなってくれます。私も昨日は本当に気持ちよく弾けました。まだまだ課題は多いのですが、でもきゅりあんよりも自分本位の演奏が出来た、と自負しています。 でも、ゴールドベルグを演奏する前にちょっとしたハプニングが… このブログを読む方の中には「寝耳に水」の方も多いかと存じますが、私実は毎年恒例で17年間行ってきた日本での演奏活動に一つのピリオドを打とうと思って今年は来日しています。今の形ではあまりにも家族や応援の会・応援団の皆さまへの負担が大きいと言う事、そして私ももう音楽博士の学位を頂き、長かった学生生活に終止符を打ち、ボランティアの方々に頼らなければ出来ない活動は辞めようと思ったのです。品川きゅりあんの際には、嬉しい演奏会の場で、その事をお客様にご披露するのも水を差すようで気が引けしなかったのですが、千葉の方では主催者をずっとしてくれていた叔母から「話しをしてくれ」と言われていましたので、ゴールドベルグの紹介の最後にちょっと言い始めたのです。 「私が今年特にこのゴールドベルグ変奏曲を弾きたかった理由は長~いこの曲の最初と最後にそっくり同じ形で提示される美しいアリアに、時間の不思議さと感慨深さを感じたからです。17年間、私も多大なご支援を得て演奏をしてまいりました。長いようでも短いようでもありました。色々な事がありました。私自身も色々経験・成長しましたが、お客様も皆さま色々おありでした。長い介護の末親御さんを亡くされた方も居ます。生涯の伴侶を亡くされた方も居ます。ご自身がずっと闘病生活を送りながら『来年も真希子ちゃんの演奏が聴けるように一年また頑張ります』と毎年おっしゃってくださった方も亡くなってしまいました…」ここで、ウっとなってしまったのです。自分でも全く予想していなかったことでした。でも本当に沢山の方のお顔が思い出されて感無量になってしまったのです。感謝と、『愛』としか言いようのない気持ちに襲われてしまったのです。 私は本当に幸せ者だと思います。これからは、音楽を通じた社会貢献・国際親善を積極的に模索・実行して行きます!また、ご招待いただければ日本でもどこでも、聴衆が居ればどこでも飛んでいきますので、是非ご相談ください:)

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「気合を入れる」は「力む」とは違う。

今年の日本の演目テーマ『天上の音楽vs。地上の英雄』の後半で弾く曲はベートーヴェンのソナタ一番、ショパンの英雄ポロネーズ、リストのメフィスト・ワルツ一番など。この『地上の英雄』の初公開が13日(木)に迫っています。  『天上の音楽 v.s. 地上の英雄』PDF ダウンロード  Crain Garden Performance Seriesと言うお昼時一時間の演奏シリーズで『地上の英雄』デビュー! 同時進行で最新アルバム収録も着々と進んでいます。 これで7枚目となる私のアルバム。今回はわが心の友にして素晴らしいクラリネット奏者である佐々木麻衣子さんと組んで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ一番(1795)とブラームス晩年のクラリネットソナタ作品120(1894)を「100年:ベートーヴェンの初期とブラームスの晩年」と言うテーマで収録中です。 それなのに...左手首と腕に違和感を覚え始めたのが一か月くらい前。3月11日と23日の演奏会でリストのハンガリー狂詩曲を弾いた時も、弾ききれるか心配でした。幸いお客様にはお楽しみいただけたようですが、その後も原因不明の腕の重さ、体のだるさ…(心理的なもの?)(姿勢?)(練習法?)と色々考えてみましたが、でもまあ英雄ポロネーズもリストも左手のオクターブ連打が大音量で延々と続いたりしますから、しょうがないと言えばしょうがないのかも知れません。どうやったら脱力できるだろう、どのようにペース配分しよう、どこで体力温存しようと、練習中にも演奏中にも日常生活中にも、自分の体に気を使っていました。 が、今日打開!発見!解明! 難所のパッセージに来ると「頑張らなきゃ」と思います。「集中しなきゃ」「上手く弾かなきゃ」…そしてその時に力んでいるのです。気合を入れると言う事は神経を研ぎ澄ますと言う事で、筋肉をこわばらせることでは無い。実際にはかなり冷めた状態で、冷静に達観してこなした方がうまく行く。 この発見のお陰で今日の練習は短時間ですごく効率よく、チャレンジの打開法が次々と発見できました。これは、人生にも当てはまることだな~と思って忘れないようにブログに書き留めておきました。

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