ゴールドベルグ変奏曲

今年の夏ゴールドベルグ変奏曲を演奏する、と打ち明けた途端にびっくりして見せる同業者が多い。
私は今から考えれば物凄い無知の怖い物知らずだったので、何でびっくりするのか分からなかった。
確かにゴールドべルグは長い―繰り返しを全部やれば一時間以上かかる大曲である。
それから、これは2段鍵盤のハープシコード用と指定して書かれた曲で、
右手と左手が上下別の鍵盤で弾くことを想定して、
沢山交差したり、同じ音域で弾いたりするか所が在るので、
一段の鍵盤しか無いピアノと言う現代楽器で弾くと不都合がある。
そこまでの知識程度で挑んだのだ。
ところが。。。
これが物凄い曲なのである。
知れば知るほど、恐ろしい。
昔、息をして、食事をしていた生身の人間が書いたなんて信じられない。
単純に数字の面だけで言っても凄い。
有名なアリアが一番最初と最後に提示され、
その間にアリアのベースラインを基にした30の変奏曲が在る。
30の変奏曲はさらに、小さな3つずつの変奏曲に分けられる。
変奏曲1.舞踏曲、あるいはフーガなどはっきりしたジャンルに基づいた曲。
変奏曲2.手を交差させ、鍵盤技術を駆使する曲。
変奏曲3.カノン
この3つ目のカノンがまたすごい。
最初のカノンは同じ音から始まる。
2つ目のカノンは2声目が1声目より一音高く、3つ目は2声目が1声目より二音高く、
と言う風に進んでいく。
その複雑さ、そして頭脳的な完璧さに反比例した完璧な美しさと言ったらこの世のものとは思えない程。
さらに、難しいのは歴史的正確さをどこまで責任を持って追及するか、という問題である。
バッハが意図した、当時の技法、美的感覚を再現することに徹するべきか。
それとも現代の美的感覚に訴えるべく、新しい解釈をするべきなのか。
ピアノ演奏をどこまでハープシコードに近づけるべきか。
それともピアノ演奏ならではの、ピアノの可能性を最大限に生かした演奏をするべきか。
さらに、数学的な完璧さ、と言うのは演奏家はどこまで意識する義務が在るのか。
余り意識し過ぎると、余りの恐れ多さに、解釈が出来なくなってしまう。
う~ん。凄い!
明日、NYの私の尊敬する恩師にレッスンをしてもらいます。

2 thoughts on “ゴールドベルグ変奏曲”

  1. これほど大変な曲だったんですね、素人のわたしにはただただヘェーと言うしかありません。けど、こうしたことをしらずとも心にぐっとくるからいいのですよね。このごろよく聴いています。

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