演劇と演奏


今日はハワイ王朝とそれがアメリカの圧力に屈服するまでの歴史に触れました。
1893年一月の一週間ほどのあいだに起こったアメリカの乗っ取りの際の出来事を、
当時の原住民や日本、中国、ギリシャなどの国からの移民の視点から描いた歴史再現劇を、
ハワイ王朝の宮殿や、現在の州議事堂の周りを歩きながら体験する、
ウォーキング・ツアーに参加したのです。
まず、簡単に歴史的な背景を。
1810年にカメハメハ一世によって統一されたハワイ諸島はハワイ王国となりました。
欧米の宣教師などが1820年くらいから移住し始め、
彼らに教育を受けたハワイ王国はサトウキビの生産などで経済力をつけ
1840年にはカメハメハ3世が市民の権利を庇護する憲法を書き、
1843年にはフランスやイギリスから独立国家と認められるまでに。
1875年にはアメリカとハワイ王国の間に友好貿易条約が結ばれ、
砂糖の輸出によってハワイは非常に豊かな国となります。
ところがここで、ハワイ王国が結局、米国の勝手な利欲の犠牲になるべく
一環の出来事が起こり始めるのです。
ハワイの土地を買い占めて、サトウキビ農園を経営していた欧米人たち。
この人たちは日本人や中国人移民を契約を交わして雇っていたにも関わらず
契約違反の非人間的な労働条件でこき使っていました。
この人たちがまず、ハワイ原住民やこれら契約小作人の投票権を取り上げ、
行政のコントロールを取ろうと色々やり始めたのが1887年。
それにアメリカ大使、そして最終的にはアメリカ政府までが加担して
ハワイが戦争などの作戦上、有利な地理的条件にある事もあって
1898年にはハワイは乗っ取られてしまいます。
1959年にハワイはアメリカの州となります。
1993年にはクリントン政権のもと、かつてのハワイ原住民の独立国家を抑圧したとして、
アメリカは正式な謝罪を発表しました。
ウォーキング・ツアーは特に1893年一月の一週間の出来事に集中して、
女王がいかに、流血を防ぐべく、この一連の悪意と抑圧に対応したか、
原住民がどのように女王を支持し、署名運動など非暴力に徹したか、
むしろ、ハワイ王朝の憲法によって白人の圧迫から守られていた
中国人や日本人の移民労働者たちの方が「女王のために戦う」と意気込んでいたか、
場所を移動することで、場面や時間、そして語り手を変えながら進行します。
役者にも、観衆にも、多くの原住民、あるいは原住民の混血の人がいます。
勿論、観光客も多いのですが、
役者の熱演のどこまでが私情なのか、演技なのか、分からない。
息が苦しくなるような演技、そして観衆との一体感です。
その中でも私が感銘を受けたのは女王の役をやった方の演技と、
日系移民の役をやった方の演技です。
女王の台詞は宮殿の前で、
自分の指示を仰ぐ自分の臣下のためのスピーチの形で行われました。
宮殿と言っても、私がヨーロッパで見た宮殿とは比べ物にならない、
アメリカの金持ちの豪邸にはもっと大きなものもあるかもしれない、
優雅ではあるけれど、威圧的では全くない、まあ大き目な建物です。
そのポーチに立って、国民の理解と忍耐を促し、兎に角流血を避けるようスピーチする女王は
国民に対する母性的愛情にに満ち溢れた、本当に涙が出るような真剣で悲しいもので、
私はもう心の底から
「今からハワイ原住民になってこの人に仕えたい!」
と、一瞬思ってしまいました。
そんな私の表情を見取ってか、
それともこれは演技の一環として毎回同じジェスチャーなのか、
スピーチを終えて、私たち観衆の間を通り抜けて退出する際、
私に手を差し伸べてぐっと握ってくれたときは私は本当に感動しました。
日系人移民の役をやった役者さんは、実は私は昨日会っていました。
私を今回ハワイにお招きくださった真里さんのお宅で昨日
ミニ・コンサートと公開レッスンをやったのですが、
その際ベートーヴェンの最後のソナタ、作品111の一楽章を弾いてくださった
川合史郎さんです。

昨日の重厚な最晩年ベートーヴェンにも感銘を受けましたが、
片言の英語で、奴隷以下の扱いを受けていた移民労働者を
ハワイ王朝の憲法のもとに救ってくれた女王への忠誠を誓い、
戦う意気込みを語る今日の演技には
本当に当時の移民した日本人の苦労と、その中でも消えなかった真摯さが感じられ、
同じ日本人として感銘を受けました。

毎年この時期に行われるこのウォーキング・ツアーで
同じ役をもう何年も演じ続けられている川合史郎さんですが、
毎年違うことを考えて役創りをしていらっしゃるとお話しくださいました。
今年は、この日本人労働者はどのようにしてこのニュースを知って宮殿まで駆けつけたのか、
考えているそうです。
移民労働者のための売店のようなところが農園にはあったそうで、
売店の経営者は仕入れのために町に行く、その時にニュースも仕入れたに違いない。
炎天下、毎日飲み水も困窮する状態で10時間から12時間働かされている、
その日常の中でも、自分を人間的に扱ってくれた人に忠誠を誓うべく、
走って町まで行って戦う用意があることを言わずにはおれない。
(川合史郎さんについてはこちらへ:http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001094)
このツアーは2007年に設立されたNPO “Hawaii Pono’i Coalition”に主催されています。

2015 Mai Poina Walking Tours


何が演技に共感や感動を促すパワーをもたらすのか?
それは役者の肉体と気持ちの徹底的な一意専心、傾倒、ではないでしょうか?
演奏家として、それを目指せるか?
役者と違って、曲はストーリーの登場人物ではありません。
そういう意味では、自分を重ねる、と言うことはしにくい。
作曲家に一意専心・傾倒を試みて、伝記を読んだりすることもあるけれど、
でもやはり音楽は音楽、しかも歌詞の無い、器楽曲です。
演奏では、どうやってここまでのパワーに到達できるのだろう?
悔しいほど感動して、演技と言う媒体にあこがれてしまいました。