弾くは愛でる、走るも愛でる。


今朝、走りに外に出たら新芽が木々の節々からほとばしり出た!と言う感じでびっくりした。
ヒューストンではすでに桜や木蓮、連翹などの花も咲き始めている。
本当に可愛い。
NJでは雪がちらついていた。
雪と雨の合いの子の様なみぞれの中を氷で滑りやすい水たまりをよけながら走った。
首をちぢこめながらスクールバスを待つ高校生の姿に
渡米したばかりで同じようにスクールバスを待っていた自分の姿が重なった。
思い出の中の自分も、ふくれっ面でスクールバスを待つ子供たちも、皆可愛い。
走る、と言うことは、弾く、と言うことと同じように
自分、自分の人生、そして世界を愛でる、と言うことなのだと思う。
毎日の練習が本当に辛く感じられた過去の一時期、
私は決意をした。
私の練習は、演奏会やキャリアのためではなく、一種の祈りだ、と決めたのである。
チベットのお坊さんは自分たちの読経は世界を平和にしている、と信じている。
あんなに過酷な運命の中で、まだ読経と瞑想を続けている。
私の練習も、そう言う物だ、と決めたのだ。
練習や、チベットのお坊さんのお祈りが実際世界平和に貢献しているか否かよりも、
自分が一番良い自分で居られる行為を意思を持ってする、続ける、
その事が世界貢献になる、と決める、その強さ。
それが、自分の中の人間性善説、そして自分の中の平和につながる。
私は、走る。
私は、弾き続ける。