音楽の記憶


時々、他の方々の音楽とか、演奏とかを記憶する能力に驚愕することがあります。
今年日本で演奏したラフマニノフ2曲は
2007年にリリースした私の3枚目のアルバム『Etudes, Seriously』に収録されています。
収録の直後、2007年の日本でのリサイタルで私はこの2曲を演奏していました。
「その時と演奏と比べて今回は...」と言った人があったのです!
9年前の演奏を思い出して、今回聞いた演奏と比べることが出来る!すごい!
ちなみにこの方曰く、
「今回の『悲愴』は今までのベートーヴェンの中で一番良かった、
一番良く分からなかったのは『告別』。」だったそうです。
私は言われるまで自分が日本で『告別』を弾いていたことすら忘れていたし、
今ここに書くために自分が何年前に「告別」を演奏していたのか、グーグルしました。
(2009年でした。)
音楽と言うのははかない、時と共に消えてしまう時間の芸術です。
それが、人の記憶の中にとどめられている、と言うのは畏れ多い。
私は自分に起こった出来事とか、映画や小説のあらすじなどは、
人が驚愕するほど覚えていることがありますが、
事実や数字や地理、固有名詞、そして音楽に対する記憶ははっきり言って悪いです。
だから10年前の演奏を記憶して、現在の演奏と比べると言う事がどう言う事なのか、
想像も出来ない。
しかし毎年恒例で16年間続けていると、
毎年私の演奏会にいらしてくださる事をある節目として
ご自分の人生に照らし合わせて記憶したり、楽しみにしてくださっている方々も
いらしてくださっているようです。
有難い事です。
癌闘病を何年もされていたNさんは、毎年演奏後に
「来年も聞きに来れるように、一年間頑張ります」と私にご挨拶して下さいました。
ある年、もう入院されていたNさんは私に
「一時退院を演奏会の日に合わせて、友達に付き添ってもらって行きます」
と、絵葉書を下さっていたのですが、病状が急転し、叶わなくなりました。
演奏会後、病院にお見舞いに訪ねた私は、
Nさんと初めてゆっくりと会話をする機会を持ち、驚愕しました。
Nさんは、それまで来てくださっていた私の10数年分の演奏演目とドレスを
全て記憶してくださっていたのです。
もう一人、癌闘病中に私の演奏会にご家族でいらしてくださった方もいらっしゃいました。
私の演奏会がAさんがこの世で聞かれた最後の演奏会になってしまわれたのですが、
Aさん亡き後、Aさんの奥様とお子様が毎年演奏会にいらしてくださいます。
こういう方々の記憶は、私のインスピレーションとなって
私の演奏に織り込まれています。
私の音楽は私一人の物では無い、と言うのはこういう意味もあります。