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車が無いと困るのは、食糧の買い出しで在る。 沢山のとても優しい友達に恵まれていて、食糧の買い出しにしばし便乗させてもらっているし 日本の家族が「お買い得」の煮干しの大袋や、鰹節など、日本からの貴重品を小包で送って来てくれる。 学校でちょこちょこ色々買えるし、 週に一度はキャンパスでヒューストン近辺の農家が集まって旬の物を売る青空市場もある。 だから飢える可能性は全く無いのだが。。。 一つ困るのは果物なのである。 ヒューストンは果物の産地では無いらしい。 青空市場で売っているのは野菜、肉、乳製品などばかり。 そして果物は食糧の買い出しに行ってから一番最初に無くなるものなのだ。 私自身も忙しいし、友達をわざわざ煩わせるのもためらわれる。 と、言うわけで乾燥果物などを食べてごまかしていた。。 。。。が、今日の夕食時、どうしても、どうしても、果物が食べたくなってしまった。 もう矢も楯もたまらない! 車で連れて行ってもらった事のあるスーパーマーケットに自転車で向かい、 グレープ・フルーツ、バナナ、リンゴ、オレンジと、手当たりしだい買いまくった。 帰りは自転車のハンドル両方に買い物袋をぶら下げてふらふら歩道を漕いで帰り、 買って来た物を整理するのも後回しで、リンゴ、オレンジ、そしてグレープフルーツと そのまま一気に食べてしまった。 すると、不思議不思議。 この頃のどがイガイガして、(やばい!)と思っていた。 ヴィタミンCを大量にとり、タートルネックに身を包み、うがいを頻繁にし、色々気を付けていたのだが、 咳が出るようになって来ていたのだ。 それが一瞬で、のどの違和感が消えてしまったのだ!! う~ん、心理的な効果もあったのだろうか? 余りにも効き目が早すぎる様な… でも、どこをどう探っても、私の喉はもう完璧なのです! 教訓;食べたい時には、食べたい物を食べる。
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今日はびっしりと充実した一日だった。 9時に登校してから約12時間、毎時間予定が分刻みで入っている様な日だった。 でも、とても楽しかった。 心配していたリハーサルもとても上手く行ったし、皆と多いに笑いあいながら、 励まし合いながらリハーサルを進めた。 そして今日は金曜日とは打って変わって春のようなホカホカの日だった。 綿雲がゆったり流れている。 リハーサルの途中の休憩は、出来るだけ外でゆっくり過ごすように努めた。 普段はケチって水しか飲まないけど、今日は自分にご褒美でお茶とクッキーを買った。 そして今、しょうが湯を飲んで、16世紀イタリアのマドリガルを聞きながら(宿題) こうしてゆったりブログを書いている。 マドリガルは本当に美しく、しょうが湯は本当に美味しい。 そして、ブログを読んでくれているはずの色々な知り合いの顔を思い浮かべながら、 こうやって無心に日本語をタイプしていると、 邪念がどんどん消えていく。 今日は早寝。 明日も頑張る。
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予測はしていたことだけど、段々スケジュールの密度が濃くなってきている。 まず、演奏の数そのものが増えて来ている。 今週の8日(火)はDa Camera of Houstonの企画で病院で患者、患者の家族、病院勤務の人などの為の演奏会が在る。11日は朝に同じくDa Cameraで小学校への出張演奏会が在り、その夜はライスのオケの演奏会でピアノ・パートを担当する。そしてその翌日、12日はDe Menil Collectionと言う近代美術館で演奏が在り、最後に日曜日に先学期指揮をしたヒンデミットのヴィオラ協奏曲「白鳥を焼く男」の本番を今度はピアノ伴奏で行う。 そして、3月にワシントンD.C.に在るアメリカの国会図書館, library of Congressで行う二回の演奏会に向けてのリハーサルが内容、回数と共にどんどん充実して来ている。 宿題も、練習もある。 昨日の夜は眠りに着く前、ちょっと心配になって来てしまった。どうやって全部こなすんだろう。。。 大丈夫、大丈夫。 タングルウッドではもっと演奏会が立て込んだこともあるし、成せば、意外と成る物です。 案ずるより産むが安し。 余裕は気持ちと表情から。 笑顔と、周りを思いやる気持ちを忘れずに、心をこめて一つ一つこなしていこう。
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広~い、広~いアメリカなのだ。例えばこの国の北の先っぽは零下30度で、南の先っぽは27度と言う事もしばしば起こりえる現象で在るほど広~い、広~いアメリカなのだ。だが、今週に限って50州在る中の49州で雪が降っているそうだ。異常気象で在る。ヒューストンも雪が降るらしい。昨日と今日は零下に届くか届かないか位で、それだけで皆パニクッていた。その上昨日、「雪が降る」と言う天気予報が出た所からもうコメディーの様な大騒ぎである。皆食糧の買いだめに走り、今日の午後1時過ぎ、学校から電子メール、携帯メール、さらに携帯の留守電に次の様なメッセージが学校から一斉に送られた。「今日の授業は3時以降の物は全てキャンセル。学校の生徒も雇用人も皆帰って良し」。さらにヒューストンに三つある空港の中でも一番大きいブッシュ国際空港は3時以降閉館してしまった。まだ雪の「ゆ」の字も降っていないうちから、この警戒ぶりである。 そしてさらに可笑しいのは、 このブログを書いている現在夜10時になってもまだ雪はひとひらも降っていないのである! ハハハ
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昨日「ブルーライダー」と題した音楽会に行って来た。これは、1911年から1914年にカンディンスキー率いる画家が集まってミュニッヒを中心に行われた絵画の一派で、ドイツ語でDer Blaue Reiterと言うのを英語に訳した物だ。私は全く知らなかったのだが、カンディンスキーはショーンベルグと親しい友達で、第二ウィーン楽派の12音階技法に非常に傾倒し、自分が絵画でやろうとしている事を音楽でもやっている、と喜んだらしい。彼らは色々な芸術表現の方法を一つにまとめられないか、と協議し、ショーンベルグは自ら筆をとって絵を書きDer. Blaue Reiterの展示会に出品したりもした。昨夜私が行った演奏会はこの事にヒントを得ている。ショーンベルグや、彼の弟子で在ったベルグなどの作品、それからこれまたカンディンスキーが気に入っていたスクリャービンの作品などを、カンディンスキーの絵画を基にデザインされた光の投影を背景にピアノ独奏や、歌曲の演奏で行う、と言う物だ。 私はとても楽しみにして行ったのだが、ちょっぴり憤慨して帰って来た。 演奏会に他の芸術を取り入れる、と言う試みは色々なところがやっている。例えばロサンジェルス・フィルハーモニックは「トリスタン・プロジェクト」と名付けられた演奏会のシリーズで、ワーグナーのオケ曲を演奏しながら巨大なスクリーンに抽象的なイメージ(例えばろうそくの火が5分くらい近くなったり遠くなったりしながら写っている、とか、木のシルエット、とか、海、とか)を投影しながら行った。何だか訳が分からん、と言うのが正直な感想だった。他にも踊り子や振付家と共演する、とか、詩の朗読を曲の合間に挟む、とか色々な人が色々な事を試みている。 でも、音楽と言うのはとてもとても繊細な物だ。 掴みどころが無いから、いつも刺激を求める現代人には物足りないのかも知れない。でも、掴みどころが無いから受け止める一人一人が、その時に必要な物をそれぞれ受け止められるのであって、言葉で言えない位繊細で微妙な事を表現するのが、音楽のだいご味なのではないか。それをわきまえないでこう言う「共演」をしてしまうと、音楽はBGMになりやすい。そして、あくまで音楽を引き立てようと気を付けると、今度は視覚芸術の方が「??」となりやすい。 今回の演奏会は音楽も、視覚芸術もどちらも共倒れの大失敗だと私は思った。 まず、光の投影を効果的にするためか、客席は合法ギリギリの所まで真っ暗にされた。プログラムには歌曲の詩の訳しが在ったのだが、これでは全く読めない。さらに、舞台上にしずしずと出てきたピアニストと歌手は真っ黒のドレスを着て、プログラムの一番最初と最後に儀式の様にお辞儀をしただけ。曲と曲の合間に拍手をするな、とプログラムに書いてある。何だか、演奏が一種の儀式みたいなのである。聴衆が居ても居なくても全く変わらない演奏を、第三者として傍観している感じ。そして投影されるイメージはこれまた音楽との接点が何だかよくわからない、思わせぶりな抽象芸術。唯一ハッとさせられたのは、99%舞台上に集中していたこの光のイメージがぐんぐんと聴衆側に伸びて来た時。しかし、これが起こったのはベルグのソナタの最後のスクリャービンの「焔に向かって」の最後で、調性がはっきりと出て来た時だけだ。第二ウィーン楽派のこのプログラムで、調性だけが聴衆につながりえるものだ、と言うメッセージを伝えたかったのか?無調性の音楽は表現主義でもある、と思っていたのだが(カンディンスキーも)。。そして、演奏はと言えば、まるで光の投影に表現力を全て託してしまった様な、誰かの練習を聴いている様な、そんな風に訴えかける物に欠けた演奏だった、と私には思えたのである。 う~ん、酷評し過ぎただろうか。。。? 言いたい放題書いてしまった。失礼。 私の期待が大きすぎたのです。それにちょっと寝不足だったのです。
