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どうやら風邪をひいてしまったらしい。 豚インフルエンザが騒がれるこの季節、全く縁起でもない。 先週くらいからなんだかいつもより怠け者になり、それなのに焦燥感もわかず、 気楽にホワーっと過ごす時間が増え、金曜日は起きてみたらすでに9時でびっくりした。 友達に体が熱いよ、と指摘されて、土曜日に熱を測ったら華氏で101.5度(38.6C)ありびっくり。 それまでの一週間のぼんやりぶりに始めて納得がいき、罪悪感抜きで怠けられるとちょっと嬉しかった。 とろとろと眠り、本を読み散らかし、たくさんの映画を見て、立て続けにスープと熱いお茶を交互にのんで、 段々この「公休暇」に飽きてきた。 練習がしたい! 夢の中で練習するようになってきた。 練習がしたい! 始めなければいけない勉強も沢山ある。 かけるべき電話も、果たすべき責任も、ある。 バリバリ生きたい! 今日の夜ぐっすり眠れば、明日は魔法の様に元気いっぱいになっている、と思う。。。
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タングルウッド音楽祭参加中からずっとその是非について考え続けた現代曲。 段々ある一つの見解が自分の中で固まってきている気がする。 それは必然性の問題である。 私の独断と偏見に満ちた見解を恐れ多くもここにまとめさせていただければ、 音楽に限らず、全ての芸術作品の価値と言うのは必然性のレヴェルと比例するのではないかと思う。 その時代と、そこまでの歴史の流れを、どれだけ反映し、どれだけ必然性を持って生まれてきたか。 勿論、その芸術家の個人的な歴史の中で、個人的にその作成が必然だったと言うこともあると思うが、 その個人的必然性が一般化できなければ、その作品は偉大とは言えないと思う。 それぞれの作品の歴史上での必然性と言うのは別に、 その曲の中でそれぞれの音、和音、リズムの曲の中における必然性という物もある。 その必然性の密度が高ければ高いほど、楽譜に記録する価値が出てくる、と思う。 楽譜と言うものは、世界中の音楽の中でも特に西洋音楽にユニークな記録・伝達方法だ。 私は民俗音楽に疎いので間違っているかも知れないが、 ここまで作曲家の指示・意図が微細に記録できるのは西洋音楽の楽譜だけだと思うし、 だから西洋音楽は他の音楽に比べて大きく、素早く、歴史と共に(超えて?)発展することができた。 その発祥自体が西洋音楽の性格と、長点、そして限界を元から含んでいると思う。 カトリック教会において、神を讃える方法としてのチャント(俗にグレゴリアン・チャント、6世紀?)を それぞれの地域のローカル性、世俗性を含まない、完全に統一されたものとしてコントロールしよう、 と言う考えから発達された方法なのである。 ここでちょっと話を飛躍させて、私がいつも考えている「記録する」と言う行為について書きたい。 言語には(私が理解する限り)2種類あって、それは文字を持った言語とそうでない言語である。 例えば、日本語はもともとは文字をもたなかった言語だ。 アメリカン・インディアンの言葉もそうである。 文字を持った言語がより「優秀」な言語かと言うとそうでは無くて、態度の問題だと思う。 言葉で捉え得るものを記録する価値があるものとするか、否か。 記録する価値がある、とした文化は記録したものの上に考えや見解を積み重ねていけるから、 文化的発展や、自信・信念を確固と持つことはより可能になる。 でも、記録しないことによって、瞬間瞬間の感覚をより新鮮に、直接受け止める能力、と言うのもある。 先入観、と言うものができにくいからだと思う。 記録しないものを発展させるのは、自然とより長い時間がかかるが、 でも、意思の力が介入しにくい分、より自然、あるいは「本当」の発展ができる、と言うこともあると思う。 楽譜に記録する必要性の高い音楽、と言うのは実は少ないと思う。 例えば、古典派の音楽では「革新」的であると言うのは必ずしも望ましいことではなかったので、 音楽家どおしの「常識」と言うのは幅広く、作曲家がヒントの様な事を書けば 後は演奏家と「ツーカー」で分かりあうところが多く、だから強弱記号など、省いても良かった。 それが、歴史が進むにつれて作曲と演奏と言う行為がどんどん分業化されて、 しかも音楽が「革新的」「独創的」であることがどんどん良しとされ、 今まで誰も思いつかなかったことを作曲家が血眼で捜すようになり、 楽譜の記法がどんどん複雑になり、現代音楽がどんどん一般から遠いところで存在するようになった。 ミルトン・バビット(Milton Babbit, 1916年生まれ)が1958年に書いた 「Who Cares If They Listen?(聴いてくれなくても、気にしない)」と言う有名なエッセーがある。 前衛的作曲家のバビット氏が 「最先端の科学は私たちの日常生活と何の関係もないけれど、その意義を社会的に認められ、大学にその居場所を確保されている。前衛音楽も同じように、一般聴衆とは全く別のところで大学に居場所を保障されるべきである」 と論じるエッセーだ。 これが、今までの芸術の歴史の流れと、今の世の中を反映した、芸術観? それではあまりに悲しすぎる。 私は一人の聴衆、演奏家、そして人間として、それに甘んじることはできない。 今度の11月に私が弾くベルぐはショーンベルグの弟子で、後に無調性、12音階の作曲家となるが 私が今回弾くピアノソナタはその作品1、ちょうど100年前の作品だ。…
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今日、オバマ大統領のスピーチの生放送を見た。 アメリカのhealth care system reformに関してのスピーチである。 アメリカの保険には色々問題があり、それは私の様な人間にも直接関係してくる。 facebookと言う、日本で言うmixiの様な、ソーシャル・ネットワーク・サイトでは、 最近こんなメッセージが出回っている。 80%of the uninsured have full-time jobs. 62% of all bankruptcies in theU.S. are because of unpaid medical bills. 75% of those actually havehealth insurance. Enough is enough: time for reform. If you agree,please post this as your status for the next 24 hours.(現在保険に加入していない人の80%はfull-timeの仕事を持っている。アメリカで申請される破産の62%は病院への支払いができない人からで、その中の75%の人々は保険に加入している。もう十分です。改革の時の今です。賛成する人は自分の「今日の気分」のところに貼り付けて、24時間そのままにしてください。) この統計がどこから来ているか私にはちょっと分からないが、 今まで聞いてきたアメリカの保険にまつわる醜聞を考えると、本当では無いかと思えてくる。 オバマのスピーチを聞いていると、4年後には全く違ったアメリカになるような気がしてくる。 彼の声音はとても真摯に、希望に満ちて聞こえる。…
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タングルウッド音楽祭にいる時はほぼ毎日、時には一日に二回以上、演奏会に行っていた。 しかし、タングルウッドの最終日、8月16日以来、音楽会には一度も行っていない。 始めは少し食傷気味だったし、移動や、引っ越しや、学校が始まって友達との再会とか、 色々在って演奏会に行きたい、とも思わなかった。 それに演奏会シーズンは9月下旬まで始まらないので、まだあんまり演奏会も無い。 でも、この数日、なんだか「演奏会に行かなきゃ」と言う焦燥感の様な気持がしてきた。 こんなこと、生まれて初めてである。 練習していると、自分の音楽が外からのインプットを必要としているのが分かる、そんな感じ。 図書館に行って、今学期演奏するブラームスのピアノ四重奏第二番の録音を借りて聴いた。 リヒテルと、ボロディン四重奏のメンバーによる演奏である。 生演奏の録音で、一楽章はリヒテルの演奏にちょっと不安定な所もあったが、 全体には圧倒的な演奏だった。引き込まれた。 弦がほとんどヴィブラート無しの完璧な音程で、ピアノの反映、エコー役を務める。 ピアノは、弦に溶け込むような音を出す。 夜は、今学期最初のピアノの「Playing Class」が在った。 コルバーンのピアノ科の生徒がみんな集まって、先生と一緒にその週に仕上がった曲を聴く。 昨日のクラスでは、サンサーンスの協奏曲2番、ショパンのアンダンテ・スピナート、 アルベニスの「テュリアーナ」と「コーパス・クリスティ」、ショパンのソナタ2番、 そしてラヴェルとシューベルトの三重奏を聴いた。 皆確実にうまくなっている。 リヒテルの録音とはまた全く違った意味で、非常に感動した。 私は、幸せな環境にいるなあ、と思う。
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今度のリサイタルで弾くべく今練習しているシューベルトのソナタ19番、D. 958ハ短調は シューベルトが梅毒で、若干31歳で亡くなったその年に書かれている。 当時梅毒は治療法が無く、梅毒は死刑宣告だった。 26歳で梅毒の診断を下されたシューベルトはそのあと、 歌曲の詩に多く、死を唯一の逃げ道、あるいは友達、あるいは美しいものとして描写する物を選ぶ。 そのシューベルト死後一年経って、シューマンがこんなことを言っている。 「Where other people keep diaries in which they record their momentary feelings, etc, Schubert simply kept sheets of music by him and confided his changing moods to them; and his soul being steeped in music, he put down notes when another man would resort to words (普通の人が日記にそれぞれ、その時の感情などを記録するように、シューベルトは五線紙に移り変わる自分の感情を書きつけ、打ち明けます;彼の魂は音楽にどっぷり浸かっているので、普通の人が言葉に頼るところを、シューベルトは音符に託すのです。)」 何が、シューベルトのどの曲が、シューマンにこう言わせたのだろう。 「A happy…
