タングルウッドでの演奏、その2

今日の夜、8時からの歌のリサイタルに伴奏で出演した。 プエルトリコ出身のローザが自分で選んだプエルトリコの作曲家Campos-Parsiの4つの小品だ。 声楽の伴奏と言うのは、ただ単にピアノを譜面どおりに弾けば良いと言うものではなく、 歌詞を(それが何語であろうと)すべて一時一句理解して、 フレーズのどこに重要な言葉が来るか、どこに句読点が来るか、 歌手がどこで息をするか、どこで言葉の明確な発音の為に微妙に余分な時間が必要か 全てを理解し、弾かなければいけない。 本当の声楽伴奏の専門家は、ドイツ語、イタリア語、フランス語位は読み書きできるだけでなく、 きちんときれいに発音ができて、それを歌手に教えられなければいけない。 凄い人になると、その上にロシア語や、スペイン語など、他の言語もできる人もいる。 オペラのアリアの歌詞なんて言うのは、空で覚えて弾きながら歌えなければいけない。 四年前までタングルウッドのピアノのプログラムは、 単純にピアノの演奏と、他の楽器との共演を勉強するプログラムと 声楽伴奏専門のプログラムに分かれていた。 しかし、4年前からこっちタングルウッドの方針で何でもできるピアニストを育てる、 と言う風に方針が変わり、経験の有無関係なく、すべてのピアニストに 全ての役割が振り分けられるようになった。 私は11人いるピアニストの中で、もしかしたら一番声楽伴奏の経験が少ない。 イタリア語とドイツ語はすこ~しかじったが、語学の才能がないので、ほとんど覚えていない。 テープ審査を通った段階での電話面接では、その点をしつこく追及された。 「なぜ、今まで声楽家との共演が他の経験に比べて断トツにすくないのか」 「学びたい、と言う気持ちはあるのか?」 「あなたは自分の学習能力が十分に早いとおもうか」など、など。 だから、来るにあたって、自分でもその点が少し不安だった。 しかしここに来ている声楽家たちは本当に素晴らしいし、 私が自分の声楽伴奏の経験が少ないことを打ち明けると、 本当に一生懸命色々教えてくれようとする。 歌詞を一時一句説明してくれる時なんて、 みんな気持ちが入り込んで、目がきらきらして、身振りまで入ってくる。 そういう彼らに励まされて、触発されて、 先生たちにも手取り足取り教えてもらって、 段々色々感じ取れるようになってきた。 今日のコンサートは(自分で言うのもなんだが)、 一昨日足をくじいて松葉杖でステージに登場するはめになり、それでかなり上がってしまった歌手を うまくサポートして弾けたんでないか、と思う。 そういう風に他の歌手たちや、先生方に褒めてもらって、とても嬉しかった。 そして、歌手伴奏専門で来ているピアニストたちの演奏を聞いて、もっともっとうまくなりたい、と思った。

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タングルウッドでの演奏, その1

毎週日曜日、朝の10時に研究生たちによる演奏会がある。 朝10時なんて変な時間だが、もっと時間が遅くなると暑くなってきついので、と言うことらしい。 7月上旬の今はまだ、涼しくて日中も快適なんだけど。 そのコンサートで今日、私はルーカス・フォスの「スケルツォ・リッチェルカーレ」と言う独奏曲と 今まで何回もブログで触れてきた、メンデルスゾーンと三重奏2番を演奏した。 金曜日のドレス・リハーサルを自分で録音して、残響の多いオザワ・ホールで、 しかも結構癖のあるニューヨーク・スタインウェイで、どう効果的に弾くか 結構頭をひねって、友達にもいろいろ意見してもらって以下のことを決めた。 #1 ペダルは最小限。 #2 ベースをしっかり響かせ、チェロをサポートする。 #3 左手がリズム・セクションのところはスタッカートでショスタコの様に弾く #4 セクションの変わり目のところでは、残響を聞いて、隙間を与え、メリハリをつける。 それから、今年の春一緒にフォーレの四重奏を演奏したコルバーンのヴィオラの教授、 ポール・コレティ氏にリハーサル中に言われたことを、もう一度反芻した。 「リヒャルト・ストラウスは晩年、 オーケストラ奏者の技術が自分の若い時に比べて向上してきて、 自分の超絶技巧のトーン・ポーエムの音を全て正確に弾こうと言う野心を持ち始めた時、怒ったんだよ。なぜだかわかる?ストラウスは、弾けない、という前提でああいう難しいパッセージを書いたんだ。弦楽奏者が弾こうとして、バラバラに崩れる、その音が欲しかったんだよ。君は指が良く動くし、それは良いことだけれども、音をすべてクリーンに弾いて得意になっているのは、無意味だよ。音の意図、音楽の中でのそれぞれの音の意図、と言うのは、あるいはそんなに明瞭に一つ一つの音を弾いてのけない方がより効果的に伝わることだってあるんだよ。」 そうして昨日の夜、今朝とヴァイオリンとチェロの子と色々話し合って、ゆっくりさらって 今日の演奏会を迎えた。 演奏を自分で描写するのは難しい。 言えるのは、今まで行ったどのリハーサルでよりも、目線を多くかわして、 楽章間でにっこり励まし合って、そして聴きあって弾けた、と言うことだけだ。 研究生仲間や、もう何十年も研究生たちを支援するボランティアを続けている人達、 教授群や、遠くから演奏を聴きにわざわざ来てくれた友達、いろいろな人に喜んでもらえた。 あとでキャンパスを歩いていたら、見知らぬ人から、握手を求められた。 一通りの、おめでとうと褒め言葉に続いて、こんなことを言われた。 「プログラムを見て気がついたんだけど、 君は日本人で、ヴァイオリンは中国人で、チェロは韓国人だったんだね。 プログラム後半でベートーヴェンの晩年の四重奏を演奏したグループも ドイツ人とイスラエル人とアメリカ人のミックスだったし、 世の中は進歩しているんだね。」 そうかもしれない。 戦後、64年。 確かに私の祖父母には、自分の孫がアメリカで、 中国人や韓国人と共にピアノを奏でることになるとは、 想像できない時代もあっただろう。 音楽と言う言葉を「音が楽しい」と読んで、「音学ではありません」、 とか言うのが一時期はやったが、 私は「楽しむ音」とも読めるんじゃないか、と思う。 人生を精一杯生きている音、社会を一所懸命反映している音、 そういうのが音楽ではないか。 そして、社会が病んでいる時は、音楽は抑圧されてしまう。 逆に健全な社会を奨励する、と言う意味で少々苦しい逆境にあっても 音楽活動を続ける、と言うのはありだろうか? 今世界中が不況で、演奏会を興行してもらうのが心苦しくなるときがある。 自主的に辞退するべきだろうか、と悩む時もある。 それでも、演奏活動を続けるのが、私の使命なのか? それとも、そういうときは冬眠して、 みんながもっと余裕がある時にまた音楽を提供できるようしこしこ練習して 力とレパートリーを蓄えた方がいいのだろうか?

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この頃良くされる注意、覚書

「歌や、弦と共演する時は、クレッシェンドは彼らの少しあとから始め、 デクレッシェンドは彼らの少し前から始める。 いつも、ピアノの方が音量的に圧倒しやすい立場にあることを念頭に、 相手を下から持ち上げてあげるつもりで弾く。」  -レヴァインの口癖、と色々な先生から言われる。 「(特にセクションからセクションへのつなぎの部分で) クレッシェンド=音量と共に、タイミングも幅を広げていく感じで、大きくしていく デクレッシェンド=音量と共に、タイミングも幅を狭めていく感じで小さくして行き、すっと終わる」 ―エマニュエル・アックス 「曲を聴くとき(あるいは曲を頭の中で聴いて、構想を練る時)、 メロディーから聞いて、ハーモニーを埋めて、最後にベースを聴くのでは無く、 最初にベースを聴いて、それからハーモニー、そしてメロディーを付け足すと、 構造がよりクリアにわかる、方向性のはっきりとした演奏になる」 -私の学友のジョン 「ギリシャの建築物の円柱と言うのは、等間隔に見えるけれども 実は等間隔に見えるように微妙にずらしてあるんだよ。 拍も同じで、大事なのは機械的に等間隔にあることではなく、 等間隔に感じられ、音楽的に拠り所となる、と言うことなんだよね。」 私の先生、ジョン・ペリー 「歌曲では、歌詞が音楽を触発しているので、そのように歌わなければいけません。 歌詞が付いていないところでも、 想像力を働かせて、歌詞がある個所と同じくらいの意図をもって弾いて下さい」 ―Phyllis Curtin、声楽家

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Claude Frankについて

Claude Frank(クロード・フランク)氏は、シュナーベルや、カール・ウルリッヒと言った巨匠たちと勉強した、 自分自身もすでに伝説的なピアニストで、 1990年に再出版された彼のベートーヴェン・全32のソナタの録音は アメリカのレコード・ガイドによって第一位に選ばれた。 特にドイツ物によって一目置かれている。 私は去年の夏にも別の音楽祭で、彼の演奏を聴き、公開レッスンで稽古をつけてもらっている。 その時から、私も年をとったらああいう音楽家になりたい、と言うあるあこがれも混じった目標として 大変尊敬の念を持って、宝物のような気持ちで思ってこの一年来た。 今回、その気持ちがまた強くなった。 フランク氏はすでに84歳だ。 今でも、フィラデルフィアにあるカーティス音楽院や、イエール大学で精力的に教えているが、 近年、少し物忘れが多くなって、例えば数年前に亡くなった奥さんのことを探しまわったり、 自分の受け持ちの生徒の演奏に感動して 「あなたは素晴らしいピアニストだ!一体誰に師事をしているのかい?」 と、本気で質問してしまったりする。 去年に比べて、今年のレッスンはもっとこと細かいディーテールに及び、 口調もよりはっきりしていて、なんだか前より元気になったような感じを受けたが、 それでもベートーヴェンの31番目のソナタを演奏したピアニストの、一楽章のレッスンが終わった所で 「さあ、次の楽章をちょっとやろう」 と言って28番目のソナタの2楽章について、指示を出し始めてしまった一瞬もあった。 そういう自分自身に対する不安とか、体の不都合などもあるだろうに、 まったくそういうことを感じさせずに、嬉嬉として音楽についてしゃべり続け、 実に緻密な稽古を、ホールの次の使用者が入ってくるまで、いつまでもつけてくれる。 指の関節はリュウマチの為に硬直して、変な角度でおり曲がっている。 それなのに、演奏会でも、レッスン中にデモンストレーションする時でも 弾き始めると、実に美しい音で、実に美しい音楽をかもしだす。 それぞれの曲にこうあってほしいと言うイメージがあまりにも確固として彼の中に在って だから指が動かなくても、そのために少々ミスタッチがあっても その音楽はゆるぎなく聞き手に明確に伝わるんだと思う。 私の前にベートーヴェンの31番目(作品110)のソナタを弾いたイングリッドは 楽譜をよく読んだ真面目な演奏をして、「もう少し表現を誇張してごらん」と言われていたが、 私は反対に 「セクション毎に、聴衆に分かるくらい、テンポや音量や音色を変えてしまうのは、やりすぎだよ。分からないくらい変化をつけて、聴衆に (何が起こったか分からないが、感動した)と思わせるのが本当だ。 そこの違いを間違えないで。」 と言われ、その節度の中でどう表現豊かに弾くか、と言うことについて厳しく言われ続けた。 モーツァルトの指示には厳しく一時一句従うのだが、 その指示の一つ一つをどう解釈して読むか、 どこまで強調するか、それとも控え目にするのか、一瞬のタイミング、どの個所で拍の頭に弾くか、お尻で弾くか、 どこで息をするか、どこで句読点を入れるか、どこからどこまでを一息で弾ききるか、 私が弾く途中、ずっとうなり続け、歌い、拍を数え、 「Beautiful, beautiful」 と叫び続け、「Forte! Now, piano!」 としゃがれ声をありったけ張り上げて私に3回通させた。 レッスンの後で、 「この曲は一番難しい曲の一つだ。モーツァルトの中では一番ロマン派的な表現を使っているが 節度を超えるとモーツァルトでなくなってしまう」 と言っていた。 昨日に引き続き、今朝もフランク氏による公開レッスンが在った。 今日はデイビッドがベートーヴェンの最後のソナタを弾いた。 その演奏に同じようにレッスンをつけるフランク氏を見ていて、私は涙が出てきてしまった。

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クローデ・フランクに聴いてもらう

今日は本当にいろいろあった日だった。 9-  練習 10- Phyllis Curtain(声楽家) の公開レッスンの伴奏 12- 友達と食事 12:30- 練習 2-  クローデ・フランクの公開レッスン(モーツァルトのロンドをレッスンしてもらった) 4-  図書館で勉強 5-  声楽家コーチングの伴奏 6-  食事、練習 7;30-メンデルスゾーン三重奏のドレス・リハーサル 8:45-ボストン交響楽団、レヴァイン指揮、チャイコフスキー交響曲6番&ピアノ協奏曲(ブロンフマン) ハイライトは何と言ってもクローデ・フランクの公開レッスンだ。 3;30に終了のはずを大幅に延長して、1時間以上の稽古をつけてもらった。 なんという優しい人、そして、なんという激しい音楽根性! それからブロンフマンのチャイコの協奏曲も物凄かった。 ブロンフマンには実は5月に公開レッスンで、 ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲を聴いてもらう機会があった。 そのことも、クローデ・フランクの公開レッスンのことも 書きたいことは山ほどあるのだが、もうくたくたに疲れ果てているので、 明日書きます。 何しろ、とっても良い日だった。 ジェームス・レヴァインのチャイコフスキー交響曲6番の緊張感は物凄かった。 野外コンサートとは思えないほど、聴衆がピーンと緊張して 固唾をのんで聴いているのがわかる空気だった。

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