2008年のプログラム

毎年、プログラムを決めるのは楽しみです。  メニューを決めるコックさんもこんな気持ちなのではないか、と思います。 バラエティーも勿論大事ですが、一貫したテーマ、と言うのも欲しい。 また曲どおしがお互いを活かしたり、殺したりすることもあると思うので、そこも大いに考慮しているつもりです。 今年はベートーヴェンの大曲、ハンマークラヴィア・ソナタを後半に据え、前半はソナタの誕生から発展を追って、ソナタの形式と歴史を提示するプログラムにしてみました。 曲目は以下の様になります。 ドメニコ・スカルラッティ:ソナタ 二短調、K.5(1738)…… 4’00” (1685~1757)        -Allegro non troppo (アレグロ、でも速すぎず)              ソナタ ニ長調、K. 119(1749)                     -Allegro (アレグロ)…… 5’00”  W.A .モーツァルト:ソナタ2番、ヘ長調、KV280(1775) (1756-1791)    1楽章、Allegro assai (充分アレグロで)…… 4’45”                2楽章、Adagio(アダージオ)…… 6’33”                3楽章、Presto(プレスト)…… 3’12” ジョセフ・ハイドン:ソナタ59番、変ホ長調、Hob.XVI/49 (1790) (1732-1809)   1楽章、Allegro (アレグロ)…… 7’26”               2楽章、Adagio e cantabile (アダージオで歌って)…… 8’14”               3楽章、FINALE-Tempo di Minuet                (フィナーレ、メニュエットのテンポで)…… 3’56”          (休憩) ベートーヴェン:ソナタ29番、変イ長調、作品106 (1770-1827)  「ハンマークラヴィア」(1818-1819)                1楽章、Allegro(アレグロ)…… 11’00”                2楽章、SCHERZO―Assai vivace                      (スケルツォ―充分と生き生きと)…… 2’38”                3楽章、Adagio sostenuto                      (歩くテンポをやや引っ張って)…… 19’23”                4楽章、Largo:Allegro risoluto                      (ラルゴ:決然とアレグロで)…… 12’16” […]

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最近の練習

今、久しぶりに練習に没頭している。 朝起きてから夜寝るまで一日中、練習を最優先に私の時間が過ぎていく。 この曲を、何時間後のリハーサルまでに、翌日のレッスンまでに、来週の演奏会までに、とゴール目指して全力疾走するような練習が日常だから、こういう日々は贅沢な気分だ。 朝一番にまず、ピアノの前に座って自分の姿勢を確かめる。 自分の体の重心をなるべく下げて丹田に気合を入れ、上体のバランスを整え、肩から指先までを流すような気持ちで鍵盤に配置する。そしてゆっくりとスケールを弾く。一番小さな指の動きを一番大きな背筋から行う。過去のレッスンでさまざまな先生から「お尻から弾け」と何度言われてもずっと言葉のあやだと思っていたのが、間違いだったと気がついたのは本当に最近だ。 指がいくらまわっても、指先でできることには限りがある。指先でこなそうとあがいている限り、不必要な力が入り、動きに無駄が出る。そして何より弾いていて苦しい。腹筋、背筋からピアノを弾くと、自然な呼吸と楽な動きで自然な音楽ができる。一々の指先の動きは大きな音楽の詠いまわしの邪魔になることなく、単なる副作用になる。 そういう練習を毎日している。

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サラソタ音楽祭

6月の下旬、日本は梅雨の盛りでしょうか。 今日まで三週間、フロリダ州のサラソタ音楽祭に参加して参りました。サラソタは粉の様にきめ細かくて真白な砂浜と体温より温かい海水に恵まれた亜熱帯地区に在る町です。観光も盛んですが、むしろ引退した人が多く移住して来たり、「スノー・バード」と呼ばれる、避寒の為に冬だけサラソタの別荘に越してくるお金持ちの多く住む、観光地よりも落ち着いた雰囲気の町です。芸術支援にも熱心で、町の至る所に彫刻が見られ、音楽祭でも数多くのボランティアと個人や企業の寄付金で運営がなされていました。地域の人々の関心と熱意は、生徒に寄せられる晩御飯の招待の数でも明らかです。毎日の様に掲示板に「水曜日の夕飯、3人、お迎え5;30」と言った招待状が数多く貼り出され、ソコに名前を書くとご馳走になる事ができます。地域の誇りである音楽祭の支援を通じてのコミュニティーの一体感、そして芸術や若者の育成に関わっているのだという意気込みがひしひしと感じられます。私もボランティアの方に一度日本食レストランに連れて行ってもらってご馳走になった他、ピアニスト全員で動物園に招待されたりもしました。海水浴もちゃんとしましたし、プールでも何回も泳ぎました。そして毎晩、こう言う音楽祭では恒例の呑み会が生徒・教授混同の無礼講で行われます。 と言っても勿論、遊んでばかりいた訳では在りません。 振り返ってみて3週間でどうやったらこれだけの事をこなせたのか不思議ですが、以下が私がこの音楽祭で演奏した曲目です。 6/8  ブラームス、ピアノ四重奏3番、三楽章(Selby Libraryでのコンサート) 6/10 ブラームス、4つのピアノ曲、作品119 (クローデ・フランクの公開レッスン) 6/12 プーランク、木管三重奏、二,三楽章(Holley Hallでのコンサート) 6/13 ドビュッシー「月の光」音楽祭の大口個人ドーナー宅におけるコンサート 6/15 プーランクの木管三重奏 (地域の教会でのコンサート) 6/17 ブリテン、オーボエとピアノの為の変奏曲 (オーボエの公開レッスン) 6/17 ベートーヴェン、6つのバガテル、作品126(ジョン・ペリーの公開レッスン) 6/18 ベートーヴェン、「ハンマークラヴィア」(ボブ・レヴィンの公開レッスン) 6/19 モーツァルト、クラリネット三重奏、三楽章 (Holley Hallでのコンサート) 6/21 シューベルト、ピアノ五重奏「ます」5楽章 (オペラ・ハウスでのコンサート) この音楽祭で演奏した4曲の室内楽はすべてそれぞれ4時間から8時間のリハーサルと2~4時間の指導を経て、演奏に備えます。そして勿論、自分の演奏だけでなく、教授や受講者の演奏会も聴衆の一員として参加します。自分が演奏した音楽会のほかに、聴衆の一員として参加した演奏会が約12回、時間にしてざっと20時間位です。 この音楽祭で私はいくつもの忘れがたい経験をしました。ひとつは伝説的なピアニスト、クローデ・フランクの人柄に触れ、演奏を聴くことができたことです。シュナーベルの生徒だったフランク先生はすでに80代半ばです。指は勿論、体中の関節炎のためまっすぐ立つことも、歩くことも不自由で、こう言ったら失礼かも知れませんが可愛いヨチヨチ歩きです。ステージの昇り降りの際は思わず回り中の人間が手を差し伸べてしまうほど危ういのに「よっこらしょ」と転びそうになりながらピアノに向かって歩いていきます。 公開レッスンでは幸せそうに生徒の演奏を聴き、「素晴らしい!何と美しい! 本当にどうもありがとう!」と生徒が恥ずかしくなるほど手放しで褒めてから後、細かい、細かい指導があり、そしてお手本で弾いて見せてくれるとこれがまた、まるで別の曲の様に素晴らしいのです。 ここで生徒は「じゃあ、最初に褒めてくれたのは何だったんだ」と思うのですが、これは生徒同士の話し合いの結果「演奏を褒めたのではなく、曲を褒めたんだ」という結論に至りました。 ヴァイオリンの教授として同じ音楽祭に参加していた娘のパメラ・フランクさんによると、フランク先生はもう演奏することは苦痛なようです。関節炎の為、指が伸びず、ミスタッチが多くなり、納得の行く演奏ができないことを悩んでいるようです。でも、フランク先生がベートーヴェンの最後のソナタ、作品111を演奏したときは、私は言葉で表現するのが難しいひとつの体験をさせてもらったと思いました。彼の体の中に曲の最初の音から最後の音までがすでに完結した一曲としてはっきりと存在しており、彼は聴衆のためにそれを一音ずつ体から出してくれているだけなのです。そしてその体の中の音楽があまりに確固たる物であるために、ミスタッチで演奏が惑わされることは全くなく、音楽が絶対的な世界として実感できるのです。私は80代、90代まで生きて、ああいう演奏家になりたい、とはっきりと思いました。新しい志を見つけられた、と思いました。 もう一つの忘れたくない経験はピアニスト、ロバート・レヴィンに出会えたことです。ロバート・レヴィンは音楽祭の総監督、かつピアノの教授として参加していたのですが、彼は古楽器演奏の一人者でハーバードの教授でもあります。この人は本当に浮世離れをした、知識の泉というか、とにかく一旦音楽についてしゃべりだすととまらないのです。興奮して、どんどん、どんどん話が広がっていき、そして言っていることのすべてが文献や彼が実際にリサーチした事実に基づいているのです。私は何回か20分から50分くらいハンマークラヴィアやそのほかのことについて会話をする機会を持つことができましたが、50分話を聴いたあとは頭ががんがんして、すぐに自分の部屋に戻って教えてもらったことをノートに書き出して整理をしないと勿体無い、という強迫観念で大変な気持ちでした。 第一日目に出会って初めて講義を聴いたあとは、感動して、私はピアノ演奏をやめて、音楽学者になってロバート・レヴィンと勉強するべくハーバードに行こう!と興奮しましたが、何回か話をしているうちにとても及ばないことがわかったので、やはり素直にこのまま練習・修行を重ねよう、と気持ちを新たにしました。 実に、実に、充実した3週間だったと思います。新しい友達にたくさん出会い、知らなかった曲をたくさん発見し、いろいろ考え、いろいろ話し合い、人の考えを知り、自分の考えを深めるきっかけとなりました。

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ベートーベンのハンマークラヴィア

皆さん、いかがお過ごしでしょうか? こうして年に数回の御手紙をしたためていると、本当に時間の不思議を実感します。 9・11が起こった2001年に初めてのリサイタルをさせていただいてからもう7年半、今年で8年目になるのですね。 最初の頃は、暗譜が本当に怖かった。ショパンの24のプレリュードや、ラヴェルの鏡など、短い曲を探したのを覚えています。その私が今年はハンマークラヴィアを学んでいる!これはもう、サウンドウェーブに育んで頂かなければ在り得なかった一大事で、それだけでも私は嬉しいのですが、そのハンマークラヴィアを日本で弾くか否か、という事が今日のお便りの主題です。 ハンマークラヴィアは50分。  32あるソナタの中でも、名実ともに飛びぬけて大曲です。弾く本人はむしろ時間をかけて消化しているし、曲に対して実際働きかける事が出来るので、むしろ聞く方に更なる気力、体力と心構えを要求する曲かも知れない。 恥ずかしながら私は、初めてこの曲を生で聴いたときは、居たたまれずに途中で会場から避難してしまいました。若手の堅実な演奏で、今から思えば多分とても安全無難な演奏だったのだと思う。私の他にも観客の多くが前後して退場していたのを思い出します。 この曲は逸品と言っても、曲を尊重してただ音を並べてもだめな曲だと思う。 ある程度芝居心、と言うか気を張って「間を持たせる」という事をしないと本当にだれてしまいます。それに挑戦してみたい気も多いにします。武者震いしちゃう。 でも、来て下さる聴衆の皆さんに本当に喜んでいただけるか心配です。 去年のプログラムはとても喜んでいただけました。 デモ、理由の半分は私が始めて「普通」の曲を弾いたから、と言うのは否めません。シューベルトの即興曲や熱情、リストのため息などはピアノ・リサイタルの定番だし、有名だから教材にも良くなるので「昔、音大生だった頃に弾いた」、「娘(或は隣のお姉ちゃん等、)が子供の頃練習していた」等、個人的な連想がしやすい。 要するに、親しみやすいと言うのはどのような理由であれ、どれだけ感情移入がしやすいか、という事だと思います。例えばその前の年に弾いたチャイコフキーの「四季」等はそれほど有名では無いけれど、同じ雪国の日本人の叙情に訴えかけるようなメロディーと、題と詩がそれぞれの曲についてくるので、あるはっきりとしたイメージを持って聴け、感情移入がしやすいのだと思います。 それに比べて、ハンマークラヴィアと言うのは感情、と言うのを超越しているのです。 例えば、私が弾いた四季の8月、9月、10月、11月の中から一番叙情的で私の母の一番のお気に入りだった「秋の歌」は5分弱でした。 ハンマークラヴィアの叙情的な三楽章は20分、ピアニストによっては25分です。 この三楽章は、この世の物と思えない美しさです。 人によってはどん底の悲しさ、と言いますが、私はそういうものを達観してしまった、あきらめと言うか、哀れみというか、兎に角、凄いのです。弾いているときはもう頭の中はぶっ飛んでいます。終わって欲しくない。 バッハの一番複雑なフーガを弾いている時に似た緊張感ですが、同時に陶酔感もあります。 ところがそれがついに終り果てて、感情的にもう出し尽くしてしまった時に、すぐにハンマークラヴィアの中で一番難解、かつ難儀な4楽章が始まるのです。 この4楽章が曲者! 弾くのも難しいのですが、理解するのはもっと難しい。 私は弾けるようになったけれども、まだ完全に理解できていないと思います。デモなんだか分からないけれど、急き立てられるようなエネルギーはドンドン盛り上がり、弾き終わる頃には洋服が汗で本当にぐっしょりです。  私は今まで曲を弾きとおしてこんなに汗を書いたことはありません。ちなみに、初めてレッスンでこの曲を弾きとおした次の日、私は上体くまなく筋肉痛で、びっくりしてダンサーの友達に「ずっと長いこと練習していて、練習では何でもなかったのに本番の後筋肉痛になる事ってある?」と聞いてみました。すると、「本番ではアドレナリンが体内を巡っていて、普段苦しいと感じることに麻痺しているので、普段よりも頑張ってしまい、よって筋肉痛が起こる」と、実に納得の行く回答が帰ってきました。 ハンマークラヴィアは凄い曲です。圧倒的です。 どうしましょう、弾きましょうか? デモ、私がこんなに愛している曲を弾いて、共感してもらえなかったら悲しいです。それに、この曲は弾くのもですが、聞くのも本当に疲れます!これは事実です。ハンマークラヴィアを聞いたあと、電車に揺られて夜遅くお家にたどり着くのは、大変ではないでしょうか? 今年のプログラムにハンマークラヴィアを入れるかどうか悩んでいたら、主催者の方から「ハンマークラヴィアを弾けるのは気力体力技術力、全て整っているときでないと弾けないから、やりたい時に是非弾いた方が良い」と励まされて、今年のプログラムの中心にすえることにしました。 今年も皆様に聴いていただけるのを励みに練習を続けています。 どうぞよろしく!!

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ブラームスのピアノ四重奏第一番

昨日、「コルバーン・室内楽・ソサイエティー」というコンサートシリーズの演奏会でブラームスのピアノ四重奏第一番の演奏をしました。 当校の生徒が世界的に活躍している演奏家たちと室内楽共演をする機会を設ける為のコンサート・シリーズです。 昨日の四重奏では私とヴィオラがコルバーンの生徒で、チェロはコルバーンの教授で長年LAフィルの主席奏者だったロナルド・レナード、そしてヴァイオリンはイスラエルから来たハガイ・シャハームと言う人でした。 この四重奏は色々な意味で大曲で、まず長い(40分以上)。 そしてメロディーの多くが悠長である。 弦楽器では割りと簡単にこれ等のメロディーを美しいく歌えるけれど、ピアノでは一音一音をつなげてこの長いメロディーを持続させるのに、かなりの工夫と練習、知恵を要します。 そして最後に構成が非常に大きく、複雑。 自分がピアニストだからピアノびいきになるのでは無くて、これはある程度客観的事実だと思うけれど、弦楽アンサンブルと共演する時、どうしてもピアノ・対・弦と言う風になる。 例えば、ヴァイオリンとヴィオラとチェロが3人で美しいメロディーを奏で合わせた後、全く同じことをピアニストが一人で繰り返すとか、弦が3人で同じメロディーを奏でているとき、ピアノが一人でメロディー以外の全ての複雑な絡み合いを受け持つ、など。 そして音量で言ってもピアノは3人の弦をあわせてもさらに優勢なので、テンポ、強弱、そして和声進行のほとんどの決定権がピアノに掛かってくる。 このように構築が複雑でセクションごとにテンポが変るような曲の場合、ピアニストの責任は多大なのです。このコンサートは話が来たときから正直に言ってプレッシャーが大きかったのです。 まず、私はこの曲は今まで弾いた事が無く、しかもレナード教授が最近手術をしたりで、リハーサルが余り多くできない事が初めからわかっていた(結局2回と本番前の通し稽古だけだった)。 そしてこのシリーズは外部からのお客さんの多い、学校の顔的存在のシリーズで、しかも先ほど言ったような事情から、ピアノの責任が非常に大きいので、このシリーズで演奏した過去のピアノの生徒は大抵非常に苦労していた。 一回目のリハーサルはかなり厳しかった。 ピアノパートは技術的にもかなり難しく、私はピアノパートをきちんと弾けるようにはして持っていったのだが、構築をはっきり把握する所までは勉強が行き届いておらず、セクションごとにテンポが速過ぎる、遅すぎると注意され、何も言えなかった。 さらにチェロの教授とヴァイオリンの客演が初対面でお互い遠慮かライヴァル意識か、お互いへの注意・要請を全て私への注意・要請へと摩り替えてコミュニケーションを図るので、私はとても辛い立場に立たされてしまった。 しかし、私は非常な負けず嫌いなのです!! 一回目のリハーサルの後、私は一気奮発して一生懸命勉強した。 まず、楽譜を分析して構築を把握し、それから録音を聴きまくった。特に、意外にもショーンベルグがこの曲をオケ版に書き直したのがあって、これは非常に参考になった。 正直に言うと、大体のピアニストは室内楽をそれほど練習しない。 暗譜のプレッシャーが無いし、ソロに比べての共演の気楽さもある。私も例外ではなく、室内楽のコンサートの為に必死で練習した経験と言うのは余り無いのだが、今回は頑張った! そして演奏会当日は、一人で一生懸命(遅ればせながら)ブラームスの伝記を読んで、とても悲しい気持ちになって(ブラームスは余り幸せに縁が無かったようです)一人で静かに気持ちの準備をした。 こんなに演奏会の当日、演奏に向けて自己管理に気を配ったのは実に10年ぶりくらいです。 まあ、そういう恵まれた環境にあって、たまたまそうするだけの時間と気持ちの余裕があったという事ですが。プロとして、こういう余裕を持つことはほとんど不可能で、演奏会当日、現地に向けて飛行機に乗ることもたびたびだし、主催者にご挨拶したり、最終打ち合わせ、照明・音響チェックなどであわただしくあっという間に本番になるのが普通。 又、もっとローカルな本番の場合は演奏会当日ぎりぎりまで、別のコンサートの為のリハーサルをしたり、生活の為のアルバイト的仕事を入れたりと、どうしてもそうなってしまうのです。やはり、音楽学生と言うのは、恵まれているというか、甘やかされているというか。デモ、兎に角昨日はそういう自分の状況を最大限に利用して、一日このブラームスの演奏に向けて心の準備をした。 デモ、やりがいがありました。 色々あったものの2回のリハーサルと最終通し稽古を通して私たちはやっと気心が知れたのか、本番中はお互いの意図が手に取るようにわかって初めてぴったりと息が合い、弾き終わって一瞬で観客が総立ちしてくれたのです。演奏中も、200人くらいの聴衆の誰も物音を立てず、楽章と楽章の間でもピーンと空気が張り詰めていて、固唾を飲んで聞いてくれているのが、肌で感じられて心強かった。 邪念無く演奏しきれた。 本当にいい経験だった。

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