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2人のアームストロング

人類初の月面着陸を達成したニール・アームストロングが死んだ。名声を好まない、静かで謙虚な人だったようだ。82歳だった。 自転車レースのランス・アームストロングがドーピング疑惑でレースから永久に追放され、これまで勝ち取った7つのメダル剥奪の可能性が出てきた。ドーピングはあくまで疑惑で証明されたわけではなく、このニュースはいろいろな物議をかもしている。 日本ではどれくらいのニュースになっているのだろう。日本に居る時、朝ごはんの時は大抵家族とニュースを見るのが日課だったけれど、日本のニュースがほとんどで世界情勢がほとんど無く、しかも報道の優先順位が良く分からなず、どのチャンネルでも同じ視点の同じニュースが多く、改めてちょっとびっくりした。 学校が始まって最初の週末。ゆったりと朝を過ごしている。昨日車を購入。アウトマではないので、スタンダード・スティックシフトの運転を新たに学ばなければいけないが、でもとても安く入手できたし、10年前のマツダ、と言う割りにはとてもきれいで良い状態。マイレージも比較的低い。まず満足。さらにステーション・ワゴンなので、引越しの時にとても便利。 学校は順調!学友との再会は嬉しいし、音楽専攻では無い学生、でも本当に取りたくて音楽理論をとっている学生に、音楽を理論を通じて紹介するのはとっても、とっても楽しい。でもやはり、まだアパートの準備が整わず、ドアからドアまで一時間強かかる登校を月曜日から金曜日まで続けて、少し疲れた。風邪気味。 日本で通勤・通学を片道何時間もかけてする皆、かつての私の父を含む皆を、すごいな~と素直に思う。 私はまだまだ甘ったれているな~。もっと、もっとがんばるぞ!!!

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韓国4日目-最終日

昨日の夜、どうしてもアイスクリームが食べたくて、ホテルの外の角にあったタバコ屋さんのようなところでアイスを買った。店番は老夫婦。私が韓国語を喋れないと分かると、やさしい顔で「チャイナ?」と聞いてきた。私は一瞬迷ってしまった。かなりの高齢だ。もしかしたら日本の植民地時代を体験した世代かも知れない。こんなにやさしそうな顔をした人に意地悪をされることは想像できないけれど、でも不快感を与えるのは忍びない。アメリカ、と言ってしまおうか。でも「ジャパン」と言った。言うことに決めたのなら堂々と、目を見て言えばよかったのに、目を伏せてしまった。「おお、ジャパン!」と向こうはあくまで友好的で優しかったが、私が目を伏せてしまったので、会話はそこで途切れてしまった。 それがちょっとさびしかった翌日の朝、こんな嬉しいことがあった。今日は練習が無くて、久しぶりに朝が暇だった。東大門の前の市場は必見と発起人に進められている。行ってみよう!地下鉄に張り切って乗った。ガイドブックは片時も離さない。地下鉄の路線マップなど、いつもどうしても必要な情報が満載だからだ。地下鉄に乗り込んで東大門についてガイドブックを読んでいたら、車内アナウンスがあった。もちろん全て韓国語である。「何かなあ?」と思っていたら、隣に居た50代くらいの男性が「どこに行きますか?」と日本語で聞いてきた。「東大門まで」と言うと、「この電車は次の駅が終点になります。でも、東大門なら次の駅で乗り換え出来ます。」と教えてくれた。とても嬉しかったので、さっきから(あ、日本人だ~)と思いながら意識していた、同じ車内の二人の日本人女性にも「次が終点になるそうですよ」と教えてくれた。二人はとても慌てていた。韓国人男性は親切なことに「私も乗り換えますから、一緒に行きましょう」と誘ってくれた。とても心強い。だからその日本人女性二人も誘った。「私は1番に乗り換えますけど、この人が連れて行ってくれるそうですから良かったら一緒にどうぞ」。二人はとても喜んで、結局4人で1番線まで歩いて行くことになった。男性は口数が少なく、でもいつも角を曲がる時などは3人がちゃんと付いて来ているかさりげなく確かめてくれて、とても感じが良い。1番線のホームに行くところで、男性が二人連れに「あなた方はどこまで行くのですか?」と聞いた。すると、二人の女性が行こうとしているところは1番線では行けないことが判明。男性はとても困った顔を一瞬して、でも次の瞬間私に向かって「私はこの二人を案内して正しい電車に連れて行きますから、あなたはこの電車で東大門まで行ってください」と言って、二人をつれてさりげなく去ってしまった。この人も本当は1番線に乗るはずだったのに、なんという親切!そしてこの人はどうして私たちにこんなに親切にしてくれる気持ちになったのだろう。私は本当に、本当に嬉しい気持ちになった。 お昼は世宗文化会館の地下一階のレストランで韓国の伝統的なコースを頂いた。これでもか、これでもか、といろいろな料理が出てくる。もう終わりか、と思ってもまだまだ出てくる。とても興味を持って一応全部に箸をつけたが、とても全部食べきれる物ではない。最後にはすの葉に包まれて炊かれた雑穀米が出てきた時はその包み方の美しさ、香りの高さ、色の美しさにとても心を打たれたが、でも半分以上残してしまった。ご馳走してくださったのはこの旅の発起人のご紹介下さった、韓国の日本近代文学の権威ある教授である。彼女は「中国と同じように韓国でもおもてなしをするときは、相手が食べきれないくらい出すのが礼儀なのです。だから残して良いのですよ」とおっしゃってくださったが、でもちょっともったいなかった。 その後光科門をくぐり、その向こうにある王宮を見学した。ちょうど日本語ツアーに間に合うことが出来た。韓国の民族衣装をまとったその方はとても流暢な日本語で見事なツアーを一時間、丁寧にして下さった。本当は日本が1895年に女王を殺したり、侵略した日本軍が王宮の2棟を残した全てを破壊した、などセンシティブな歴史もある王宮なはずなのだが、そう言うことは日本語ツアーでは最小限しか触れず、どのビルがどのような役割を持っていたか、それぞれの装飾にはどういった象徴的な意味があるのか、と言った説明に始終していた。王宮に隣接している民族博物館で、韓国の歴史を垣間見た後、インサドンでいろいろな勧告伝統の工芸品を扱うお店や伝統喫茶、屋台などで買い食いしたりして楽しんだ。 屋台にはいかにも「お父さん」「お母さん」的な人たちがぐつぐつといろいろな物を焼いたり、炊いたり、揚げたりしている。私はまず、日本の焼き鳥にとても似た物を頂いた。鶏肉とねぎが交互に刺さっていて、指差すと網で焼いてくれる。その後にコッチジャンという韓国の辛みそを塗ってくれる。「スパイシー、OK?]とか、手振りで私の白いシャツにソースがたれないように気をつけろ、とかいろいろコミュニケーションしてくれる。そして焼き鳥を食べ進めるにつれ、パチン、パチンと串を短くして食べやすくしてくれる。その次に食べたのはお母さん的な人がやってる屋台。日本の二つ分はありそうな大きな餃子を一つ、注文してあげたら「あいよ!」と言う感じで、ジューっと揚げてくれる。それから太巻きを薄い卵焼きで包んだ物も頂いた。おいしかったのもそうだけれど、身振り手振りの見知らぬ韓国人との意思疎通が嬉しくて、とても元気になってしまった。 こういうのが、一人旅の醍醐味だよなあ、と思う。ホテルへの帰りの地下鉄ででいろいろな外国で私が今まで経験したこういう醍醐味を思い出した。ギリシャの港で私の隣に座り込み、ギリシャ語で語りかけてきた老人。ジャマイカの市場で、ほしい野菜や果物をたずねて次々と的確に案内してくれて、報酬などは全く要求せずに最後に手を振ってニコニコと「私のこと、ずっと覚えていてね」と言ったジャマイカの10歳くらいの可愛い女の子。トルコの屋台で小さなカリカリのワッフルみたいな物を売っていた女の子。私はどうしてもその味が知りたかったのだけれど、両替したばかりで大きなお札しか無く、そのお菓子はとても安かったのです。そしたら「いいの、明日来た時払って」と言って、私におごってくれた。そこは沢山の客船がちょっとだけ止まる港場で私は見るからに外国人。その子の真意を計りかね、私が戸惑ったら、その子はサッサとお菓子を包んで、すっと差し出してくれました。そう言う一期一会をこうして韓国の最終日に思い出していると、なんだか涙が出てくるような気持ちになります。

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韓国3日目。「美人」考察

韓国一日目のブログにも書いたが、韓国には整形手術の宣伝、そしてクリニックの看板が多い。 演奏会場に行き、並ぶチラシを見て私が「みんな美人だね~」と声を上げたところ、一緒に居た友達が「この子は鼻を直してるね」「この子は目をいじったね」「この子は顔の輪郭を…」などそれぞれのチラシを指差して指摘し始めた。私にはそんなことぜんぜん分からないから、彼女の言っていることにどれくらい真実味があるのかにわかに信じがたい。でも彼女と別れて一人ソウルの道を歩いていると、美人とすれ違うたびに注意して見てしまう。 私がまだアメリカに行く前のある日、こんなことがあった。新聞の見開きいっぱいに「日本美少女コンテスト」の過去の入賞者何十人もの顔写真が並べられていたのだ。たぶん公募の広告だったのだろう。私はその顔写真を一つ一つじっくり見てみた。そして私はこの「美しい」とされる顔のどれにも似ていない、と言う事実を本当に悲しい気持ちで受け止めていた。しかし、一つ一つ写真を進み続けるにつれ、私はその写真がそれぞれとても良く似ていることに気がつき始めた。「私は美しくなるより、自分らしくなりたい」と決めたのはその時だ。 私は「自分らしさ」を追及するべく、割りと非常識な選択をして今までの人生を築いて来た、と思う。例えば、私は音楽の修行を、物質的豊かさや、将来のための貯蓄に優先させる、と言う選択を毎日している。今まで食べるのに困ったことが無いが、寝食に直結しない投資は「贅沢」と思ってきた。だから服は古着がほとんどだし、化粧などは本当につい最近まで演奏用にしか買ったことが無かった。そんな私を心配して、イカに視覚的印象が大事か、友人や支援者、そして家族は私にいろいろ助言や、叱責、時にはプレゼントまでしてくれたりした。 しかし、2012年が明けたころから私は化粧をし、ヒールを履くようになった。そして食べ物に気をつけるようになり、少しだけやせた。そう言う自分に対する金銭、時間、そして気持ちの投資がセルフ・イメージを向上し、自信につながる、と強く説教する人に言い負かされたからである。化粧やおしゃれの努力が直接自信につながっているかどうかは分からないが、しかし周りが前より好意的だ、と感じる。そして、それは気持ちが良い。気持ちが良いから、私も前より微笑むし、そうすると循環的にいろいろな事がどんどんスムーズに成ってくる。私は確かに前より幸せになった。 でもなぜ、人はすっぴんで運動靴の私より、化粧してヒールを履いた私に優しいのか?世間の常識を突っぱねて反抗的な私の態度が問題なのか、それともそれはもっと視覚的なものなのか?化粧してより常識的な美人に近づく努力をしている私は、よりFamiliar(親しみやすい?親しみがある)からだろうか?より共感を持てるのだろうか?より同情的になれるのだろうか? じゃあ、どこまでやっても良いのか?白髪染め?歯の矯正?エステ?整形?どこまでダイエット?どこまで服飾に投資?そしてそう言う選択に伴う投資のための人生の選択は、「わたしらしさ」をどこまでとどめておけるのか?「私」はどこまで「私」なのか? 化粧に慣れた私は今では、化粧した自分の顔のほうがより「自分らしい」と思ってしまう。整形も同じなのか?韓国では就職活動の前に多くの女子が整形をする、と言う。「不美人差別」の人権運動と言うのを誰も唱えないのはなぜか。整形手術の横行のほかにもう一つ韓国で気がついたことがある。ふてぶてしく太っている若い女の子たちが割りと居るのである。日本では見られないくらい、ほとんどアメリカ人並みに、病的に太っている10代くらいの女の子たちである。この子たちは整形では救いようが無い。そして、それもやはり彼女たちの選択なのだ、と思う。「美人優先」に対する、ある種の反抗、あるいは抗議 ―しかしその自己犠牲はあまりにも高い気がする。

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韓国、一日目

韓国は日本にとても良く似ているけれど、ハングル文字を無視しても、絶対日本と間違えようが無い。 しかし、その微妙な違いははっきりと定義するのがとても難しい。もちろん、私の韓国初体験の第一日目のあくまで印象なのだが、敢えて言えば例えば。。。 1.使ってある色が、日本のものよりはっきりとした色。例えば電車の中のつり革が片方はショッキング・ピンクに少しだけブルーを加えたような色で、同じ社内のもう片方はほとんど蛍光色系の黄緑。 2.日本より少しだけゆったりしている感じがする。ちょっとサザエさん的な、「おお、マス男くん!」「お父さん、偶然ですね~」「そうだなあ、それじゃあ家に帰る前にちょっとだけ駅前でいっぱいやるか」的な光景が結構見られる。例えば地下鉄を上り下がりするエスカレーターを歩いている人がほとんどいない。みんな、当たり前のように突っ立っている。と、思ったら「危ないので、エスカレーターでは手すりにつかまり、歩いたり、走ったりしないでください」との表示があった。しかし、例えば日本でこういう表示があってもみんな従うだろうか?町を歩く人々のペースも日本よりゆったりしている気がする。 3.堂々としている。逆に言えば、見知らぬ他人への遠慮が少ない。例えば、車のクラクションが日本の100倍くらい鳴らされていると思う。それから、電車の中で日本人が本を読んだり、寝たり、そうでなくとも絶対目を伏せて(私はあなたのスペースを尊重しています!)と静かに強く主張しているのに対し、韓国人は大きく腰掛けて足を組んだりして、興味があるものはきょろきょろ見ている。 4.整形クリニックの宣伝がありとあらゆるところにある。目を大きくする手術の宣伝の「Before」と「After」の写真の「After」は全て、私には猫女にしか見えない。それから、足をまっすぐにする手術。顔を小さくする手術、手の指の長さを変えて、スラッときれいな手にする手術、なんていうのも宣伝されている。久しぶりに会った友達が「ねえ、私の顔、変化したと思う?」と嬉しそうに聞く。そういわれてみれば、鼻の形が変わっている。シリコンを入れて、0.3ミリだけ高くしたのだそうだ。それからレーザーで、顔のほくろなどもとっているらしい。つい最近、韓国人女性の整形のやりすぎを批判的に話していたばかりだったのでからかったところ、彼女いわく『整形』と言うのはメスを入れる物のみをさし、彼女がしたような「プチ整形」は彼女自身の批判の対象にはならないそうな。 5.スーパーでクラシック音楽が流れている!私が二日続けていったのは安売り専門スーパーで、ホテルの近くにある「イーマート」と言うところだが、昨日最初に入った時にベートーベンの難解とされる、一番最後のピアノ・ソナタが流れていてびっくりした。その後もゴールドベルグ(変奏曲第一番だけ、なぜか)、アルベニス、など割と通好みのものばかりかかっている。時々管弦楽曲も混ざるがピアノ曲が多い。なぜ!?私の母が通うスーパーでは「おっさかなおっさかな、今夜はおっさかな~♪」と言う魚介類コーナーのテーマソングがいつもかかっていると言うのに。。。 6.なんだかちょっと日本よりも雑然としている。これは町並みのことだけではなくて、人の流れとか、全て。日本の整然さに比べてもっと人間味がある、とも言える。やはりサザエさん的。 アメリカに居る、私が日ごろ接している音楽留学生の韓国人はほぼみんなすごくおしゃれできれい。でもこういう娘さんたちは特権階級の例外で、韓国にも庶民的な人はいっぱいいる、と言うことが今日分かってちょっと安心した。なぜか、何度もサザエさんと比べてしまう。私にはとても好ましい、ちょっと不思議と懐かしい感じです。 一つだけホームシック。今日はお昼をかなり遅く、しっかり食べたので、夕飯はスキップしようかなあ、と思うぐらいだったのですが、突然丸いしょうゆせんべいが一枚だけ食べたくなったのです!駅からホテルうにつくまでの徒歩5分の道のりで目につくコンビに全て(4つありました)と、昨日入った「イーマート」に入り、血眼になって探したのですが、不思議なことにかっぱえびせんや「コアラのマーチ」はあるのに、しょうゆせんべいが無い!しょうゆせんべいが食べたい…

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ジョン・レノン31年命日コンサートにVIPとして行く

Theatre Within と言うNYのNPOは、ジョン・レノンの死去以来毎年追悼コンサートを開いてきた唯一の組織だそうです。コンサートの利潤は色々な人類愛的組織に寄付されて来ました。去年30周年記念の盛大なコンサートの生録音はアルバムとなってオンラインでの売り上げが先月始まりました。 http://www.amazon.com/Annual-Lennon-Tribute-Beacon-Theatre/dp/B005ZOGX70 クラシック音楽馬鹿の私でも聞いた事の在るような有名なポップ、ソウル、ジャズのアーティストがレノンの曲をアレンジして演奏しています。このアルバムの利潤は日本赤十字に義捐金として寄付されることになっており、私はこのNPOと日本赤十字の間のメールの翻訳や、電話を通じてのコミュニケーションの助けをすることで、ヴォランティアとしてかかわらせて頂きました。 昨晩、NYのLe Poisson Rougeでレノンの31周年の追悼コンサートが開かれ、私はお手伝いに対するお礼として、VIPとして招待されていきました。そしてこのVIP招待は、舞台裏でアーティストにも紹介してもらう、凄いものです! 後ろの立ち見席は朝の7時半ごろの横須賀線の様にすし詰めですが、私の席はかぶりつきで、ろうそくの乗ったテーブルもあって、最高です。そして、アーティストがステージに上り下りするところとかも手が届く距離で見えます。さらに、マスコミが沢山入って(カメラマンが20人くらい忙しそうにカシャカシャずっとコンサート中写真を撮っていました)、彼らが時に舞台に乗り出して、写真を撮っているのも良く見えます。お客さんは気分が高じると、手拍子を始めたり、奇声を上げたり、一緒に歌い始めたり、クラシックの演奏会とはずいぶん違う雰囲気です。前半の終わりでは演奏会に貢献した人たちの名前が挙げられ、感謝の表明がされました。私はこの31周年追悼コンサートには直接は関わっていないのに、名前が呼ばれてビックリしました。お客さんは絶対わたしが誰か知らないのに、熱狂的に奇声と拍手で挨拶してくれました。 でも、私はちゃんと知っている曲は「イマジン」だけでした。「ストロベリー・フィールド」は何かの小説に書いてあったから題名は知っていた。でも皆が口パクしたり、一緒に歌ったりしているのを見て、これはまったく違う世代、違う文化だなあ、と思いました。演奏会の前に舞台裏に連れて行ってもらって沢山のアーティストに紹介してもらいました。私は、これが凄い光栄な事だ、ということは知っています。しかし(特に演奏会の前であったので)MCとアーティストの区別もつかず(MCはラジオのMCで有名な人だったようです)、ちょっと恥ずかしかった。アーティストは Richard Barone, Glen Burtnik, Chris Campion, Marshall Crenshaw, Mike Doughty, Steve Forbert, Lucy Kaplansky, Zeb Katz, Betty LaVette, Natalie MIshell, Rich Pagano, Chrissi Poland, Joe Raiola, and Toshi Reagon (MC John Platt)でした。この中で凄いと思ったのはソウル・シンガーのBettye Lavetteです。舞台裏で会った時から「この人はなんか雰囲気が違うなあ」と思いましたが、私に言わせるとずば抜けてよかった。Toshi Reagonと言うソウル・シンガーも洗練されている、というのではないけれど、凄いエネルギーでした。Chrissi Polandという人も上手かった。 芸術と言うのは鍛錬して培う職人技と、個性や瞬発力と言った先天的な物のかね合わせだと私は思っていますが、 ポップの場合、この職人技の部分が少なくても成功できるんだなあ、と思いました。男性歌手の多くは音痴だった。 一般的に女性のほうが(少なくともこのショーにおいては)上手かったのは、なぜでしょう? 私はやはりクラシックの方が好きだと思いました。

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