演目解説。『クラシックって何⁉』 ~~~第一部『ばりばりクラシック=第一、第二ウィーン楽派』~~~ 「キラキラ星」として日本でも親しまれている童謡は、元々は18世紀初頭のフランスの流行歌「Ah! vous dirai-je, maman(あのね、お母さん)」(作曲者不明)でした。その浸透振りは当時から現在まで色々な言語・歌詞で歌われていることのみならず、クラシックでもハイドンの交響曲94番や、大バッハの息子J.C.F.バッハの変奏曲、リストのピアノ小品、サンサーンスの「動物の謝肉祭」など沢山起用されていることからもうかがわれます。モーツァルトの12の変奏曲は1781年に作曲されました。当時は宮廷のための楽曲、そして上流階級の婦女子のたしなみのための教則としての作曲が必要とされていました。対称性の美しさ、単純明快性がもたらす聴きやすさ、分かりやすい技術性などが評価された時代の曲です。 シューベルトの『楽興の時』は6つの小品から成りますが、今回のプログラムでは劇的な2番と一番有名な3番のみ、お聴きいただきます。3番は1823年ごろ作曲されたと言われています。2番は1828年、シューベルトが梅毒で亡くなる直前です。表面的にはモーツァルトとあまり変わらない、対称性や聴きやすさを重視した古典風な曲に聞こえますが、2番の第二テーマが復元される時の一瞬の激情、そして3番の民謡風な朴訥さにご注目ください。 ベートーヴェンは一般的に自分の作曲に題名を付けることを好みませんでしたが、32曲あるピアノソナタの内『告別』と、この『悲愴(”Grande Sonate pathétique,”)』のみベートーヴェン自身の命名です。この時代、『美』の通念とは相反する『崇高』と言う美意識が広まっていました。計算・測定・模倣の不可能な、何にも比較できない圧倒的な偉大さで、人間の知覚を超越し、畏怖の念を起こす、時には暗黒や悪や死と言った概念をも含む『崇高』です。理性に対する感情の優勢を主張した「Sturm und Drang (疾風怒涛)」とも通じる概念で、ロマン主義へとつながって行きます。『悲愴』はあまりにも有名になってしまったので、オープニングのショックバリューが減少してしまっていますが、1798年の初演での聴衆の驚愕と畏怖の念を想像しながら、今日はお聴きになってみてください。 第一ウィーン楽派がモーツァルト・ハイドン・ベートーヴェン・シューベルトと言うなじみ深い作曲家たちから成るのに対し、第二ウィーン楽派は《無調性音楽》を確立したことで有名なショーンベルグとその弟子二人、ベルグとヴェーベルンから成ります。理論的になりますが、調性と無調性について少しお話しさせてください。(ご心配なく。ピアノでもデモンストレーションいたします)調性のある音楽ではスケールの中の7つの音にヒエラルキーを見出し、その中でも『主音(スケールの最初の音。ハ長調ならドの音)』をホームベースにして、主音から出発して主音に戻るまでの道のりを音楽とします。対して無調性の音楽では一オクターブ(ドから一つ上のドまで)を均等に分けた12の半音階を全て平等に扱いホームベースがありません。ショーンベルグがユダヤ人だったことから「人種差別に反対する心が調性が付ける音のヒエラルキーに反抗させた」と言う説がありますが、そう言う事を言うならばユダヤ人と言う民族と同じく無調性の音楽にはホームベースが無い、と言う事にも同じく重要性を見いだせるのでは、と私は思います。ベルグはユダヤ人ではありませんでしたが「退廃芸術家」としてナチスに差別されました。1908年に自費出版した、彼の作曲の中では唯一作品番号を持つこのピアノ・ソナタ作品1は無調性の直前ですが、一番最初のロ短調と一番最後のロ短調以外は、ずっとさまざまな調整の淵をさまよい続ける、不穏な曲です。『崇高』の延長線上にこの第二ウィーン楽派がある、と言う事をお聴き確かめください。