正義は勝つ

コロナ日記95:天邪鬼の本心ー死について。

ジョージ・フロイド氏は確かに悲惨な最後でした。「息ができない」と何度も言う合間に「ママ...ママ」と呼んでいた画像を思い出す度に涙が滲みます。でも、ジョージ・フロイド氏の前後にはアメリカだけで毎年平均1,000人もの警察の暴力で殺された顧みられない人達がいるのです。警察一般が悪いのではない。「いじめによる死」と呼び方を変えたら、日本にだってそういうやるせない死はありすぎるのだと思います。

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コロナ日記84:黒人差別をテーマにした映画3本

NY市長:7月には規制緩和ステージ2を検討。屋外での飲食サービス・床屋再開、など ラスベガスのカジノが数か所営業再開。ギャンブラーにはお互い2メートル以上の距離を要請。 高齢者施設・牢屋・食料品加工工場での感染率は高いまま。 プロテスト参加者にはCovid-19の検査が推奨される。 アメリカの黒人差別の問題を分かりたい。今、そういう思い色々見聞を深める努力をしています。そんな中、今回のプロテストに賛同してワーナー・ブラザーズが「黒い司法」という映画を無料配信する事を発表しました。でっち上げられた無実の罪で死刑囚として入獄していた黒人男性を阻む組織的人種差別に挑むコミュニティーの話しです。この映画の主人公である弁護士の回顧録に基づいて制作された実話です。 「黒い司法:0%からの奇跡」 他にアメリカの歴史的、かつ社会構造的な黒人差別を理解するのに参考になりそうな映画の中でも、特に音楽関係のものを2本ご紹介します。 「グリーン・ブック」(2019) グリーン・ブックというのは黒人向けの旅行ガイドブックです。1936年から1966年まで毎年出版されていました。黒人は公共交通機関でも差別を受けることが多く、なけなしの収入から車を購入する黒人は驚くほど多かったそうです。でも黒人のリンチが盛んだったジム・クロウ法の時代です。移動手段を得た後にも、飲食店や給油所や宿泊施設などで差別を受ける。そこで、グリーン・ブックは黒人に比較的友好的な商店のリストを出版していたのです。映画はこのガイドブックを片手に南部を演奏旅行する黒人の天才ピアニストと、用心棒として雇われたイタリア系アメリカ人の、実話に基づいたストーリーです。 路上のソリスト(2009) 非常な才能に恵まれ奨学金でジュリアード音楽院で勉強していた黒人のナサニエル。精神疾患を患ってホームレスとして路上で演奏しているところをLAタイムズの記者に記事に書かれたことで人生の転機を迎えます。この映画の基になった新聞記者の回顧録と映画の評は私はすでにブログで書いているので割愛します。 今日のヴィデオは2005年からのものです。ラフマニノフの音の絵作品33より7番。

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コロナ日記81:みんな運命共同体(門限3日目)

「なぜ人は悲しい音楽を聴きたがるの?」…数年前に8歳の生徒に聞かれてからずっと自問しているテーマです。デモが暴動化し門限が発令される中、今の私は悲しい音楽を通じて人間は苦しみに共感する練習をしているのではないかと思っています。私たちは時空を共有する運命共同体ですCovid-19、経済的圧迫、そして社会不正...。挑戦が山積みになる今だからこそ、一緒に力を合わせてどうすればお互い共感し合って喜びを倍増し苦しみを半減できる社会を創り上げられるのか、社会構造からの見直しを迫られている時だと思います。自分の家族・人種・国が良ければ良いという時代では、もう無いのではないでしょうか?私は音楽家の共感力と癒しを発信し続けます。

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いじめは損!

いじめと言う行為は、個人、あるいは特定のグループ(性別、性嗜好、人種、宗教、心身的特徴、社会的地位や層など)を心身的暴力によって矮小化し、自尊心・自信・社会的尊重を奪う行為だ。いじめは、心無い行きずりのコメントの事もあるし、執拗な日常的に行われる長期的な行為の場合もある。学級内や職場でのいわゆるいじめはもちろん、セクハラもパワハラもいじめ。家庭内や社会的な位置づけ・「キャラ」づけなど、一般的にはいじめとされない行為も、この定義だといじめになる。例えば女性蔑視・人種的ステレオタイプはいじめだと私は思う。それから「あんたはいっつも___なんだから!」と言ったような、表面的には観察や助言とさえも解釈できる表現も、相手の自尊心・自信・社会的尊重を失うと言う結果を生むのであれば、いじめだ。 じゃあ、なぜいじめはいけないのか。 善悪と言うのは突き詰めると難しい。簡単に机上の空論になってしまう。でも、私は「宇宙兄弟」と言う漫画で素晴らしい倫理のバロメーターに出会った。宇宙に行きたい兄弟の夢を支援する登場人物の言葉だ。 「迷ったときは、何が『正しい』かではなく、何が『楽しいか』で決めろ」                       どれだけ「楽しいか」は単純計算できると思う。 行為の「楽しさ」= 行為の楽しさ×行為で楽しくなる人の数 - 行為で楽しくなくなる人の数x行為が生む心の傷の程度。 私は人間にとっての最高の快楽は、周りの人間に貢献していると言う実感だ、と信じている。だから私はいじめは非人間的な行為だと思っている。いじめっ子はかつてのいじめられっ子。周りを貶めることでしか自尊心でしか感じられない人、と言うのはやはり本人も何等かの傷を受けてしまった人だと思う。じゃあ、最初のいじめっ子は?と言われると、例外的に非人間的、サイコパス的な人と言うのが居るのは脳神経科学が証明している。 でも、いじめは損!と言う認識を広め、文化的にいじめと言う行為を削減することはできる、と思う。 なぜいじめは損なのか ー 究極的には、いじめと言う行為は、楽しくないからだ。 仮にいじめに何等かの快楽を感じるいじめっ子がいたとしても、そのいじめにより不快を経験するのはいじめられっ子だけではない。何故なら不幸は、正当な幸福と同じくらい感染するからだ。と言うことで楽しさは、楽しくなさに圧倒的に負けてしまう。 更に、いじめの被害者は必然的に本領を発揮できなくなる。これは被害者だけの損ではない、社会的な損だ。損は誰も楽しくない。 セクハラの糾弾を受ける人の中には、素晴らしい功績を残した芸術家や社会貢献をした重鎮も居る。中には糾弾されているセクハラが数十年前にさかのぼり、本人がかなりの高齢者のケースもある。加害者の人権も尊重されるべきだ。ヒステリックな糾弾はそれその物がいじめになる。 そしてその人の恥ずかしいいじめの行為とその人の功績は別々に考えた方が良い、と私は思う。 例えば、私は指揮者のジェームズ・レヴァインとタングルウッド音楽祭で勉強したことがある。彼は大抵のアリアや歌曲は、楽譜を見ないで原語で歌えたし、演奏を全曲通して聞いた後、楽譜を見ないで「歌詞が___の所」とか「小説番号___で」と言った風に的確な指示を瞬時に出すことができた。そしてその教授法はいつも誉め言葉と暖かい姿勢に基づいていた。彼が何人もの未成年男子に性的行為を強要する癖を改めないことは長年周知の事実だったし、私は彼の天才の恩恵を直接受けて、非常に複雑な心境だった。しかし今、74歳でしかも長患いをして事実上引退している彼を、業界が寄ってたかってあたかも今まで誰も何も知らなかったように糾弾しているのを見て、これは彼一人の問題ではない、社会的・文化的問題だ、と確信する。逆に、ジェームズ・レヴァインに恩恵を受けた生徒として、ジェームズ・レヴァインの才能と音楽的功績を庇護したくなる。周りはジェームズ・レヴァインの才能と社会的地位を考慮して、彼の性癖を許容・助長したのだ。同罪だ。 でもいじめっ子の才能・功績・地位に関係無く、いじめと言う行為が社会的に糾弾されるべきだと私が思う理由は、私自身が受けたいじめの結果、長年本領を発揮できなかったからだ。沢山の人の支援や指導や愛を得て、私がいじめから傷ついた自尊心・自信・社会的尊重を回復した今、その損失が実感できるからだ。 16の時、演奏直後に楽屋で「演奏している姿にそそられる」という意味の事をもっと卑劣な言葉で言われた。20の時、私の才能を買って沢山の演奏を世話してくれた恩師から口説かれた。21の時、続けざまに目前でアスピリンを口にするマネージャーに「Blue Balls」の意味を説明された。その後も、教師・主催者・音楽支援の献金者・共演者など多数の方々に、口説かれたり、脅されたり、交換条件として性行為を持ち出さりされた。競争の激しい業界だから、と言うこともある。セクハラだけでなく様々な形で矮小化され、「いじめ」られた。 こういうセクハラの一つ一つをそれぞれ私は笑い飛ばそうとした。私は自分を美人と思ったことは一度もない。化粧やおしゃれに全く興味が無く、なりふり構わず練習ばかりして、どちらかと言うと「のだめキャラ」的な私を欲望の対象としてみるなんて、非常に可笑しいと思っていた。更に私は声も体もでかい。いわゆるか弱いいじめっ子とはタイプが違う。こうしてこのブログを書きながらでさえ、自分を「いじめられっこ」の立場で書くことに違和感を覚える。私を個人的に知っている人は私の告白にショックを受けるだろう。でもこういう事象が信じられない数で周期的に起こって、私はだんだん自分に来るチャンスや、チャンスをくれる人を疑うようになっていた。純粋に私の演奏や音楽性を買って仕事をくれる人はどれくらいいるのか?私の演奏や音楽性には本当に価値があるのか?私自身に価値を認めてくれる人は、この世にいるのか?振り返って、私が長年必死で戦ってきた舞台恐怖症は、少なくとも多少は、受けてきたいじめのせいだったのだ、と思う。 矮小化され続けて私は最終的に家庭内虐待を受ける立場に自分を陥れてしまった。「合い鍵をなくした」と同棲相手に言われ、自分がどこに行くのか・いつ帰ってくるのかを報告し合わなければいけなくなった。思えばそれが始まりだった。自分のスケジュールを管理され、交友関係がどんどん狭くなった。車にGPSを付けた、お前に知らないところに隠しマイクが付けてある、お前が思考や行動はすべて把握しているぞ、と脅された。どこに居ても、どこに行っても、相手がひょっこり現れる。そして彼が怒るとどうしようもなくなってしまう。それでも、恋愛感情で一時的に狂ってしまって居るだけだと言う説明を受け入れたかった。それを愛情と認識できないのは、過去のトラウマで私自身の判断の基準が狂っているからだ、と言う糾弾さえ受け入れたかった。愛されていると思いたかった。別れようと思ったのは携帯電話を叩き割られ、コンピューターを壊され、メルアドをハックされて過去の更新をすべて消去され、そして数か所に保存してあった私のコンピューターのバックアップファイルもすべて消去されたときだ。消去されたファイルの中には進行中の博士論文もあった。安全のために警察の協力を得て別れ話しを持ち出した時に、過去の家庭内暴力事件で彼に逮捕状が出ていたことを初めて知った。彼に逮捕状が出ていた事件では、当時付き合っていた相手を、彼女の9歳の娘の前で、包丁を使って肉体的に痛めつけ、警察を呼ぼうとした際に彼女が使おうとした固定電話を壁から引っこ抜いたのだった。このことを知ったとき私は、彼の暴力が私とは何の関係も無いこと、私以外にも沢山の被害者が居ることを瞬時に理解できた。そして彼の刑事責任を追及することは、私の社会的義務だ、と思った。別れた後、最終的な逮捕まで、相手は私にストーカー行為を働いた。私の車を3回破損し、私のために運転してくれた友達の車も一回破損した。これを受けて、私が属していた大学、そしてヒューストンの日本人コミュニティーが総動員で、私を守ってくれた。数えきれない人たちが、私と私の演奏活動を守るために、ボランティア活動を実行してくれた。今思い出して、涙が出る。安全対策会議を開き、役割分担をして、駐車場・会場・私の会場の行き来など、すべての安全を管理してくれた。私を励まし続け、何気ない形で沢山の社交活動に誘ってくださり、孤立化を防ぎ、暖かくコミュニティー全体で私の回復のプロセスを見守ってくださった。周りの多大な支援を受けながら、彼の罪を立証することを達成した時、私は過去に受けたいじめの全てを清算できた気持ちになった。自信を取り戻せたのは、刑事責任追及が最終的に成功したからと言うのもあるが、こんなに沢山の素晴らしい人々の愛情を体験できたからだ、と思う。 性的対象と見られない年齢・立場に成った。これらはすべて過去の話しだ。心無いいじめも沢山受けたが、無私のサポートも沢山受けた。そして私は幸い、自尊心も自信も回復できた、と宣言して、その過程を本に書くところまで来れた。自分の経てきた経験に自信を持って音楽活動で社会貢献をする幸せを今かみしめている。同時に、もっと早くこの境地に達することができていれば、自信を持った音楽活動に費やす余生はもっと長かったのに、とも思う。 私は女性蔑視や人種差別を始めとする、すべての「いじめ」行為は社会的に損だと、自分の経験を踏まえて声を大にして言いたい。だから本を書く。だからこのブログも書いた。書くことで、一人でも多くのいじめられっこに勇気とヒーリングを、そして一人でも多くのいじめっこに反省と自制をもたらせれば、本望だ。 世界は一つ。人間みな兄弟。音楽人生万歳。      

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脳の再起活性化について。

アメリカでは8月下旬始業に先立ち毎学年度、ダイアル式ロッカーの番号が変わる。 去年はいつまでも覚えられなくて、番号を書いた紙をその度に参照し、悲しい気分になった。 ところが今年はドンピシャ!一回で覚えてしまったのである。 最近文献も驚くほどすらすら読めるし、譜読みも早い。   去年と今年で違っていることは色々ある。 1.今年一月から走っている。(一時は週5日毎日4キロ弱走っていた。今は暑さで回数は減っているが、でも週3回は走っているし、週末は8キロ走ったりする) 2.より健康食。(元々私は健康食には結構こだわっていたが、最近はブレンダ―で手作りする野菜ジュースや、無農薬野菜にさらにこだわっている) 3.毎日体重を計っている。(健康バロメーターに最高!食べ過ぎたら翌週調整など、色々工夫が出来、物凄くゆっくりだが少しずつ減量。)   でも、何よりも一番大きいのは幸福感だ、と思う。 去年の今頃はストーカー騒ぎの真っただ中で、警察とのやり取りも盛んで大変だった。 主観的にはそれなりに異常なハプニングを楽しんでいる気持ちだったが、 しかしやはり、不眠や食欲不振など色々なストレスの症状が在ったのは覚えている。 現在私は楽しみにしていることが色々あり、とっても幸せなのである。 それにこのストーカー騒ぎは 私に過去の色々なうやむやも一気に処理させてくれる意外な効力を持っていて、 なんだか憑き物が落ちた様な、新しい門出に立った気持ちなのである。 この事件をきっかけに家庭内虐待の被害者援助のヴォランティア活動への参加も強い効力。 まだ実際の被害者を助けるところまでは行っていないのだが、 その為のトレーニングを受ける段階でも、 それから活動の広報など、このヴォランティアのために積極的に動くと言う過程でも、 そういう問題を一般化し、その事に対して生産的に働きかけることが、 心理的に自分のためになっていると思う。   しかし、ストレスやトラウマを抱えながらもすごい偉業を果たす人も居る。 人によってはそれが故に、と言う人も居るかもしれないが、感嘆する。 昨晩、改めて「イミテーション・ゲーム」を見た。 第二次世界大戦中、ドイツの暗号を読み解くべく初代コンピューターを発明した イギリス人天才数学者、アラン・チューリングの実話に基づいた映画である。 彼は社交に於けるハンディや、1967年までイギリスでは違法だった同性愛者だったなど 私生活に於ける沢山の問題を抱えながら、この偉業を達成し、 第二次世界大戦の勝利へと導く。   最近、実話に基づいた「困難・差別・虐待を超越して偉業を達成する」と言う話に感動する。 これから出る映画だが、1960年代人種問題がピークに達している時代に NASAで大活躍した3人の黒人女性の実話に基づいた映画が出るらしい。   私も頑張る! 音楽人生万歳!            

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