音楽人生

栄養のバランス=音楽バージョン

ストーカーの一件で最近とても嫌な思いをすることになった。 非常に、非常に間接的な事。 ある物凄く意地の悪い弁護士と取引をする羽目になって、 こいつがもう本当に嫌な奴だったのだ。 色々あったけど、嫌な思いと言うことでは、これがピカいちだったかも。 それで、私は怒り狂ってラフマニノフの作品39-5を3時間くらい練習した。 私のアルバム「Etudes, Seriously」のトラック13に収録した曲である。 (サンプルはここからどうぞ) http://www.cdbaby.com/cd/makikohirata この曲を弾きながら 「お前なんか嫌いだ~!! こういう風に生活の糧を得ているなんて何て可哀想な奴!!」と 心の中でこの意地悪弁護士に向かって一杯毒づいた。 その次の日も、その次の日もこの曲を練習するのが非常に楽しみだった。 でも、それ以外はずっとブルーで元気がなかった。 (この元気なさは実は意地悪弁護士のせいだけじゃないかも。 もしや、ああやって何時間もラフマニノフを練習してるからかも…) と思い始めたのは、3日目くらい。 それで、余り乗り気じゃなかったけれど、この曲を練習をし始めた。 今度日本でも弾く、ジョップリンのラグタイムである。 そしたら、びっくりするほど気が晴れたのである! ジョップリンの名曲集は、父が子供の頃プレゼントしてくれたもの。 もらった時は全然ありがたみを感じなかった。 小学校二年生くらいでモーツァルトとかバッハとかばかり弾いていた私に 「こう言うのもある、って知っておいても良いんじゃないかな」 と私に仕事帰りに買って来てくれた父に 「お父さんは分かってないね~」 と非常に生意気に返事をしたように思う。 でも、今、そのころの父の年齢に近づいてきた私は 父がその時、夜遅くまで仕事をした帰りに私にジョップリンを買ってきた、 その気持ちが少し分かってきているような気持ちがして、 ちょっと泣きたいような気持である。 お父さん、ありがとう。

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聴くことで静まること

10年以上前にテレビでたまたま見たの映画のワンシーン。 湾岸戦争から帰ってきた女性が朝、 ライスクリスピーが牛乳を吸って出す 「パチパチ」 と言う音にじっと耳を澄ませて微笑む。 その淡々とした行為に、女性が戦場で味わった凄まじい騒音が彷彿されて、 とっても印象的だった。 今、私も寝苦しい夜を諦めてライスクリスピーに牛乳を注ぎ、 このブログを書きながら思い出している。 LAで私が大好きだったヨーガの先生は 「真剣に聞くことに集中することによって、思考を一時停止することが出来ます」 と言っていた。 NYで再会した私の友人は、 彼女の父親の死に際に関する家族の葛藤の話しを私に打ち明けてくれている最中、 突然立ち止まって散歩していた公園の鳥の鳴き声に1分くらい耳を傾けた。 私も一緒に聞いて、その延々と続く歌に感動した。 何という鳥だったのか。 一度もメロディーが繰り返されない、どんどん発展して行く、まさに歌。 NJで色々な物を整理した際、自分の膨大な量の日記の中に発見した 一か月前に亡くなった私のアメリカン・ファーザーが 私がホームステーを始めたばかりの91年の私の誕生日に書いてくれた手紙。 「人は誰でも錨となる拠り所が必要だ。 これからのマキコの人生で私とジョーンとこの家をマキコの錨にして欲しい」。 手紙が書かれてから25年間、まさに錨になってくれた。 延べ日数で言うとNJと日本の実家と、 どちらがより多く私の田舎だったのか。 日本だって私は一年の内一か月は演奏活動などで居させてもらって、 かなりの日数を過ごしているのだ。 マンハッタン時代、疲れると休息を求めてNJに行っていた。 日帰りしたことも、週末を利用して2泊したことも、ずっと長く何週間も滞在したこともある。 LAやヒューストンに移動した後も、年始年末や夏休みなどを利用して良く行った。 ピアノが練習し放題だったことや、 マンハッタンの友達や音楽創りの機会が恋しくて、何かに付けて帰っていた。 91年に私に手紙を書いてくれた際、エドは66歳だった。 まだホームステーを始めたばかりで、将来の関係性も不確かな私への手紙に、 自分の余命など考えるはずもない年だったのだ。 私たちの関係が一生ものになったことだって、 努力と忍耐と愛情の賜物の、ほとんど奇跡だったのだ。 大学に進学した私が週末に帰りたいと言うと、 エドはいつも私が好きな菓子パンをいそいそと買って待っていてくれた。 その菓子パンを手作りしていたドイツ系パン屋さんもとっくの昔に引退してしまった。 形あるものはいつかは形を変えるし、命あるものには寿命がある。 変わらないのは、自分の中の思い出と、 何が起こっても周りの音を愛でる態度。 音楽人生、邁進。

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弾いてて注目を浴びる曲

空港で週一で45分のセットで3回弾く、と言うアルバイトをやっていて。 私たちの演奏を耳にするのは、道行く旅行者。 「クラシックを聞きたい!」と選んで聞きに来た人達では無い。 私たちには未知の聴衆である。 反応も未知。 しかも「チップス」と言う好感度バロメーターがあるので、面白い発見多々。 私の持ち曲での話しに限られるのだが、 でも人々が「お!」と立ち止まるのは 早いパッセージが多い、派手な曲。 例)幻想即興曲、ベートーヴェン「月光」の三楽章、ハンガリー狂詩曲2番、など。 それから名指しでリクエストはダントツでドビュッシーの「月の光」。 この曲は4,5回リクエストがあったが、他の曲はリクエストはクラシックの演目では皆無。 それからベートーヴェンの「悲愴」は 「昔ピアノやってた頃に弾いた」と言われる。 大抵中年の女性。 とても嬉しそうに報告しに来てくれる。 暗すぎて始め弾くのをためらったが、結構コメントをもらうので、最近は良く弾く。 シューベルトは遠まわしに聞く人が多い。 遠くで聞いてくれているのだが、特にシューベルト自身にコメントをする人は少ない。 リストの「愛の夢」とかは有名なのだが、 「きれいですね」とか言われても「リストが…」などと自信を持っている人はいまだいない。 スクリャービンの「左手のためのノクターン」はヴィジュアル的に面白いので コメントを言い残していく人達が居る。 「すごい!君は本当に極めたんだね!! 左手だけで一曲弾きとおすなんて!!(そういう曲なんです…)」 とか、 「これは、左手の練習のためにわざと両手の曲を敢えて左手だけで弾いているのですか?」 とか、私自身では思いつきもしなかった発想が面白い。 そして私には最高傑作に思えるバッハやベルグは… あんまり立ち止まってもらえない… 昨日は10か月くらいのまだ言葉をしゃべり始める前の赤ちゃんが 物凄い興味を持って、目をまん丸に大きくして、かぶりつくように聞いてくれました。 あんまりかわいかったので、一曲弾き終わってから モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」を弾き始めたら もうその興奮を持て余してどうしたら良いか分からないと言った風で お尻がノリノリにテンポを取り始めて、両手を高く上げて (ああ、もう素晴らしい!私はどうしたらよいのでしょう!!)という感じで こちらが感動してしまいました。 先々週は10歳くらいの女の子が突然、周りを気にすることを全くせずに踊り始めました。 特に上手いと言うのではないのだけれど、手を影絵の様な形に色々くねくねしたり、、 兎に角クルクルいつまでも回り続けたり、 何曲も何曲も「一生懸命」と言う感じで踊り続けて 周りを行く人をほほませてくれました。 後から「速い曲は早く動いてみたの」と 息を弾ませながら報告に来てくれました。

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芸術は愛

最近良く一緒に走っている理数系の同志。 文科系とは人生でほとんど付き合いの無かったバリバリ理数系だ。 一緒にいろんなヒューストンの地区を走り回って探検している。 どんどんヒューストンが好きになってくる。 ヒューストンは公園も多いし、小川もある。 朝露の光る朝焼けの中を走っていると、マラソンハイのエンドルフィンも手伝って (桃源郷!?)と思うこともしばし。 ヒッピー系の面白いお店が沢山集まる地域もあるし、 意外と歴史も古く、黒人の人権のために20世紀初期に奮闘した人の石碑を読んだり、 本当に楽しい。 この理数系の同志。 私を意識しているのか知らないが、自分に理解できないオブジェを見ると最近 「う~ん、芸術だ…」とつぶやいている。 しばらくこの「芸術だ…」を面白く聞いていたのだが、ある日思いつきで提唱してみた。 「『芸術だ』、と言う代わりに『愛だ』と言ってみたら?」 私の心はこうである。 私の同志が「芸術だ」と言っている良く分からないオブジェの多くは 営利目的でもないし、はっきりと分かる直接的な機能を持っているわけでも無い。 でも、作ったり設置したりするのに、大抵物凄い創意と工夫と労働と時間を要している。 この創意と工夫と労働と時間を惜しまずして、創作者を突き動かすもの。 これぞまさに『愛』ではないのか!? そしたら、次に「う~ん、『愛』だ…」と同志に言わせしめた物が アメリカ中で知る人ぞ知る、私も噂には聞いていた、ビール館だったのだ! 家の外装も内装も、敷地を囲うフェンスも、全てがビール缶を切ったもので出来ている! 二人で大笑いした。 家が見える前にまず遠くから「じゃら~ん、じゃら~ん」と ビール缶のアルミが風で揺れて鳴っているのが聞こえてくる。 そのお世辞にもきれいとは言えない音は、ビール館の外見をもそのまま反映している。 これは「ビールに対する愛」なのですね。 全ての愛が高尚でなくても、良いのです。 ビールに対する愛だって、創作者が幸せになるなら、良いのです。 それに私たちはお陰で大笑いをさせてもらいました。

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Ask and you shall receive(求めよ、さらば与えられん)

博士論文のリサーチの過程で 「これは凄い学者だ!」と思う人が何人か出てくる。 その中の何人かは、何冊もの著書や監修した本や記事を読ませてもらったりする。 その中でも私がほとほと脱帽しているのが、William Weberと言う人。 音楽学者ではなく、歴史家である。 歴史の流れの反映として音楽史を捕らえていて、それが私には本当に面白い。 ところが、私の論文の一番大事なところで、ちょっと彼の記事と著書に矛盾が生じた。 こういう事である。 リサイタル、と言うのは「独奏会」の英訳だ。 リストが1840年にロンドンで演奏した際、自分の宣伝と批評でこの言葉が使われ定着した。 リサイタル(Recital)と言う言葉は動詞の「To recite(暗唱)」が語源とされている。 元々、1840年に「リサイタル」と呼ばれたのは、 当時としては型破りでリストが全く一人で演奏会をこなしたときに使われたが、 その後、他の奏者も交えて弾いた演奏会も「リサイタル」と呼ばれたため リサイタル=独奏会ではなく、リサイタル=暗譜で弾いた演奏会、ではないか、と Weber氏がThe Great Transformation of Musical Tasteで述べている(160ページ)。 この本今年の一月にホヤホヤの日本語訳が出版された。 http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-41029-1.html 私はこれにクライついた!やった~、やっと裏付けが取れた~! ところが… オンラインの音楽辞書で一番権威のあるOxford Dictionary Onlineで 「リサイタル」と検索すると同じくWeber氏の記事で 「To recite=解釈」と読んでいるのである… こ、困る…。 悶々と数分悩んだ末、私は一念発起をして、Weber氏のメルアドを検索し、メールを出した。 そしたら即、返事が来たのである! しかも、私のトピックに非常に興味がある、と!! そして私は「博士論文」と明記したのに「あなたの本のアウトラインは素晴らしい!」と。 嬉しい~~~~!!!! しかし、Recitalと言う言葉が暗唱を意味しているかと言う点については のらりくらりと逃げられている。 要するに、分かり得ない、と言うのがWeber氏の立場で、全くそうなのである。 でも、実は私はリサーチを進める上でいくつかRecital=暗唱の裏付けを取ってきた。 ので、明日、氏に報告。 もう一つ。 私は我ながら非常に劇的ないくつかの出来事を潜り抜けてきた。 何か起こる度に(いつか本にしよう)と思うことで乗り切ってきた。 最近、博士論文を書き終えたら、自分の本を書き始めよう、と決意した。 そして、ニューヨークタイムズ読書投票上位を誇る、ある女性著者にメールしたのである。 そしたら、今日電話でお話しが出来た! しかも、物凄く勇気づけてくれ、適確なアドヴァイスを沢山もらえた! そして2週間後にまた電話で話そう!と言われた! 適確なアドヴァイスその①。 英語で書くか、日本語で書くか、決める必要は無い。 まず、自然に自分の中から流れ出るままに、日本語と英語のちゃんぽんで書けるだけ書け!

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