音楽人生

ノリノリ!充実

最近ブログ更新を怠っていたのは… 大変充実した、気力に溢れた、勢いに乗った毎日を送っていて、 気が付くとブログ更新の時間が無く、就寝してしまっているからである。 エドの死や、それにまつわる諸々でしばらくほったらかしてあった論文は先週から再開! リサーチが本格的に面白くなってきました! 勢いがある時は勢いをできるだけ活かしたい! 練習も同じく! 今年の夏、日本でもご披露させていただく「『クラシック』って何!?」。 弾き込んでいく過程でどんどん選曲した曲たちに愛着がわいてきて、 (う~ん、我ながらなんてすごい曲を組んだんだ!)と大満足! さらに、麻衣子さんと私はヒューストンで、 「音楽会をやります!」と宣言すれば 打てば響くように反応してくださる音楽愛好家や同志に恵まれています。 頭を寄せ合って、企画会議を開いていると、どんどん力がみなぎっています。 走っているからでしょうか、食生活を健康的に心がけているからでしょうか? 集中力も前向き力もアップして、 朝起きてすぐから、夜バタンキューのぎりぎりまでバリバリ働ける。 遊ぶこともしているけれど、 遊んだあと前はぐったりして中々切り替えられなかったのが、 最近はピッ!と仕事に戻れる。 …と、言う訳で、ブログ更新を怠っていました…

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5年目の3月11日

5年前の3月11日。 私はヒューストンもライス大学博士課程も、まだほやほやの一年生だった。 ヒューストンの前の住まいだったLAからの友人の「大丈夫か!?」と言う連絡があったのが アメリカ時間の3月10日の夜。 たまたまノートパソコンが壊れていて、地震と津波が関東地方かどうかも分からず、 日本に電話してもつながらず、大変不安だった。 それから惨状を知った。 あれからもう5年。 あれからまだ5年。 被災者の方々、復興活動、復興支援活動… 色々な事を想うと、 この大惨事に自分自身の歩みを重ねるのがはばかられてしまうが、 でもあのイヴェントで私の人生観、音楽観、人間関係も大きく変わった。 コミュニティー、特に在外邦人として日本人コミュニティーとのつながりのありがたさを 非常に感じるきっかけとなった。 そしてコミュニティーに根付いた音楽活動、と言うこと。 沢山したチャリティーコンサートで今まで以上に音楽家である事の意義を感じ、 自分のこれからの活動を再考するきっかけになった。 一緒にチャリティーコンサートで頑張った佐々木麻衣子さんとの かけがえのない友情の発端ともなった。 あれから色々、色々あった。 5年。

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ヒューストンでぬか漬け、作ってます。

ほぼ毎日走り、毎晩9時間は睡眠を取り、 そして発酵食品と料理に凝り、生活を愛でている。 暇…では無い! 昨日は朝の8時半から夜の8時まで、途中の休憩と移動時間は正味2時間で頑張った。 その前日の水曜日は朝に教え、その後いくつかのミーティングを経て、 4時から7時まではヒューストン・ホビー空港を通過する旅人のために 音楽を奏でる、と言うアルバイトをした。 火曜日は正午に演奏会があった。 一つの演奏会をする、と言うことは朝から衣装を整え、 リハーサルの後、会場入りし、 スタッフとの顔合わせ、サウンド・チェックなどを経て、 やっと本番の演奏、と言う運びになる。 演奏後も裏方や事務スタッフへの御礼、今後のお仕事の相談、などなど。 1時間の演奏のためにでも、絶対半日はかかる。 そして勿論、本番当日前には演目・広報・ギャラ交渉・税金などの事務処理、 共演者との衣装その他の打ち合わせ、そして練習・合わせ、と 事務力と時間と注意を要する。 そしてその合間に練習をし、 いまだに続くストーカーの法的対処に関わり、 これからの演奏会の事務処理をし、 ここ3週間は手つかずの論文を恋しく、夢に見ている。 それでも私は、ぬか漬けを作り、夜は眠くなったら何を差し置いても寝る。 最近やっと、『我武者羅』の自己満足、そして非生産性に気が付いた気がする。 根性物の漫画のような頑張りは、私も経験したし、それはそれなりに楽しかったけれど、 身体と精神の健康在って初めて、 自分、自分の人生、そして周りとの関係を正直に愛でる事が出来る、と思い始めた。 そして、身体と精神の健康は、日常の積み重ねで作る。 だから私は朝は走る。 午後に本番があっても走る。 そして12時間教えて帰ってきたらぬかをかき混ぜ、野菜を処理してぬか漬けを作る。 そしてどんなに大事に思えることがあっても眠くなったらさっさと寝る。 そしてふてぶてしく、しっかり眠る。 そして、その全てを楽しんでやる!

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日曜日に焼くパンケーキ

エドは日曜日の朝7時に亡くなった。 私が16歳の時にホームステーをさせてもらってから、 私のアメリカン・ファーザーとして色々な形や場面で支援してもらった人だ。 エドは日曜日の朝はパンケーキを焼いてくれると言う伝統を何年も続けた。 ブルーベリーが入っていたり、バナナが入っていたり、 その週によってヴァリエーションがあったが、兎に角毎週焼いていた。 常時ダイエット中の私のアメリカンマザーのジョーンは一枚を食べ切ることさえ嫌がって、 私が祝日に訪ねていたりすると、いつも半分よこしたりした。 私もバターがたっぷりのエドのパンケーキは時々(う~ん)と心の中で敬遠したりした。 でも、エドご自身はいつもご自慢でご満悦のパンケーキだった。 バターミルクを使って、ベーキングパウダーをたっぷり使うエドのパンケーキは いっつもほわほわで、大量のバターの中で揚げるようにして焼くので、 外はカリカリ、中はホワホワ。 今から考えると、美味しかった。 ジョーンの電話は朝の8時にあった。 私に一番最初に電話してくれた。 ジョーンは泣いていたけれど、私は(エドは大往生だ)と思って、納得した。 91歳まで、基本的に健康で、好きな事を沢山して、死期も自分で決めて、 エドらしい生きざま、そして死にざまだったと思う。 電話を受けてから、すぐ買い出しに行った。 私は実はパンケーキなんて焼くのは生まれて初めてなので、 計量カップから小麦粉から、そう言うのをかき混ぜる物、メープルシロップ、 全てを買い揃えなければいけなかった。 絶対にパンケーキを焼こう、と電話を受けたときから決めていた。 でも、私は健康志向なので、バターの代わりにココナッツオイル、 そして小麦粉の代わりにそば粉やひよこ豆の粉や全粒粉や、 色々混ざった健康パンケーキミックスを買った。 フライパンでパンケーキを焼きながら、 子供の頃家族でホットプレートで食卓で焼いて食べたホットケーキや、 母がホットケーキミックスで作ってくれた揚げたてカリカリドーナッツや エドの日曜日のパンケーキや、 そう言う食事にまつわる思い出の深さや温かさや意味合いや、色々考えた。 そうして、自分で料理を作れるようになる、と言うことは、 伝統継承、独立、思い出、色々な意味合いがあるんだなあ、と初めて思った。 女子力の弱い私だけれど、これからはもっと料理を作ろう、と思った。 パンケーキは美味しく焼けた。 我ながら、エドのよりおいしく焼けた。 そしてエドは、その事を喜んでくれた、と思う。 エドのより美味しいかどうか、論議はしたと思うけれど、 私が私好みのパンケーキを作ったと言うことについて。 Life goes on. 明日の正午は演奏会! http://www.houstonmethodist.org/performing-arts/news-events/crain-garden-performance-series/

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弾くは愛でる、走るも愛でる。

今朝、走りに外に出たら新芽が木々の節々からほとばしり出た!と言う感じでびっくりした。 ヒューストンではすでに桜や木蓮、連翹などの花も咲き始めている。 本当に可愛い。 NJでは雪がちらついていた。 雪と雨の合いの子の様なみぞれの中を氷で滑りやすい水たまりをよけながら走った。 首をちぢこめながらスクールバスを待つ高校生の姿に 渡米したばかりで同じようにスクールバスを待っていた自分の姿が重なった。 思い出の中の自分も、ふくれっ面でスクールバスを待つ子供たちも、皆可愛い。 走る、と言うことは、弾く、と言うことと同じように 自分、自分の人生、そして世界を愛でる、と言うことなのだと思う。 毎日の練習が本当に辛く感じられた過去の一時期、 私は決意をした。 私の練習は、演奏会やキャリアのためではなく、一種の祈りだ、と決めたのである。 チベットのお坊さんは自分たちの読経は世界を平和にしている、と信じている。 あんなに過酷な運命の中で、まだ読経と瞑想を続けている。 私の練習も、そう言う物だ、と決めたのだ。 練習や、チベットのお坊さんのお祈りが実際世界平和に貢献しているか否かよりも、 自分が一番良い自分で居られる行為を意思を持ってする、続ける、 その事が世界貢献になる、と決める、その強さ。 それが、自分の中の人間性善説、そして自分の中の平和につながる。 私は、走る。 私は、弾き続ける。

弾くは愛でる、走るも愛でる。 Read More »