音楽

ニュース、色々

タングルウッドでは毎夏、怪我の為に降板せざるを得なくなる研修生が出ます。 特にオケの奏者はオケのリハ、室内楽のリハ、そして自分の練習と一日中弾きっぱなしの状態になる人が多く結果そういう事態が生じてしまうのです。そういう話は余り皆の話題にならず、特にタングルウッドの前半で弾けなくなってしまった人はひっそりと帰ってしまうので特に楽器が違うとほとんど気が付かないのですが、去年も今年もヴィオラで最初の数週間で断念した奏者がいるようです。一昨年はピアニストでも一人居ました。 後半もオペラ、FCM(Festival of Contemporary Music~近代音楽祭)など盛りだくさんです。沢山の人が肉体疲労を訴えています。やはりヴィオリストの一人が背中の苦痛を訴えて降板になりました。その子が出るはずだったクラリネット・トリオの穴埋めに私が14日の午後の演奏会でまたAugusta Read Thomasの"Traces"を3、4、5楽章だけ演奏する事になりました。キャンセルする事になったグループには申し訳ないし、ヴィオリストの一刻も早い完治を祈りますが、私とアウグスタにとってはチャンスです。FCMは色々な人が世界中から聴きに来る、タングルウッドの目玉の一つだからです。 クローデ・とパメラ・フランク親子のシューマンのトリオのコーチングは日曜日に始まり、これから来週土曜日の本番まで毎日あります。クロード氏は少し健忘症を患っていますが、音楽の話になると素晴らしい、天使の様な人です。娘のパメラさんはこれも超有名なヴァイオリニストで一時は世界中演奏旅行をしていましたが、しばらく怪我で教える事に専念しています。私のグループはヴァイオリンの子もチェロの子も上手く、それなりに形を付けて行ったのですが、「シューマンは最後は気が狂って死んだんだよ。その病的さをもっと探求しなさい。普通に弾いてもだめだよ!美しいだけの音楽じゃないんだよ!」とごしごししごかれています。

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嬉しい事ゾクゾク、中間報告

私は日本語の本を読む事も日本語で文章を書くことも大好きで、意識的にはとても日本人のつもりですが、やはり20年もアメリカで暮していると、少し感覚的なずれが出てくる事はしょうがないようです。その一つに、とても嬉しい事が在った時、どうやって表現するか、と言う事が在ります。アメリカなら、他の人を褒めるのも大げさですし、自分に自信を付けると言う意味でも自分に起こった出来事を肯定的に表現する事は奨励されます。でもこう言う行為は日本では少し謙遜の美徳と相反する様で、私にとってこのギャップは苦労する事の一つです。でもこのブログは私の家族や、支援してくださっている方々への、活動の報告と支援への御礼、と言う意味も在るので、少し多めに見てください。 日曜日の朝演奏したアウグスタ・リード・トーマスの"Traces"と言う曲の演奏がとてもうまく行きました。準備の段階から作曲家にはとても喜んでもらえて、彼女が多いに宣伝してくれたので、色々な方が聴きに来てくださいました。朝のコンサートの、しかも前半の2番目と言う順位だったにも関わらず、それから現代曲には珍しく、聴衆の多くが立って拍手して下さいました。作曲家に本当に喜んでもらえて「自分の書いた曲をこんなに熱のこもった演奏で生で聴けるのなんて、一生に何回も在る事では無い。本当にありがとう。」と涙ぐんで言ってもらえて、私もちょっとうるうるしてしまいました。彼女が、私がこれから行くヒューストンの色々な知り合いに色々お手紙を書いてくれて、ヒューストンでもこの"Traces"の演奏が実現しそうです。それから、この曲をチャンと録音するために今作曲家と、色々検討中です。 お客さんの反応と言うのは本当に正直なものです。上手く行かなかったときでも、皆とても優しいし、丁寧だから、一応ご挨拶くださって、褒めてくださるのですが、本当に上手く行った時には、全然反応が違います。私は来てくれていた沢山の研修生から沢山、沢山ハグをもらいました。そしたら、チケットもぎりのボランティアの人とか、顔見知りだけどあんまり知らない人も「私も」、「私も」とハグをしに来てくれて、しまいには、全く知らない聴衆の人までハグしに来てくれました。「私は1948年から有望なタングルウッドの研修生のサインを集めている。バーンスタインが生徒だった時、彼のサインももらったし、小澤征爾のももらってある。あなたのも下さい」と来てくださったおばあさんもいましたし、それからシンガポールに駐在なさっていて休暇でタングルウッドに遊びに来ていた日本人のご家族と記念写真を取りました。娘さんはピアノを弾かれるそうです。頑張ってね。 オペラの演奏も上手く行っています。ドホナーニはリハーサルの最初は本当に厳しくておっかなかったけれど、ここまで来たら本当にさすがに流暢で、熱意のこもった、しかも従いやすい指揮です。そして褒め言葉も笑顔も惜しみません。皆で一緒にやって来て良かったなあ、と言うムードが出演者全般に漂っています。そして昨日は「皆頑張ってくれてありがとう、御苦労さま」昼食会がタングルウッドのスポンサーで開かれました。サンドウィッチくらいが出るのかと思ったら、チャンと給仕の居る、レアのステーキとかがでる、とても美味しいお食事で、しかもなんと、ヨーヨー・マとか、エマニュエル・アックスとか、ジェームス・テーラーとか、有名人が沢山、沢山出席して、皆と一緒にお食事して款談して、写真を取ってくれたのです。私はエマニュエル・アックスと一緒のテーブルに座りました。アックス史はとても柔らかい物腰で「皆キャリアの事では色々大変だと思うけど、自分の才能を信じて、頑張って」的なお話をゆっくりしながら、クッキーを「奥さんには内緒にしておいてね」と三つくらい食べてしまいました。(奥さんは日本人ですが、このブログは読んでいませんように) そんなわけで、上手く行っています。今日も二つ演奏が在ります。楽しみです。

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ピーター・ぜルキンのレッスン

私はアメリカに来てまだ間も無い頃、母と妹と一緒にタングルウッドに演奏会を聞きに来た事が在ります。小澤征爾さんの指揮で、ピーター・ぜルキンのモーツァルトのピアノ協奏曲を聞きました。ピーター・ぜルキンは、伝説的なピアニスト、ルドルフ・ぜルキンの息子です。彼自身、とても高名なピアニストで、去年はストラヴィンスキーのピアノの木管の為の協奏曲でボストン交響楽団とタングルウッドで共演し、その非人間的に性格な演奏に圧倒されました。そのピーター・ぜルキンが今年はタングルウッドのピアノ研修生に一人ずつレッスンをしてくれる、と言うのです!今日はそのレッスンでした。 ピーター・ぜルキンはとても控えめで静かに喋る人です。痩せていて、背が高く、ちょっとマーラーの写真を思い出します。でも静かですが、目の奥にチロチロと素早い考えが頭の中で起こっているサインが見える感じの人です。 私は「子供の情景」から、最初の三つまでと、「トロイメライ」を聞いてもらいました。この曲は日本でももう何回も演奏しましたし、私はかなり弾きこんでいるつもりでしたが、彼の細かな楽譜の読み方、微細までに至る注意で、全体像がグンと明確になりました。また、弾きこんでしまったために完全に見えなくなっていた見方を色々提示してくれ、またこの曲に新たな姿勢で臨む気持ちにさせてくれました。 とても楽しいレッスンでした。大声で笑う様な楽しさでは無く、これから毎日練習して行くのが、新たにワクワクと楽しみになるような楽しさです。静かに凄い人だなあ、と思いました。

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ピットの事情

引き続き、ストラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」のリハーサルについて。 オペラと言うのは、一般的に長い物です。このストラウスはまあそれでも2時間ですが、ワーグナーや、ストラウスの他のオペラでも5時間以上に及ぶものも在ります。その間、オペラのオーケストラと言うのはずっと、ピットと呼ばれる舞台の真下にある穴倉で演奏します。この穴倉は天井が低く、奥が深く、とても暗いスペースです。弦楽器など、比較的指揮者の近くに座る奏者はそれでも舞台の下に入り込まずに比較的息が楽な場所に居ますが、鍵盤楽器、打楽器、金管など、オケの外側に位置する楽器は舞台の真下の(少なくともタングルウッドの掘立小屋劇場の場合は)蜘蛛の巣がぶら下がるスペースで演奏します。指揮者を直接見る事はほぼ不可能なので、モニターと呼ばれる小型テレビを凝視しながらの演奏です。 歌手が歌って演技をしながらのリハーサルが始まりました。時に凄いアクションが舞台上で起こっている様です。見る事は不可能ですが、「ドンドン!!」とか、「ドサ!!」とか、凄い音がし、ピットがぐらぐらゆれ、モニターに映るドホナーニの指揮が2秒ほど危うくぶれます。私はどんなに頑張ってろくろっ首に成っても舞台を見る事が不可能な位置に配置されているのでやりませんが、他の奏者達は首を不自然な形に曲げ、舞台を見ています。彼らを見ているのが面白い。表情豊かに笑ったり、心配そうな顔になったりしながら見る子。口がポカンと開いている子。そして凝視はしているのだけれど、全く無表情な子。弾きながらでも見ちゃう子。弾いている間は絶対楽譜に集中している子。自分のパートは休み中でも、舞台に全く興味が無く、無意識に堂々と鼻に指が入っている子。 オペラの場合、楽器によっては~例えば打楽器とか、30分から一時間、何も弾かなかったりするのです。その間の時間の過ごし方も面白い。本を読んでいる子。寝ちゃう子。スルリと席をはずし、劇場の客席に入って舞台上の演技を楽しむ子。外で日向ぼっこをしている子。 性格って出るなあ、面白いなあ、と思います。

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Tracesに耳を澄ます

演奏を一週間後に控えた、2006年に作曲されたピアノ独奏曲、"Traces". 5楽章から成っていて、それぞれタイトルにその楽章のスタイルがジャズ奏者やクラシック作曲家の名前などで表記されています。 一楽章。「Reverie(夢想)」 Like Robert Schumann (The Poet Speaks) crossed with George Crumb  (シューマンの子供の情景から「詩人は語る」とジョージ・クラムをかけて) 二楽章。「Caprice(気まぐれ)」 Like Scarlatti’s Baroque Ornamentation crossed with Art Tatum (スカルラッティのバロック装飾音とアート・テータムをかけて) 三楽章。「Tango (タンゴ)」 Like Astor Piazzola crossed with John Coltrane (ピアソラとコルトレーンをかけて) 四楽章。「Impromptu (即興曲)」 Like Stravinsky crossed with Chopin and Thelonious Monk (ストラヴィンスキーをショパンとセロニアス・モンクでかけて) 五楽章。「Toccata(トッカータ)」 Like J.S. Bach crossed with BeBop (バッハをビーボップでかけて) 私にとって今この曲で一番の挑戦は長く引っ張る音と、どう向き合うか、と言う事です。 この曲は二楽章から五楽章までは普通のテンポで速かったり遅かったりしますが、時々突如として「できるだけ長く引っ張るように」と言う指示の付いてあるフェルマータが在ったり、「あたかも楽章が終わったかと錯覚するように」と言う指示の付いた長い休符が在ったりします。また、幾つかの楽章の最後には「最後の和音は15秒以上響かせている様に」などと言う指示も在ります。さらに一番大きな問題は一楽章。楽章全体が22個の音のみから成っています。一音弾いて約6秒まち、次はピアノの弦をはじいて約4秒待ち、云々。この楽章は舐めてかかっていて、最初のレッスンを初見でしたらば、怒られてしまいました。そして実際練習を始めたら、禅問答の様な難しさなのです。どうしても一音弾いてから、邪念なくその音を6秒間次の音まで聞き続けている事が出来ない!自分がいかに俗人だったかを思い知らされます。曲を信じ、音響のパワーを信じ、自分の演技力を信じ、始めから終わりまで一貫した気持ちで弾く事がいかに難しいか。普通の曲なら、練習さえすれば音を弾く事に隠れていられるから、逆に簡単です。しかしこう音が少ないと、どうしても自分自身と対面せざる終えない。

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