音楽

指揮について

昨晩、入学試験の伴奏で超多忙だった一週間の終焉を祝って、久しぶりにLAフィルの演奏会を聴きに行った。ベルリオーズのLe Corsaire、エマニュエル・アックス独奏によるショパンのピアノ協奏曲2番、そしてショスタコーヴィッチの交響曲6番と言う演目である。アックス氏のショパンは前にも聞いたことが在り、いつも何かが今一つ足りない、と言う気持ちを払拭しきれない。余りに率直で、簡潔過ぎるのだ。この曲は私は何年にも渡って色々なツアーで何十回と演奏した曲で、だから余計批判的になると思うし、アックス氏は去年の夏タングルウッドでメンデルスゾーンのハ短調トリオをみっちりコーチングしてもらってから私は非常に尊敬している。彼のボストン交響曲とのベートーヴェンの4番も素晴らしかった。まあ、ショパンについてはそういう所である。しかし、今回の演奏会の一番の注目点は何と云ってもLionel Bringuier と言う若干23歳の指揮者だ。LAフィルの常任指揮者を今シーズンから勤めているデュダメルもまだ27歳で、その熱情的な指揮と、非常に人間的な性格で話題沸騰中だが、その彼の副指揮を務めているのが、このライオネル君だ。彼は19歳の時に指揮の登竜門的存在である、ブサンソンで優勝している。BBCや、NYフィルなど、一流のオーケストラの客演指揮もすでに勤めている、将来有望株だ。 私が特に彼の指揮が気になるのは、私自身、コルバーンを卒業後、指揮をもっと本格的に勉強するか否か、今迷っているところだからである。ライオネル君は、若いから当たり前だが、指揮歴はまだ10年と、短い。そして、この華々しいキャリアである。私はライオネル君よりかなり年上だが、指揮歴はまだ4年、しかも趣味的な、微々たるものである。華々しいキャリアを望んでいるわけではないし、望んでもかなう確率は万分の一以下である。じゃあ、なぜ指揮の勉強をしたいのか、指揮とは一体何なのか。 私がコルバーンに来た年、指揮を始めた理由は、楽器演奏とは正反対の視点から音楽に関わることによって自分のピアノ演奏を上達させたかったからである。楽器で音楽を奏でる場合、一つ一つの音全てに肉体的、感情的、知的に自分を打ち込む。その為に視点が近視的になり、全体像を見失いがちである。指揮の場合、一つ一つの発音や、細かいニュアンスは全て他人任せで、ただ単に方向性と全体像だけに責任を持つ。全く逆の遠視的とらえ方である。私は自分は近視的な人間だと思うし、そう言う自分が好きだ。突き放した見方は余り好きでない。でも、ピアニストとしてバランスを取るためには、指揮の勉強が役に立つのでは、と始めただけである。 ところがやってみて、面白くなってしまったのである。指揮には音楽だけでなく、人間とのかかわり合いが重要になってくる。奏者たちの心理的要素、それにどう言う風に何を訴えかけ、どう左右することによって、どう言う音、どう言う音楽を作り上げるか。これはただ単にどう腕を振り回すかだけではない。演奏前にどう言う言葉をかけるか。オケ奏者の一人が間違えを起こした場合、睨みつけるか、微笑みかけるか、無視するか。どうやってオケと言うグループの士気を高めるか。言葉か、行動か、表情か、あるいは腕の動かし方か。また、指揮にはハッタリの要素が強い。そして私は意外にハッタリが効くのである。本当は自信が無くても、音楽の、そしてオケの気運が自分にかかっていると思った途端、急に張り切って「大丈夫、私が付いているからね!」と根拠も無いのに声高らかに宣言し、無我夢中で手当たり次第何かをしているうちに何とかなってしまったりするのである。う~ん、面白い、そして愉快。 ライオネル君はデュダメルに負けず、凄く大きく降る指揮者だ。しかしデュダメルがどう考えても美男子とは言えない、まあ3枚目なのに対し、ライオネル君は小柄だが、線の細い美形である。デュダメルが汗垂れ流して大きな運動で指揮をすると「情熱的」になるが、ライオネル君は同じくらいの運動量でも、なぜか汗が余りで無いし、結構優美な感じでこれは「ドラマチック」になるのである。しかし、彼にはハッタリの要素が多い。私は、(やっぱりちょっとはやっかみもあるし)目を皿の様にして彼の指揮をチェックしていたが、彼は何度か振り間違えたし、大事な導入の合図を忘れた。特にショパンはほとんど勉強してなかったと思う。まあ、ショパンなんて言うのは指揮無くても何とかなるし、そのほかの曲だって急所意外は大抵の所は指揮無くてもオケは勝手に弾けるのである。じゃあ、指揮と言うのは何なのか。 後半に続く。。。?

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今、学んでいること

急ピッチで沢山の伴奏譜を譜読みしている。 自分自身のオーディションでは無いが、人の人生がかかっているオーディションだから責任も感じるし、しっかり上手いことサポートしてあげたい。一昨日キャンプから帰って来てから練習室に缶詰状態だ。昨日の夜は本当は息抜きに友達とティム・バートン監督の新作「不思議の国のアリス」を観に行く約束をしていて、本当はとても行きたかったけれど、キャンセルせざるを得なかった。でも、私はこういうギリギリのところで頑張るのは結構好きだ。負けず嫌いだし、挑戦されると頑張って、その過程を結構楽しんでいる自分を好ましく思う。 そうやって根詰めて頑張っていて気がついたことは、一つのことばっかり同じ視点から見ていると、ブラインド・スポットが出てくる。視点を変えるべく、上手いこと気分転換したり、色々な方法でアプローチすること工夫が大事と言うことです。疲れてくるとボーっと同じモーションを惰性で繰り返して頑張っている錯覚に陥りがち。そしてそれは時間と労力の無駄であることが多い。 頑張るぞ。

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夢でショパンに会う。

私は普段ブログは夜書いているのですが、今日はどうしても書きとめたい夢を明け方見たので、練習前に急いで書いています。 夢の中で私はその夜、ベートーヴェンの協奏曲をオーケストラと演奏する予定です。現実には私は4番は弾いたことが無いのですが、まあ有名な曲ですし、夢の中の私は(何とかなるさ)、と自信満々です。そしてバスに乗って会場に向かう途中突然(でも、そう言えば全然この曲さらってないなあ。ああ、あんなに他の曲ばっかさらわないで、今日の演奏会の曲もさらっておけばよかった。昨日は一日練習日だったのに。。。)と悔やみ始めます。くよくよ悔やんでいる最中、突然ベートーヴェンの協奏曲4番の本番の翌日は、ベートーヴェンのソナタ、作品54の本番が在ったこともあります。この曲は私は実際何回も演奏しており、CD録音もしているのですが、2楽章がちょっと早口言葉の様な感じで、(これはまずい、練習しなければ)、とバスに乗った私はどんどん焦り始めます。 バスが会場近くに着いたところで私は飛び降り、練習室を探して奔走します。そしてなぜか、私の先生のレッスン室にたどり着きます。そこでは先生が静かに練習しています。飛び込んできた私を見て先生は「おお、今日の夜は本番だったね。」と実に時間をかけてゆっくりと喋り、私に「練習させてください」と泣きつかせる瞬間も与えずに「そう言えば、今君に是非在ってほしいお客さんがお越しになっているんだよ、ホラ」と部屋の隅を指差します。そこには、細面の、ひどく顔色の悪い、白人か東洋人か分からないような、長ぼそ~い人が、フリフリのついたちょっと場違いなシャツとベルベットのジャケットを着てほ~っと立っています。私はなんとなく不思議な気持ちでその人をまじまじ見ていると、急にそれがだれか気づきます。 「もしかして、ショパンさんですか?」 その人はゆっくりうなづきます。おお~、聞きたいことは山積み。頼めばここでレッスンをしてくれるかも! でも、本番は刻々と迫っていて、おまけに遠くから、演奏会が始まってオケの一曲目が流れるのが聞こえてきます。 私はもう着替えて、走って会場に行ってもギリギリセーフ位! 本番を蹴って、ここでショパンと話をするべきか、それともショパンはとりあえず忘れて、本番の為にちょっとでもピアノにかじり付くべきか。。。 ここで目が覚めました。 凄く意味深な夢に思えて、「是非書きとめておかねば」と思ったのですが、書き出してみると結構平凡...?

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一日練習

火曜日に最後のオーディションを弾いてから昨日の夜まで、全くピアノをさらっていなかった。 そして気がつくと、明日火曜日の午後にはレッスンがあり、弾く曲が何も無い! と言うことで、今日は久しぶりにどっぷりと練習室にこもって練習モードのみの一日でした。 折角だから、5月下旬~日本でリサイタルで弾く曲を練習開始です。 今年のプログラムのテーマは「生誕記念の作曲家たち」。 2010年はショパンとシューマンの生誕200年ですが、同時にアメリカ人の作曲家、サミュエル・バーバーの生誕100年でもあります。これだけじゃちょっと片手落ちなので、(誰か生誕300年はいないかなあ)と探したところ、バッハの息子で成人してからそれなりに成功した一人、ウィルヘルム・フリードマン・バッハが1710年に生まれていました。ショパンを中心に、4人の作曲家を検証することで、音楽史がちょっとのぞけるかな?と言うプログラムです。 まだ時差が抜けきらず、今日は朝の7時からバリバリ練習していたので、今まだ10時ですが、もうくたくたです。 寝ます。

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頑張っている。

私は今、頑張っている。 どうやったら上手くなれるのか。 どうやったらより良い音楽家として、コミュニティー貢献できるのか。 この前「聴いて」と意見を求められて、とても嬉しかったし、実際彼らをより良い演奏出来るように助けられたと思うし、その経験全てがとてもポジティブだったので、私も他の人に意見を積極的に求めることにした。今日、意見を求めたのは打楽器奏者のケイティー。リズムでほとんどすべてを勝負する打楽器奏者がピアノのレパートリーをどう言う風に聴いてくれるか、どう言う意見を言ってくれるか、とても興味があった。そして期待を違えず、凄く良い経験だった。打楽器奏者と言うのは楽器奏者の中では「職人」、「縁の下の力持ち」のように見られがちだ。でも、色々な種類の楽器を演奏しなければいけないし、音響や、物理や、色々なことを考察して、そしてほとんどリズムだけで勝負をする。普通のピアニストでは考え付かないような視点から、とても的確な指摘をしてくれた。面白かった。 打楽器奏者や、金管楽器奏者と言うのは、技術や肉体的要素(肺活量とか力とか)で価値が決められるようなところがある。3歳でレッスンを始めるピアニストに比べ、肉体に成長していないと演奏不可能だから音楽教育が始まるのが遅い、と言うこともあり、技術性よりも芸術性が重要視されるピアニストやヴァイオリニストよりも、どちらかと言うと職人的な扱いを受けやすい。だから、打楽器奏者、しかも私にとっては下級生に当たるケイティーにレッスンを頼む、と言うのはケイティー自信びっくりする出来事だったようで「頼んでくれて光栄だった」とまで言われてしまった。でも、私は本当にケイティーから今日、多くのことを学んだ。そう言う偏見と言うのは、皆の日常、学習を少し貧しくしているなあ、と思う。もっと発想を自由に、もっと貪欲にお互い学びあい、刺激し合い、向上し合おうよ!と思う。 今、私は正念場だ。毎日の練習がちょっとプレッシャーを感じる。でも、邪念を払って、音楽に集中しよう。余り、他のことは考えないで、とりあえず音楽を通じて自分を出し切ることに専念しよう。

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