練習法

休みも練習の一部!

ハイドンの交響曲を聞かせ脳波を計ったところ、 一番活動が多かったのが、休符(音楽が一瞬静寂になるところ)だったそうだ。 インプットが多い時は、インプット対応に総動員してしまい、情報を整理する所までいかない。 だからインプットが止んだ瞬間にそれまでの情報を整理しようとして脳が活性化するらしい。   今朝はミーティングの前に練習に費やせる時間が2時間弱。 リスト編曲シューベルトのピアノ独奏用『Ave Maria』を2月23日の演奏までにマスターしたい。 ので、今日はAve Mariaサンドウィッチで行きます。 Ave Mariaを細切れに練習し、 間に、他の曲のあまり知的能力を要さない技術的なパッセージ練習を入れれば、 その間にAve Mariaが習得できるのではないか‼と言う仮説の基、です。   Ave Maria(ゆっくり跳躍を噛み砕いてで筋肉に教えてあげているつもりで) Mephisto Waltz5番、86ページ目から難所だけ抜粋で。 Ave Maria(ユニット練ーこれは一小節などのユニット分だけ演奏テンポで弾き、いったん止まって復習と予習のイメージトレーニングを頭の中で行った後、次のユニットに移る、と言う物) Hungarian Rhapsody(スタミナを付けるために得に強いタッチで強音で背筋を意識しながらゆっくり目に通してみる) Ave Maria(難所だけ、根気よく繰り返してマスターする練習) エロイカ変奏曲(始めから終わりまで、曲をイメージトレーニングをしながら、難所だけ実際に練習してみる) Ave Maria(ゆっくり目に音楽的に通す) 英雄ポロネーズ(構築に注意しながら、ゆっくり目にかみ砕いて脳みそに教えるつもりで)   音楽人生、万歳!  

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自分の録音を聴いて次へのステップアップ!

やるべき事、と言うのは沢山ある。 片手練習、ゆっくり練習、弾かずに楽譜を勉強する、 ハーモニー・リズム・メロディーと要素を独立させ弾いて視点を新しくする、 声に出して歌ってみる練習、メロディーに台詞・曲に場面や物語を付けてみる練習、 他の人の録音を聴いてみる勉強法、などなど、などなど。 その中で自分が好んでやる練習とそうでないものがある。 一番後回しになってしまう、一番気が進まないのが、 今日私がやることに決めている、自分の録音を聴いてやる反省会である。 録音した自分の声に物凄く違和感を覚える方は多いだろう。 録音した自分の演奏、録画された自分の演奏姿と言うのは、まさにその違和感! しかも反省点が多すぎて(穴があったら…)状態になる危険性をはらんでいる。 しかし、本当に効果的な勉強法である事も確かで、私は今日はそれをやる! そういう事を一般公開してしまうのは、プロ意識に欠ける! …と思われる方もいらっしゃるかも知れない。 でも私は、自分の成長の過程もシェアする事で、 そういう事に興味がおありになることのお役に少しでもたてば、 そしてクラシック音楽への興味を持つ方が一人でも増えれば本望です。 今日聴くのは5月7日にヒューストンでやった独奏会。 21日(千葉は稲毛のジャズSpot「Candy」さん)、22日(三鷹のギャラリー「静」さん) そして25日にみなとみらいで弾かせていただく演目{『クラシック』って何⁉」。 「キラキラ星」変奏曲 1.テンポにばらつきがある。微妙に走るところがある。これは細かい音をはっきりと弾く事に集中して近視的になって全体像を見失うときにおこるんだと思う。常に歌心を忘れずに。 2.もっと12の変奏曲をまとめる構築をしっかり意識したい。短調の変奏曲をターニングポイントにするのか否か、最終変奏曲を始まった瞬間から「フィナーレ!」と言う雰囲気を持たせるためにはそこまでにどうやって持って来ていれば良いのか、変奏曲から変奏曲へ移行する時のタイミング、テンポの変化(あるいは一貫性)。そう言ったものを意思を意識でもってきちんと音楽的に決断しておく。 シューベルト「楽興の時」2番 1.フレーズの「問いかけ」と「応答」の関係がはっきりしなかったりする。フレーズと次のフレーズへのタイミングや音色の関係を、もっと全体的な方向性をはっきりと意識することで自然と明確にする。変ホ長調がヘ短調に移行する時もっと魔法のように不思議な感覚を。それで次に変ホ長調が嬰ヘ短調に変わる時の劇的さが更に強調されるはず。 2.長~く引っ張る和音の中にもちゃんとしっかりとした脈を持たせる。 シューベルト「楽興の時」3番。 音色の変化で際立たせるべき微妙な音楽的変化を表面的にタイミングでやろうとしている。基本的にこれは淡々と左手でもっと流れてかなければいけない。そして音色で表情を付ける。左手の「♪うんちゃ、うんちゃ♪」を表情豊かに淡々と弾く練習をメトロノームとして見よう。 ベートーヴェン「悲愴」一楽章。 ほぼ全てはタイミングで決まる!例えば「ここは粘るぞ」と決めたところで、最後の一瞬の粘りが足りない(すでに次のフレーズの事を頭で考えているのが原因)。それから勢いで弾いている時でも、どんなに速くても一音一音全てを意識しなくてはダメ(例えばオープニングの一番最後の半音階スケール)。連続音が続くところでは周りでどんなメロディーが歌い上げようが、どんな和声が意外な展開をしようが、連続音は時計の様に正確に刻むことに徹する。それで「非情」な感じが「悲愴」さを盛り立てる。 ベートーヴェン「悲愴」2楽章 誰がなぜ歌っているのか。それぞれのメロディーの性格をはっきりと決め、それに徹する。音域が違うさまざまなメロディーを全て弾き分ける。 ベートーヴェン「悲愴」3楽章。 もっとペダルをストイックに、隠し味のように使い、古典的に弾く。この楽章は控えめに弾いて「悲愴さ」をより盛り上げる。装飾音の最後の一音まで美しく転がす。 ベルグ「ピアノソナタ」 細かい音をもっとサラリとさりげなく弾く事で、全体像をもっとはっきりと出す。一々細かい事一つ一つに重要性を持たせ過ぎない。声部毎の練習とか、和音毎の練習とか、小節毎の練習とか、モティーフを一つ一つ意識して強調しながら弾く練習とか、分析しながら細かい練習でつめていく。

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練習しながら馳せる思い

あと一週間半で、「『クラシック』って何⁉」を初演する。 練習に拍車がかかっている。 しかし演奏会が迫っているからと言って演奏準備のみに生活が染まる訳では無い。 博士論文のためのリサーチや指導教授との交信、 日本での公演の広報やその他もろもろ準備、 5月7日を皮切りにヒューストンである色々ある他の演奏会の準備・練習、 生徒さんの指導とそれにまつわる交信、 健康管理のためのほぼ毎朝のジョギング、食生活管理、など。 練習できる時間は貴重である。 いかに効率よく、短時間で最大の向上を遂げるか。 速い曲をゆっくり練習し、技術的な難関を分析・理解し、弾けるようにする。 ゆっくりな曲を2倍、3倍のテンポで練習し、曲の方向性や構築・全体像をつかむ。 音量の大きな曲や部分を弱音で練習し、イメージトレーニングの様な事をする。 こうすることで、肉体的疲労を防ぎ、強音の箇所を長く練習できる他、 音量を落とすことによって違った視点からその曲を考察できる。 実際には弾かないで、楽譜を勉強する。 などなど。 背水の陣で頑張っていると、時々思いがけないインスピレーションを受けることがある。 ゴールをはっきりと設定し、それをクリアするような練習をしているのに不思議だ。 昨日はスコット・ジョップリンのラグタイムを練習している時、 突然(他の曲と同じ弾き方じゃダメだ)と悟った。 スコット・ジョップリン自身は11歳から16歳まで ドイツ出身の音楽教師にその才能を見込まれて無料でレッスンをしてもらっている。 音楽を娯楽だけでなく芸術として教わり、 クラシック、オペラ、民族音楽と色々なジャンルを教わったらしい。 だから彼の音楽教育、ピアノに於ける基礎技術は、結構きちんとしていただろう。 でも、ジョップリンのラグタイムを一世風靡した背景には クラシックの様なヨーロッパ風エリート主義・歴史崇拝に対する反抗心、 アメリカ独自の文化、純粋に楽しい音楽を求める心があったのではないか。 19世紀の終わりと言うとJohn Philip Sousaもアメリカ全土を魅了していた頃だ。 そしてラグタイムを演奏するドサ周りの黒人の多くは独学でピアノを学び、 耳で弾く、楽譜が読めずに「正規」の奏法を教わらずに来たピアニストが多かったのでは? 少なくとも、幼少にハノンやツェルニーを何時間も練習したようなピアニストでは無い。 大体ラグタイムの書き方自体が指主体ではなく、手首・腕主体だ。 どうやったらクラシックと対象的な奏法・音色・スタイルを編み出せるだろう。 ピアノで座る姿勢をまず変える。 重心を下げ、力を抜き、勢いと重さで弾くことに重点を置く。 この人達はクラブやお祭りや世界万博で何時間もBGMを弾き続けた。 何時間も、騒がしい環境の中で弾き続けるためには、楽に弾けなければいけない。 渾身を込めてはいけない。 この音楽は深いメッセージや募る思いを表現するのではなく、 むしろそう言う物を押しやるような強い生活力、意志的な明るさ、 ある意味ドイツ流クラシックの自己陶酔的な真面目さと対局する意地を持つ。 軽くて良いのだ。 ピアノに自己投影をする教育を受けてきたクラシック奏者としては 「軽く弾き流す」と言う事には違和感を感じる。 でも、それを敢えてすることで、新しい人生観が得られるような気もする。 こう言う事を、15分の練習で考えたりするのです。 練習ってすごい!

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現代曲の譜読み

私はTexas New Music Ensemble(テキサス現代曲アンサンブル)と言う 去年創立されたNPOの創始メンバーのピアノ担当である。 テキサス州に関係のある存命の作曲家の曲だけを取り上げるアンサンブル。 来る11月、このグループ主催のピアノ独奏会を演奏する。 ライス大学を始め、テキサスにある主要大学音楽部の教授の曲が多い。 テキサスと言うのは政治的に、一般的には右寄りで保守的とされる州である。 キリスト教信者の数が物凄く多いし、キリスト教ベースの保守的な考え方 (例えば女性問題、アボーションの問題、同性愛者結婚問題などに関して)を 強く主張したりもする。 そのせいだろうか。 現代曲も、一番実験的、アヴァンガードなものよりはずっと 調性がなんとなくあり、ジャズっぽかったり、テーマがはっきりしていたり、 聴きやすいものが多い。 (今日のブログのテーマからはちょっと離れるので蛇足かもしれないが、 そういう風に見るとアメリカ東海岸はヨーロッパより、西海岸は東洋よりで 美的感覚で現代曲が随分違う。) しかし、それでも現代音楽。 新しいこと、斬新なこと、新しい見解などを打ち出す野心をどこかに隠し持った曲が多い。 と、言うことは正規のクラシックのような 調性とか、メロディックなテーマとか、そう言うパターンが見つけにくい、のである。 こういう有名な実験がある。 チェスのチャンピオンたちにチェスボードを見せる。 駒がゲームの途中のように並べてある。 彼らはこれを一瞬見ただけで、記憶できる。 ところが、同じボードに駒を全くランドムに、ゲームではありえない配置をすると どんなチェスチャンピオンでも全く記憶できないのである。 意味あるものは理解ができるから、記憶できる、と言うことである。 現代曲の多くは、このランドムなチェスボードを記憶しようとするようなものだ。 非常に時間がかかる。 でも、段々、段々、自分なりの意味づけが出来てきました。 でたらめ言葉を台詞にもらっても、 大役者なら何等かの効果を上げるだろう。 私だってプロのピアニスト。 音楽を創ってみせるぞ。 どんな材料でも。 そういう意気込みで読んでいくと、 段々作曲家の意図した音楽も見えてくる。 面白くなってきました。

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自分の本番を録音で聴く、と言う作業

自分の演奏の録音を聴くのは、自分の声の録音を聴くようなショックがある。 「え!?これが自分?」 例えば、自分で録音した留守電メッセージを確認のために聴くのが苦痛なように、 自分の演奏の録音を聴くのも、実に実に、気が進まない。 歯医者に行くのと同じくらいいやだ。 しかし、これが非常に勉強になるのである。 今日は誇りを持って報告しよう! 私は今週土曜日の自分のみなとみらいホールでの演奏録音を聴きました。 まだ30日にもう一度千葉美浜文化ホールで≪南欧の愛と幻想≫を演奏する。 その時に自己ベストを尽くすためにも、反省のためにも、聞かなきゃ… 土曜以降ずっとそう思っていたが、 今日火曜日にやっとその勇気が出たのは 聴衆の皆さまからのメールやFacebookメッセージのおかげである。 実は私は演目の一番最初に弾いたショパンの幻想即興曲は 壊滅、惨敗で、穴があったら入りたい、と思って弾き終えた。 普段、想定もできないようなミスタッチをたくさんして、 (自分はなんでピアニストなんて言う職業を選んでしまったんだ…)と 悲しい気持ちで舞台そでに引っ込んだ。 ところが、コメントで 「幻想即興曲が良かった」 「よく知った曲が熟考された新しい解釈で新鮮に聞こえた」 と言うようなお褒めの言葉を多数いただいたのである。 奏者の本番直後の自己評価が聴者の評と大きくずれることは、実際よくあることである。 私はそれで、録音を聴いてみる勇気と興味をいただいたのである。 (ご感想くださった皆さん、ありがとうございます‼(≧▽≦)) 録音を聴いてびっくり! 曲全体の印象を大きくゆがめてしまうくらいの破壊力に思われたミスは 一瞬の出来事でほとんど聞こえない。 確かに不安定さがあり、テンポが前倒しになり気味だが、 それが却って、不安な曲想を煽り立てている感じにも聞こえる。 そ、それにしても…速い! この話しはブログにももう書いたけれど、 極度の集中をしている時、主観的な時間がいつもよりもゆっくり流れる。 一秒が一秒以上に感じられるのである。 よく、格闘技の漫画などで、それまで速すぎて見えなかった相手の技が 「み、見える…!!」と言うあの瞬間、である。 しかし、音楽は時間の芸術である。 時間感覚のゆがみが非常に致命的になることがある。 一番単純なのは、 いつものテンポで弾いていると思っているのに実際はずっと速く 物理的に体の動きが追い付かない場合である。 例えば録音のスカルラッティのソナタで、私は腕の交差が追い付いていない。 (集中ができていない)とか(緊張しすぎている)とか演奏中は誤解してしまうが、 実際はもっと単純に、極度の集中で時間の感覚が変わり、テンポが速すぎるだけなのだ。 次に困るのは、難しいパッセージだけ集中度が増す、と言う現象である。 簡単なフレーズが続いて、急に難しいパッセージが入る。 そうすると、パッとテンポが速くなるのである。 これは私だけの問題ではない。 私の生徒、同僚、そしてプロの演奏でも良くそう言う現象は見受ける。 最後にゆっくり歌い上げているつもりが、 お客さんに感動する間を十分に与えていない、という現象である。 無声映画の時代の、ちょっとだけ早回しの映像で、 チャップリンがいくら泣いても滑稽に思えるのは、タイミングの問題である。 チャップリンは道化役だからそれで良いのだが、 音楽ではそうはいかない。

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