怒られた!

昨日、今日と続けてレッスンがあった。火曜日に、またある。 コルバーンを卒業する、という事で、先生が一生懸命伝授しようとしてくれるのが、分かる。 嬉しい。 昨日のベルグのソナタはべた褒めされた。 「完璧だ。直すところが無い」 ~こんな事を言われたのは全く初めてである。 ところがその後、「結局日本のプログラムの演目は最終的に何になったの?」と聞かれ、 「新ウィーン学派が音楽史の必然的な流れとして出てきた、と言うテーマで、 モーツァルト、ベートーヴェンの「告別」、ベルグのソナタ、 そして休憩をはさんでシューベルトのハ短調のソナタを弾こうかと。。。」 と答えたところ、顔を真っ赤にして怒り始めたのだ。 「どうして君のプログラムはいつも音楽学者の講義みたいなプログラムなんだ! 君はいつも知的に音楽を修めようとする。これが君について僕が一番心配していることだ。 どうして、音楽を素直に音楽として感じることに満足しないのか? 知性は感情に相反するものだ。僕は君が勉強ばかりしているのが本当に心配だ。」 先生はちょっと太り気味で、多分血圧が高い。 もう高齢だし、本当に心配になる位真っ赤になって本当に大きな声を出して怒っている。 「わかりました。考えさせてください。」 と言って、次にショパンのポロネーズを弾いた。 でも、やっぱり私も少しびっくりして、普段しないような間違えを沢山してしまった。 それで、私の隠そうとしている動揺が、多分ばれてしまったのだと思う。 弾き終わったところで先生が 「ごめんね。気を悪くしたよね。 でも、僕はここまで進歩してくれた君がまたこの後元に戻っちゃうんじゃないかと本当に心配なの。」 と、言ってくれたのだ。 泣きたいほど、嬉しかった。 私は先生の論理には、少し疑問を持つ。 本当に知性は感情に相反するものなのか? 確かに、感情に基づかない論理は、誠実さの正反対の結果を生み出すこともあると思う。 でも私は、自分の感性で感じ取るものを感情以上の確固たるものとして、 聴衆と、自信を持って分かち合いたい。 先生の考え方、演奏家は受け継がれた伝統や伝授されて培った音楽的直観、正直さを信頼して弾く、 と言う考え方は、少し古いと思う。 音楽を伝統芸術として研究する、と言う動きは最近のもので、私の世代には普通の考え方だ。 でも、先生が心配するように、 私には説明のつかない感情というのを論理で丸く収める、という傾向も確かにある。 先生のメッセージは胸にしっかりと留めて、でもやっぱり私は私の道を行く。 それしか、できない。

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