September 2009

嬉しかったこと

今日の夕焼けは格別だった。 友達と外の芝生で夕飯を食べながら、 自分たちの将来や音楽業界の将来について結構真剣に話をしていたのだが ふと気がつくと、雲が美しいパターンを描いて、夕焼けを金色に反射していた。 どんな統計が、これからの音楽業界の先行きの不安を描き出したとしても、 私にとって音楽とはもう宗教の様なものなのだ。 人類にとって、と言うのはおこがましければ、私にとって、 音楽と言うのは感性を研ぎ澄ましてくれ、生きていることの実感を与えてくれ、 信念を持つことを教えてくれる、私が成りたい私になるために不可欠なものだ。 そのための犠牲は、私は悔いは無い。 私は音楽に巡り合えて幸運だった。 それに、一生懸命何かをやっていると、同じく一生懸命な人と、親身な友達になれる。 私は楽観的に、毎日一歩一歩、自信を持って修行を重ねていこうと思う。

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演奏会後の不眠

昨日の夜は眠れなかった。 疲れていて11時に就寝したのだが、1時半に目が覚め、そのあと寝たり起きたり朝まで過ごした。 目が覚めるとなんだか心臓がどきどきして、色々気になって寝ていられない。 起き上がって、ちょっと勉強してみたり、水を飲んだり、物を食べたり、読書をしたり、 リラックスして自分をなだめて、なんとか睡眠までこぎつけようと工夫をするのだが、 工夫の後やっと睡眠にこぎつけてもまたすぐ眼が覚めて、繰り返し。 こんなにひどいのは珍しいが、演奏会の後はたいてい眠るのに苦労する。 頭の中で音楽がぐるぐる鳴っているのである。 反省点が急に次々出てきて、「穴があったら入りたい状態」な時もあるし、 次の演奏に向けての課題を急に思いついて、闘争心に燃え盛る時もある。 また、あまりに楽しくて嬉しくて、にやにやにやにや、眠れない時もある。 今回のは少し違って、土曜日の夜の演奏会の副指揮の興奮で眠れなかったのである。 土曜日は4~6時まで演奏会場でのサウンド・チェックおよび最終リハーサル、 そして8時から本番、と言うスケジュールだった。 副指揮者として、その夜の指揮者のアシストを務めるとともに、 指揮者に何かあったら代役を務めるつもりで挑まなければいけない。 まず、4時のリハーサル開始に、渋滞に巻き込まれた指揮者が10分遅れてきたのである。 その10分、私は気が気でない。 調弦だけでも始めさせるべき?最初の曲、振り始めるべき? やっと指揮者到着。 そして、リハーサル開始後、曲が進行する中、指揮者が振り返って「どう?」と聞くとき、 いったい何と返事をすればいいのか。 細かい問題点はたくさんあるのだ。 しかし、リハーサルの時間は限られているし、本番は数時間後。 結局「いいです!」と答えるしか、私には思いつかない。 作戦を変えて、大きな問題点をノートに書き取り、リハーサルの後で指揮者に渡した。 そして木管や、打楽器に個人的にアプローチして、随処の問題点を質問と言う形でやわらかく指摘。 皆に本番でベストを出してもらいたい。 でもそのために何をいつ、どう言えば良いのか、経験不足な自分が本当に歯がゆい。 今週のリハーサルは毎日出席して、総譜も勉強し、注意点も書きこんだ。 でも、副指揮者としてそれをどう活かせるのかが、うまく掴めない。 そして本番中、なまじ難しい所や、落とし穴を全部知っている分、自分で演奏するような緊張感。 どうしても力が入り、指はトントン拍子を取ってしまう。 演奏会はとても良かったのだが、私は本当に疲れてしまった。 そして夜、寝ているとドヴォルジャークのチェロ協奏曲や、ヒンデミット、ラヴェルが鳴りだす。 「こう言えばよかった」 「何で自分はこうしなかったんだろう」 「こう言ったほうが効果的に伝わったかも」 むしろ自分で振った方がずっと吹っ切れ易かったかも。 このプログラムなら、本当に振れたのに! あああ!指揮がしたい!!!

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グスタヴォ・デュダメルについて

日本でグスタヴォ・デュダメル(Gustavo Dudamel)と言うのはどのくらい話題になっているのだろうか。 ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督を17年務めあげたエサ・ペッカ・サロネンの後任。 若干28歳の若さも話題だが、それよりもヴェネズエラ出身だと言うことや、 恩師、サイモン・ラトルをまねて伸ばしたくりくりの髪が 激しい指揮と共にぶんぶんと振り回される様子、そのカリズマ、人当り良さで非常な話題の人になってる。 ロス・フィルのシーズンは来週始まるが、 そこらじゅうの街灯にロス・フィル宣伝のデュダメルの様々な写真がプリントされた旗がはためき、 どの新聞もこぞってデュダメルについての記事を書き、 まさしく「犬も歩けばデュダメルにあたる」なのである。 今日読んだ新聞記事によると、このデュダメル・フィーバーにあやかろうと、 「デューディー・ドッグ」なるホット・ドッグ(アボガドのドレッシングや香辛料などが南米風らしい) を売り出す店まで、出てきているそうである。 私は2年前に彼の指揮を見ているが、確かにすごいドラマチックな指揮者だと思う。 そして人をその気にさせるエネルギーと言うか、オーラみたいなものが在って 「世界皆兄弟」みたいな気持ちにさせてくれるから、彼の指揮でオケで弾くのは楽しいと思う。 新聞記事の見出しだけでも面白い。 「デュダメルは、クラシック業界を救えるか?(高齢化が危ぶまれるクラシック業界に若い世代を呼びこむことができるか、と言う内容」 「デュダメル、茶色の新風(ロスの人工比率を大きく占めるヒスパニック系の観客を増やすことができるかと言う内容~確かにクラシックの観客は白人が多く、近年東洋人の割合が増えたが、他の人種は人口の比率に比例していない。しかし、デュダメルは南米出身と言ってもその風貌はむしろ白人に近いと私は思う)」 一観客としては、これからデュダメルの指揮をたくさん見れることは嬉しいが、一演奏家としては、このプレッシャーを彼がどうやって乗り切るか、同情と興味と応援したい気がこもごも。 ロス・フィルの新しい時代が開幕する。

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ワーグナーの「指輪物語」と「送り人」

昨日の夜は盛りだくさんだった。 前から「送り人をダウンロードしたから一緒に見よう」と誘ってくれてる下級生がいて、 昨日の夜9時に約束がしてあった。 内気な子で、やっと段々打ち解けて来てくれたのが嬉しかったので、この約束は守りたかった。 しかしその午後、ワーグナーの指輪物語の「ジークフリートの伝説」の通し稽古の券をもらったのだ! 5時半に開演、10時45分に終演する5時間以上の長丁場だ。 私はジークフリートを9時までみて、それから「送り人」を見ることに決めた。 5時。お腹が空いて無くても、とりあえず軽食をお腹に押し込んで、オペラに挑む。 ワーグナーは調整をその限界まで押し続けた作曲家と言うことで、 ドビュッシー、ショーンベルグを始めとする20世紀の音楽の創始者達すべてに大きな影響を及ぼした。 と、言うことで、11月後半に「歴史を反映する不協和音」と言う題名で ウィーン学派の作曲家たち(モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ベルグ)が どうして無調性に行きつくか、というテーマのリサイタルを予定している私は、 ワーグナーは必修!だったのだ。 しかし、長い。 第一幕は一時間だったが、ほとんどがジークフリートとその育ての親である小人の会話だ。 舞台装置も衣裳もすっごく(音楽の邪魔になるくらい)凝っており、 音楽とストーリーがゆっくりと進行する中、舞台の仕掛けは結構一生懸命動き、 多分、ワーグナーマニアは眉をひそめるが、ワーグナー初心者には親しみやすい演出だった。 絶対にワーグナーはユーモアを意図してないところでも、 舞台装置や、歌手の演技がコミカルで、客席から笑いが良くおこった。 特に、指輪を守っている、恐ろしいはずの竜は、出場する前の歌詞や、 まだ姿を見せずに歌だけが聞こえるところでは、マイクを通して歌手の声がびりびりと聞こえ、 どんな竜を出してくるかと思ったら、「お母さんと一緒」に出てきそうな可愛くて、 サイズも小さい竜で(7歳児くらいの大きさ)客席は大笑いになった。 う~ん、ワーグナーはきっと怒るだろうな。 そして、こんなに演出家が頑張っても、私はちょっと寝てしまった。(ごめんなさい) タングルウッドで友達になったチェリストがこのオペラのオケでアルバイトで弾いているが、 非常に疲れるだろうと思う。トイレはどうするんだろう。今度ご飯する時に聞く。 9時「送り人」。 主人公がチェリスト、と言う設定の割には音楽がお粗末で友達と大笑いしたが、 でも、いっぱい泣かせられて、最後はどうしても鼻声を隠せなかった。 中国人の友達だったので、中国語の字幕付きで見たのだが、 そのあと、日本の文化や死の概念について、いっぱい質問された。 こんなに哲学的な子だとは知らなかった。 私は「送り人」の方が、正直楽しかった。 タングルウッドで「マイスタージンガー」の第三幕の演奏会バージョンも聞いたけど、 そっちの方がまだ楽しかった。 こんなことを書いたら指輪マニアに軽蔑されそうだけど。

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コーヒーの効用と、練習効果

子供の頃は、母の方針によりコーヒーは飲まないで育った。 段々、カフェインは体に良くないと言う認識が芽生え、 お茶でもカフェインの入らないハーブティーを飲むようになった。 しかし12年前ころから演奏会が増え、譜読みが追いつかなくなり、 カフェインを飲むと練習の効率が上がると言う噂を頼りに飲み始めるようになった。 最初に飲んだ時の感動は今でもよく覚えている。 お店でテイク・アウトを頼んだのだが、カップの半分をミルクにしてもらい、砂糖をいっぱい入れた。 そして一口飲んだ時、本当に目から鱗が落ちたような、急に世界中の色が鮮やかになったような、 視点が一転したような感覚が在った。 その日の練習は夢のようにはかどった。 コーヒーを飲むと、いつまでも楽しいのである。 そして、繰り返しが苦にならずいつまでも興味を持って同じパッセージを練習できる! どんどんミルクの量が減って行き、そのうちブラックまで行きつき、一日に2杯以上飲むようになり、 さらにコカ・コーラのカフェインはコーヒーとちょっと効き具合が違うことを発見してからは 朝はコーヒーで、夕方からはコーラと使い分けるようになった。 そうしないと練習できないような、必需品になってしまった。 この効用のどれだけが心理作用で、どれだけが実際の効用だったのか。 最近風邪をひいたとき、 友達に断固と「カフェインは病気の時、体に良くない」と主張され、 コーヒー無しでずっと過ごした。 何となくいつもよりリラックスして、性格がまろやかになったような、 アクセク観が無くなったような気がした。 興味を持って回復後もずっとコーヒーを絶ってきたが、そろそろ困ってきた。 何だか一日中眠いのである。 始めは病み上がりのせいだと思っていたが、どうやらそれだけでもないらしい。 緑茶を飲んだり、甘いものを食べたりして、自分にはっぱをかけようとするのだが、 怠け者になってしまう。 そしてどんどん早寝になる。 今日は友達の誕生パーティーだったのに、10時になったらもうどうしようもなく眠くなってしまった。 う~ん、どうしよう。 明日、コーヒー再開しようか。

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