August 2009

ベートーヴェンの「告別」

練習の仕方が随分変わった。 音楽の聴き方、接し方が変わったことによる当然の結果だと思う。 今、11月の日本でのリサイタル・プログラムを練習しているが、 ベートーヴェンのソナタ26番、作品81aの「告別(Les Adieux)」で今日発見が在った。 11月のプログラムは「歴史を反映する不協和音」と言う題名にして 主に第一ウィーン学派(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト)から いかにして必然的に第二ウィーン学派(ショーンベルぐ、ベルグ、ヴェーバーン)に至るか、 と言うテーマのリサイタルにするつもりだ。 シューベルトのソナタ19番(ハ短調)や、モーツァルトの半音階を多く使う実験的小品を数々、 そしてベルグのソナタ、作品1番を入れるつもりだが、 先生の要請で「告別」も練習している。 しかし、この曲は少なくとも和声的にはかなり単純で、このテーマにはそぐわないような気がしていた。 ところが、タングルウッドの後初めて、遅ればせながらさらってみて、 この曲の劇的な部分、さらに言えばオペラチックな部分、が急に見えてきた。 タングルウッドで「ドン・ジョバンニ」をリハーサルの段階から何度も見学してやっとわかったと思う。 凄く嬉しかった。 今日は、やっと荷物を全部ほどき、部屋をすべて整理した。 初心を忘れずに、一年丁寧に頑張ろうと思う。

ベートーヴェンの「告別」 Read More »

「そこにある」と思って見るから見えるもの、数々

今回、夏を終えてロスに帰ってくる道中、ずっとこの事を考えるに至ったのには次の様なきっかけが在った。 私はできれば身軽に旅したい人なのだが、演奏用のドレスや靴、楽譜がどっさりに録音機具などなど、どうしても荷物が大きくなる。特に今回のように、現在の私の拠点であるロス出発から帰ってくるまで3か月かかる場合は、飛行機会社の荷物規定に収めるのが一苦労である。その荷物の山を一人で運ぶのは結構大変だ。今回は特にその前のNY滞在が色々と忙しく、出発前夜まで色々なミ―ティングで荷造りを始めたのが深夜近く、結構疲れた状態で出発する羽目になった。その上NJのホームステイ先から電車に乗って、マンハッタンで空港行きのバスを捕まえ、飛行機も安いチケットを買ったので何回か乗換がある、結構ハードな旅程だったのだ。(本当に一人で大丈夫かなあ?)と言う不安の裏返しの、(一人でもできる!真希子は強い子!)と言う闘争心にも似た、もしかしたら自己憐憫も混じった、頑なな気持ちでの出発となった。 NJの電車の駅に電車が滑り込んでくる。 ホームから電車の車両まで、数段の階段を登らなければいけない。 下唇を噛みしめて、3つの荷物の二つを同時に押し上げたが、一番重い、巨大なスーツケースがまだ一つホームに残っている。階段を駆け下りてスーツケースに手をかけた所で、若い車掌さんが通りかかった。 「手伝いましょうか」 と声を掛けてくれたが、同情は御無用、義務感からの親切心はお断り!と 「一人でも大丈夫です、ありがとう」 と断ってしまった。そしたらその人はちょっとしょんぼりした感じで 「じゃあ、ここに立ってますからもし必要だったら手伝わせてください」と言ったのだ。 私ははっとしてしまった。 あまりに必死で、人の親切が見えなくなっていた。 私にもう少し余裕があって、助けを求める素直さがあれば、他にも手を差し伸べてくれる人はいたかも知れない。でも私があまりに険しい表情で一生懸命頑なだったから、きっとこの車掌さんだって声をかけるのに勇気が必要だったのだ。悪いことをしてしまった。 息を一つ吐いてから「じゃあ、とても重くて申し訳ないけれど、助けていただけますか」と言ったらば、車掌さんはにっこりとして私のスーツケースを担ぎあげてくれた。 そう思って周りを見回すと、優しい人、いろいろな親切が急に見えるようになってくる。 マンハッタンで空港行きのバスを待っている時、突然トイレに行きたくなった。でも大きなスーツケースを二つ担いで、「お客様以外お断り」の札が蔓延するマンハッタンでどこでトイレに行けるのか。高級そうなホテルに入った。 でもホテルのロビーのトイレは、部屋用の鍵で開けるようになっている。ドアの前で途方に暮れていたらば、まだ10代になるかならないかの女の子が恥ずかしそうに近づいてきて、ピッと自分の鍵を差し込んで私の為にドアを開けてちゃんとスーツケースを運びこむまで待ってから、そっと立ち去ってしまった。飛行機に乗り込む時、一人ダウン症の男性がいた。一人旅になれないのか、なんだかきょときょと周りを見回して緊張した様子だ。そしたらスチュワーデスが近寄って行って、さりげなく話しかけ始めた。「今日は本当に暑いですね」。周りは乗り込む乗客でほとんど殺気立ったような状況だ。しなきゃいけないことは色々あるだろう。でも、そんなことはみじんも感じさせずに、ゆったりとにこやかに話しかけている。涙が出そうになった。 優しさ以外にも、「そこにある」と思ってみて、始めて見えてくるものは沢山あるような気がする。 「美」 好運 時間とか余裕 可能性とか、能力 など、など。 など、など。

「そこにある」と思って見るから見えるもの、数々 Read More »

移動日

5月26日から6月16日まで日本に居て、 そのあとNJ/NYで6月21日まで時差調整と練習をして、 そのあとタングルウッドに8月17日まで居て、 そして今日8月24日、ロサンゼルスに飛ぶ。 こういう風に移動が多いと滞在期間より、滞在場所で自分が記憶の枠組みしているのが分かる。 振りかえって見ると、2か月近いタングルウッドとそのあとの実質五日のNY/NJが、 なんだか同じくらい色々在った気もしたりする。 これから、学校生活が始まる。 コルバーン(The Colburn Conservatory of Music)と言う、 学費、生活費、そして時には旅費など色々なキャリア・アップの為の経費まで保障してくれる学校。 2006年に入学して、本来2年なのだが、特別に4年居させてくれた。 そして、今年がその最終年、4年目である。 したいこと、達成したい目標、自分に課したい課題。。。山ほどある。 でも、この一年間、焦らずに毎日を丁寧にキチンと、暮らしていきたいと思う。 移動日は私にとって、振り返り、先を見る大事な反復、予習の時間でもある。 ドアからドアまで15時間の移動。 ゆったりと、でも有意義に過ごそう。

移動日 Read More »

休日

タングルウッドで出会って、今いろいろな理由でNY付近に滞在している友達8人と飲茶に行ってきた。 まだタングルウッドが終わって一週間も経っていないのに、タングルウッドの外で会うのは不思議な感じで おまけになんだかずいぶん久しぶりな、懐かしいような気持ちになって 多いに食べて、多いに賑やかにはしゃいでしまった。 タングルウッドの最中ずっと食べたいものトップリストに「飲茶」と「お寿司」が何度も登場したので、 その一つを皆で一緒に夢をかなえられて良かった。 それにしても、安かった。 中国人のお友達の特にお勧めの、ちょっと遠いところにある飲茶のお店だったのだが、 週日特別の安値で、どの料理もすべて1ドル50セント、今の円高で計算すると125円位である。 それなのにちまきなど、他の店よりもずっと大きくて それぞれ、想像をはるかに超えるお得なお皿が来るたびにみんなで 「うおおおおおお~」 と、総立ちして感激してしまった。 飲茶のおばさんたちがびっくりしていた。 そして美味しいのだから、もう大満足である。 タングルウッドが終わってからしばらく練習しない日が続いている。 それは皆に共通しているようで、たとえば今週末早速演奏会が在るお友達は 「練習する気がしない」と言って嘆いていた。 なぜか、いくらでも眠れてしまう。 朝起きると、びっくりするような時間で、夜は異常に早く眠くなり、 その上にお昼寝までしっかりしてしまう。 そして、久し振りにプライヴァシーが在る風呂場で、 ゆっくりお風呂に使ったりシャワーを浴びたりするし、 時間制限のない、自分の好きなものがゆっくり食べられる食事を 久し振りに新聞を読みながら食べたりしていると、 なんだか一日がすごく短い。 でも、最低限しなければいけないこと、今でなければできないことだけをして、 後は焦燥感の無い、リラックスした休日を自分にご褒美してあげよう、と思う。 来週はまたロスに戻って、充実した学校生活が始められるように。

休日 Read More »

佐渡裕さん「僕はいかにして指揮者になったのか」

久し振りで日本語の本を読んだ。 指揮者、佐渡裕さんが1995年に34歳の時に書かれた「僕はいかにして指揮者になったのか」と言う本だ。 この本は2年ほどまえ、友達に譲り受けて、すでに読んでいた。 もう一回読んだ理由は二つある。 一つは佐渡さんの指揮者としてのブレークがタングルウッドの研修生として87年度に参加中に 小澤征爾さんと、レナード・バーンスタインに見込まれたからだが、 そのタングルウッドでの経験を、読み返してみたかったからだ。 もう一つはタングルウッドで出会ったアメリカ人のホルン奏者の一人が 現在佐渡さんが音楽監督を務める兵庫のオケのオーディションに受かり 9月からそこで仕事をするため、一生懸命日本語を勉強していたからだ。 兵庫芸術文化センター管弦楽団と言うグループは (このホルン奏者の説明で知り、今ネットで確かめたのだが) 積極的に外国人奏者を多数入団させ、とてもインターナショナルなグループになっている。 外国人団員には特別な寮が設けられ、日本語が喋れなくても不自由無いよう、 色々な気配りがされていると言う。 それでもこのホルン奏者は感心なことに毎日色々な言い回しを覚えていき 「これは日本語で何と言いますか」とか 「ごめんなさい、わかりません」 とか、事あるごとに嬉しそうに、私に日本語で発音の確認をしに来てくれた。 音楽と言うのはコミュニケーションだ、と私は信じているし、 こういう風に文化交流ができるのは素晴らしいと思う。 この本は二度目でもとても面白く読めた。 音楽にあまり関心が無い人でも、佐渡さんのおおざっぱで楽観的な生きざまは読んでて楽しいと思う。 多いに進めておきたい。 私は一日で、隅から隅まで一気に読み切ってしまった。

佐渡裕さん「僕はいかにして指揮者になったのか」 Read More »