August 14, 2009

最近会った有名人、その5

今日は、NYから友達が遊びに来て、二人でインド料理を食べに行った。 そしたらなんと、アンドレ・プレヴィンと、ヨッフィム・ブロンフマンに会ってしまった。 プレヴィンには明日会う(そのことは明日書きます)。 ブロンフマンは実は私は5月に学校の公開レッスンでラフマニノフのパガニーニ狂詩曲を聴いてもらった。 でも、向こうはお食事中だし、有名人だし、こっちの事を覚えていないかも知れないし、 それに恥ずかしいし、なんかごますりみたく思われるのも嫌だし、 と、私は目を合わせないようにして、無視してしまった。 そしたら食事を終えたブロンフマンが、帰り際に向こうから 「なんだか君、見覚えが在るねえ」 と、話かけてきたのだ! 「実は、コルバーンでラフマニノフを聴いていただいた真希子です」 と、言ったらば 「ああ、そうだった、そうだった。元気にしていたかい?タングルウッドはどう?」 と、2分ほど会話をして、握手して立ち去って行った。 友達に叱られてしまった。 「有名人じゃない普通の人だったら、一回会った人に偶然また出くわしたら挨拶するでしょ? どうして有名人には同じようにしないの?それは、失礼じゃない?」 確かに、そうかも知れない。

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音楽評論家とピアノ録音鑑賞のクラス。

今日は、Richard Dyerと言う、元ボストン・グローブの音楽評論で、 最近はクライバーン・コンクールの審査員も務めた人のピアノ研修生の為のクラスが在った。 主に古い録音を聴き比べたり、クライバーンの逸話を聞いたりと、 割とカジュアルなクラスだったが、面白かった。 始めにMr. Dyerは歌と楽器を弾くと言うことの関係について述べ、 例としてホロヴィッツが「どのピアノ教師からよりも多くの事を学んだ」と評する バリトン、Battistini(19世紀後半から20世紀の始めまでのスーパースター)を聞いた。 お酒が入っているのかと言うような、私たちにはいい加減に聞こえる音程とリズムで、 聴きながら皆で笑いをかみ殺していたが、でも音楽的自由さ、と言うのはよくわかった。 そのあと、Richard Dyerの先輩の音楽評論家、Michael Steinbergが公開レッスンで 楽器奏者たちに詩の朗読をさせ、言葉のリズムと抑揚を演奏に結び付けるよう奨励した話や、 ソフロニツキーのシューベルト・リストの冬の旅の最後の歌の録音を聞かせてくれた。 「最近の若い人は、歌のピアノ独奏用の編曲、例えばワーグナー・リストの「トリスタン」などを弾く場合でも、 歌詞はおろか、ストーリーさえ把握してないんでは、と思われる場合が多い。 それに比べて、昔の人は、歌の編曲で無くても、メロディーの息使いまで伝わってくるような弾き方をする」 と言っていた。 リヒテルはソプラノと結婚していたし、彼女との録音に素晴らしいものが在るそうだ。 コルトーも、演奏キャリアの最初の半分は歌手との共演で成り立っていたらしい。 コルトーの公開レッスンで、生徒にそれぞれの曲を正確な形容詞で描写する能力を厳しく求め、 さらに同じ性格のオペラを熟知して、ピアノで弾けるようにすることを要求し、 それができなかった生徒を叱咤し、変わりにトリスタンの3幕目を朗朗と弾きまくった、 と、Richard Dyer自身が目撃したエピソードも披露してくれた。 他に、ドビュッシーに「バッハを弾かせたら最高」と評された、アメリカ人のピアニスト、 Walter Rummelのバッハも聞いた。 この人はのちにナチスに入れ込み、そのための反感で音楽史から事実上抹殺されてしまったようだが、 タングルウッドのあるマサチューセツ州のStockbridgeと言うところに住み、 ドビュッシーの前奏曲の世界初演や、アメリカ初演を手掛けたそうだ。 バッハはまるでブゾーニ編曲のように、低音にオクターブや和音がたくさんつけ足され、 とてもドラマチックなバッハだったが、感情的にとても訴えるものが在って、 オルガンみたいで面白かった。 それに比べて、ブゾーニの前奏曲とフーガ一番は、透明で、鮮明で、すべてがクリアで、 ブゾーニのバッハ編曲からは想像もつかない、楽譜に忠実な、洗練された演奏だった。 他にランドウスカがピアノで弾いてるモーツァルトのソナタや、 コルトー、Micholowskiのシューマン等を聞いた。 別世界に飛んで行ったような一時だった。

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