August 2009

タングルウッドでの演奏、その6

今日はこの頃ほぼ毎日リハーサルをしていたムソルグスキーの歌曲を6時のコンサートで演奏した。 ムソルグスキーがまだ若いころ作曲した曲4つをグループにして、 「What are Words of Love to You?」、 「Jewish Song」 「The Sould Flew Quietly Through the Celestial Skies」 「Hopak」 歌曲の伴奏は楽器伴奏と随分違って、音面は楽器演奏より簡単なことが多いが、 テンポやムードの設定は、詩を考慮するために、音楽だけを考慮すればいい楽器演奏より気を使うし、 子音のあと、母音に合わせて入る、息はを配慮する、など色々大変。 イタリア語なら、日本語に似て、子音と母音の関係もタイミングもわかりやすいが、 ロシア語の場合「グズチェ」の「グズチ」に随分時間がかかって「エ」と、ともに和音を入れたりするから おっとっと、と言う感じである。 新しいことが多くて、はじめは戸惑ったけど、 今日の演奏は今までやったリハーサルやコーチングを全部超えてうまくいった。 嬉しい。 厳しく指導してくれた先生が「今日のは、本当の『共演』でした。素晴らしかった」 と褒めてくれた。 その直後、研修生のオーケストラがオール・ストラヴィンスキーのプログラムの演奏をした。 プルチネラ、ピアノ協奏曲、そして「火の鳥」である。 ピアノ協奏曲はピーター・セルキンがソロを弾いた。 彼は、たとえば公開レッスンをする時「上がってしまうので」と言う理由で、 3人しか客席に生徒を入れさせない、とか少し変わった人のようだ。 今日の演奏は何と言うか、きっと物凄く練習したことをうかがわせる、ある意味完璧な演奏だったが、 私はとても不思議な感覚で聴いていた。 何しろ、完全にオケとぴったりなのだ。 ティンパニーと同じリズムで和音を入れるところでは、 一糸乱れることなく、ティンパニーと一緒に入るので、 ティンパニーの延長線上にピアノの音が在るような感じになる。 金管と揃うときも同じである。 完璧なオケ・ピアノを聴いている感じがした。 でも、ソロではない。 期待にいつも応えたタイミングで発音がなされるので、ある意味超人的なのだが、 裏返せば、それが非人間的にも聞こえる。 物凄い演奏だったのだ。 この曲はオケがピアノを圧倒しやすい曲である。 それなのに、いつもピアノの音がはっきりと際立つ演奏だった。 私は例によって舞台から7列目の鍵盤が良く見える席に座っていたのだが、 彼は指を立て、上から落とすことでスピードをつけて和音を強く弾き、 あらゆる細かい努力を惜しまずに、熱演していた。 でも、私だったら、ああは演奏しない。 これはあくまで協奏曲なのだ。

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オーケストラ奏者について

8;40 寝坊、急いでシャワー、身支度、9時に容赦なく片付けられる朝食にぎりぎりセーフ 10   キャンパスで、研修生たちの演奏会を聴く 1    ピザパーティー 1;30  練習 2;30  ボストン交響楽団(ベートーヴェンピアノ協奏曲3番、ラフマニノフ交響曲2番) 5    練習 6;30  明日のコンサートのドレス・リハーサル(ムソルグスキー歌曲) 7;30  寮に戻る 8;30-10 練習 ヴァイオリンや管楽器など、オケに使われる楽器の奏者たちは、 定収入を得ようと思ったら、一番普通の道はオーケストラで弾くことである。 そして、オケでのポジションを得るためには非常に競争率の高い、 厳しいオーディションを通過しなければいけない。 生徒たちはよく「mock audition (模擬オーディション)と称して、 (偽)試験管の前で、15分オケの抜粋やソロのサンプルなどを弾かせられる。 タングルウッドでは、7月の上旬にこの「mock audition」が在った。 そしてオーディションで「プロとして通用する」と認められた奏者は、 ボストン交響楽団の演奏会に載せてもらえる。 明日は、これは模擬では無く、本当のオーディションが行われる。 フロリダにある、「New World Symphony」と言うオケの 欠席奏者の代理の候補になるためのオーディションである。 New World Symphony と言うのは、マイケル・ティルソン・トーマスが音楽監督の 由緒あるオケだが、奏者は2年間しか在籍できず、若い人たちが他の場所のオーディションを受ける間の 受け皿の様な存在だ。 で、オーディションを受けに行く奏者の穴を埋める代理がいるわけである。 正規の奏者にも、代理にも、待遇はとてもいいから、アルバイトのオーディションでもみんな真剣だ。 隣がチェロ、真向いがヴァイオリンを一生懸命練習している。 もう11時なのに。 私は、耳栓でもして、寝ることにしよう。

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今日は晴れ!

7;30 起床、身支度、朝食、移動 9   練習 9;30 リハーサルとコーチング(”Singing Sepia” by Tania Leon) 12  コーチング(”Boulez is Alive” by Judd Greenstein) 1   図書館で調べ物 1;30 練習 3;30 シューベルトのソナタハ短調、コーチング by Ken Griffith 5   寮に戻り、皆で楽しく夕食、食後のお散歩、 7;30 リハーサル(ムソルグスキー歌曲) ”To listen is to expect to hear things(「聴く」と言うのは音を期待して待つ、と言うこと)" これはまだ10代の後半の時、カナダの夏の音楽祭で出会った先生に言われたことで、 今でも何かにつけて、思い出し、感じ入る言葉だ。 今日は朝から中々忙しい日だったのだが、朝一番のウォーム・アップがすごく集中・没頭してできた。 そういうときは、上の様な、過去や最近のいろいろな教訓が、実感として思い出せる。 今日は上の言葉を思い出しながら、 演奏家がいかに聴衆の「音に対する期待」をまず創り上げるか、 そしてその期待に応えたり、あるいはわざと裏切ったり、 そういう操作をすることでコミュニケーションとしての音楽を確立するか、と言うこと、 そしてその大半がリズムのコントロールによって成される、と言うことがお腹の底で一瞬分かった。 この夏本当にまれな、快晴の日だった。 久し振りに汗ばむほど気温が上がり、夕飯のあとで仲良くなったピアニストたちとお散歩した。 雨続きや、本当に忙しかったせいで、キャンパスと寮の往復以外には この町の近所を探索もほとんどしていない皆だったけど、 おしゃべりしたり、歌を歌ったり、笑い転げたりしながら、ぐんぐんお散歩した。 途中、大雨続きの結果、池の様な水たまりになった所の横を通ったら、蚊が大発生していて、 みんなで腕を振り回しながら走ってUターンして寮まで帰ってきた。 「タングルウッドは長すぎる、もうおうちに帰りたい」、とこの頃皆で挨拶の様に言い合っているが、 タングルウッドが終わってみんなと別れたらちょっとさびしいなあ、と思った。 ここに来るための荷造りをしている時、ちゃんと日数分のビタミン剤をビニール袋に入れて持ってきた。 毎日一錠ずつ飲んでいるけど、あたりまえだけど随分減った。 もうここに来てから40日を過ごしたんだなあ、あと二週間ちょっとだなあ、と実感する。

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著作権について。

9  練習 12 シェークスピア「尺には尺を」 4  ピアノ・クラス(現代曲の弾きあいっこ) 6  夕食 7  リハーサル(ムソルグスキー歌曲) 8;30 ボストン交響楽団(ドビュッシー「海」、ラヴェル「ダフネス&クローイ」、 ベートーヴェン、ヴァイオリン協奏曲、デュ・バルゴス指揮) 今日はシェークスピアの劇を見に行った。 タングルウッドの近くに「Shakespear & Company」と言う劇団が在る。 そして夏の間はタングルウッドと同じ様に若い人達に経験の機会を与える研修制度がある。 その研修生たちによるシェークスピアの「尺には尺を」の公演用に、 タングルウッド研修生の作曲家たちが曲を書いた。 劇の内容を勉強して、どういう音楽が求められているかについて監督と話し合い、 曲をたくさん書いて、提出したのが、タングルウッドが始まった6月の下旬。 それを監督が劇に合わせて勝手に選び、編集して、切り取り、貼り付け、 劇のリハーサルのプロセスが終わり、作曲家が公演に招かれた。 私はルームメートにくっついて、招待券をもらって行った。 観劇と言う行為そのものは久し振りで、いろいろ考えさせられた。 音楽から少し離れて、全く別の表現方法に触れ、触発された。 特にイザべラのジレンマには共感して、涙が出た。 しかし、脚色、解釈にすごく疑問が残り、私は公演前に、作曲家たちと共に監督に会っていたのだが、 帰り際にどうしても、他の友達の様に「素晴らしい公演でした」とか、お世辞を言うことができなかった。 それから、もう一つ疑問に思ったことは、音楽の使い方である。 この劇の為に曲を供給する、というプロジェクトに、はじめから作曲家たちは疑問を抱いていた。 これは本当に勉強になっているのか、もしかしてただ働きで利用されているだけじゃないか? それでも頑張って、書き上げた曲が2秒とか、3秒とか、長くて15秒位に細切れにされて、 舞台設定を変える時とか、幕と幕の間に何となく流される。 作曲家たち自身は(こんなものだろう)、と言う感じで別に何とも感じていなかったようだし、 劇の始まる前に監督から観客に「今日の劇の音楽を提供してくれた作曲家たちです」 と紹介してもらって、嬉しかったようだ。プログラムにちゃんと名前も載っていたし。 でも、私はこの為に私のルームメートは一週間追われまくっていたのかなあ、とちょっと思った。 「あ、そういえばマキちゃんのCD、結婚式の時に流したよ」とか、 「自分の教えている小学校の劇のBGMに使った」とか、事後報告を受けることが時々在る。 一瞬嬉しくって、その後に(う~ん、厳密には著作権の問題がちょっとあるなあ)と思う。 著作権と言うのは、とても不思議なものだ。 実際には仕事は終わっているのだが、仕事の結果が誰かの役に立つと、またお金が入ってくる。 それで不当と思えるほどのお金をもうけている人もいる。 でも、その昔、モーツァルトとかの時代には、他の人のテーマを自分の曲に使うことは 「あなたの曲があまりによかったので、自分の曲に取り入れました」 と言う、敬意を表する行為だったそうだ。 なんだか、それで良い様な気もする。 私はお金が欲しかったら、音楽家にはなっていない。 お金をなってもならなくても弾き続けるし、 どうせやるなら、なるたけ沢山の人に聞いてもらった方が良い。 例えそれが、細切れでも、自分の全く意図しない使われ方をしていたとしても。 そういう意味では、やはり今日は作曲家たちは嬉しかったのかもしれない。

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