September 1, 2009

観劇、イヨネスコの「椅子」

荷物整理の際、爪をはがして今週末は練習を断念したので、変わりに劇を見に行った。 Theatre of the Absurd(不条理演劇)を代表するルーマニア出身のイヨネスコの書いた 「The Chairs」と言う作品。 この劇は日本語訳が無いようなので、かいつまんであらすじを書きます。 この劇に出る役者は3人だけ、そのうちの一人、「orator(演説者)」は最後の5分だけの登場。劇のほとんどは老夫婦役の二人が演じます。二人はお互いに支え合って、苦労の多い人生を送ってきたことをうかがわせる会話をします。そのうちに、夫が一生涯かけて書いた、人類に贈るある重要なメッセージが今日発表される、と言うことが明らかになります。発表の為に招待されたお客さんが到着し始めます。このお客さんたちはすべて架空で、役者はパントマイムでお客さんがいるように演技をします。お客さんが到着するたびに二人は舞台にイスを運び込みます。お客さんはどんどん到着し、舞台は椅子でいっぱい!軍の高官や、王様まで来ます。しかし、夫はメッセージは「演説者」に託した、自分ではうまく伝えられない、と遅れている「演説者」を待つよう、みんなを諭します。ついに演説者の到着。場内は興奮の渦!その中で老夫婦は「やることは全部やった。残る望みは二人で一緒に死んで、一緒に埋めてもらうことだけ」と、突然一緒に自殺してしまいます。騒然とする中、演説者が沈黙を要請するジェスチャー。ところが、演説者は(ここのところが、台本ではどうなっているのか、この製作ではよく分からなかったのですが)、聾唖者なのか、知恵遅れなのか、言葉の通じない外国人なのか、その日たまたまうまく喋れなかったのか、とにかくメッセージを伝えることができません。演説者本人は、伝えるために色々努力と工夫をして、最後には満足げにお辞儀をして、劇は終わり。 不条理演劇の劇作家で一番有名なのはサミュエル・ベケットです。セリフは繰り返しが多く、少しつじつまが合わなく、でもとても意味深で、なんだか不思議です。この劇はドタバタ喜劇の要素もあり、それからセリフが音楽的で面白かったが、演技はまずかった。タングルウッドで声楽家のレッスンで、言葉の意味をどう考え、どう発音し、どう表現するか、と言うことを厳しく追及するところをそばで体験してから、役者の演技にとても批判的になってしまった。NYでも、セントラル・パークで上演される劇を見に行ったが、なかなか満足できなかった。演劇と言うのはそんなに難しいものか。なんだか、自分で挑戦してみたい気がしてしまう。

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練習の代りに

金曜日の夜、夏休み中倉庫に入っていた大荷物を部屋に運び込み、大整理をしていたらば 右の人差し指の爪の先っぽがちぎれてしまった。 爪の中のピンクの肌があらわになって、ちょっとひりひりして痛かったので、 この週末は練習は控えることにした。 ちょっとひどい深爪くらいのものだし、夏前の私だったら疑いなく練習していたと思う。 でも、タングルウッドの後、いろいろ考察することあって、その一つに 私は今まで練習しすぎて、その為に多くのものをむしろ失っていたのではないか、と言うことがあるのだ。 惰性で弾いてしまい、音に鈍感になり、音楽が当たり前になる、と言う状態。 その状態を脱出すべく、今回のはがれ爪は良い機会、と思い、練習をしなかった。 その代りにまず、いろいろな作曲家によるエッセーを読んだ。 タングルウッドでのブログで何回も 「現代曲考察については、いつかきちんとまとめて書く」 と、宣言したが、未だに実行ができないのは、考えれば考えるほど色々分からないからだ。 だから、作曲家たちは何を考えて、この方向に音楽を動かして行ったのか読んでみた。 大きく分けて、19世紀末期、20世紀初期の作曲家たちは2つに分けられるかも。 一つは非常な客観主義。音楽のそれまでの伝統的な文法に見切りをつけて、感情表現の手段では無く、ただ単に自分の五感で感じ取った外界の描写として、自然に存在するのに近い音を自分なりに整理したものを「音楽」とする。印象派のドビュッシーを始め、Emersonや、Thoreauに触発されたアイヴスの超越主義、それから意外なところではブゾーニもどちらかと言えば、こちらに近い。 もう一つは非常な主観主義。もともと教会や宮廷の為にはっきりとした社会的役割を持っていた西洋音楽は、啓蒙主義(ベートーヴェン)以来、自己表現の為の音楽に変わる。それがロマン派で、より感情を強調した方向に持って行かれ、さらにフロイドの登場で、自分にも意識し得ない、意識下の世界の探索の手段としての芸術、と言うことで表現主義がウィーンに登場。社会的常識を超越した、野性的、暴力的な表現。ショーンベルグを始めとする、ウィーン第二学派はこちらに属する。 ドビュッシー、ブゾーニ、アイヴス、ベルグ、ウェーバーン、そしてショーンベルぐによるエッセーを読んだ。実に興味深かった。そして作曲家たちはみんな、かわいそうになるほど一生懸命だった。 はじめは、「練習できないからお勉強でもするか」とちょっと義務感から始めた読書だったが、面白かった。

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