脱力=成功
本当に素晴らしいピアノ調律師と言うのは、大抵凄い音楽愛好家だ。 私の日本での演奏会を2001年以降主催してくださっているNPO、 「海外で活躍する若手演奏家を応援する会」 の会長、斎藤さんも音楽が好きで、好きで、たまらなくて、NPOを始めた。 ジャズでも、クラシックでも、聴いていると入り込んでしまって、頭がヴんヴん動き始める。 そういう時の斎藤さんは、本当に楽しくて、幸せそうだ。 学校の調律師のケブンはプロのピアニスト志望だったけど、 交通事故で夢を断念することになって、調律師になった。 全然来る義務は無いし、学校の他の調律師はそんなことはしないけど、 ピアノのクラスや、ピアニストの演奏会に一杯来てくれる。 今度の土曜日の私のリサイタルに使うスタインウェイに少し問題があることが判明してからは 2日間、ホールにこもりっきりで修理してくれた。 そして、ピアノを分解して、何がこのピアノでの演奏を困難にするのか、 それに対応するにはどうすればいいのか、物理や、解剖学を交えて、教えてくれる。 学校のピアノの問題は、色々あったのだが、演奏する側から言うと、 兎に角弾けば弾くほど、どんどん疲れて、困難になってくる、そんなピアノだった。 結局、鍵盤が浅すぎる、ということが直接の原因だったのだが、 音色に限りがある、と言うことももう一つの理由だった。 自分の思うような音が出ないと、(音量でも音色でも)、 無意識のうちに身体に力が入って、どんどん、もっともっと頑張ってしまう。 「でも、それは逆効果の場合が多いんだよ。 無理強いされたピアノの音色は楽に弾いた音よりもずっと硬くなるからね。 ピアノが応じてくれない、と感じたら、意識して、脱力、脱力。 限られたピアノの音色の中でも、それぞれのピアノの最大限を引き出せるのは、 脱力している時だけだからね。楽に弾こう、楽に」 ケブンに、念を押された。 ケブンは頑張って、土曜日のリサイタルまでに出来る限りのことをしてくれるけど、 ピアノは緻密な機械だ。 天候、気温、湿度、どういう弾かれ方をしてきたか、色々な要素がピアノを変える。 数日でかけても、上がる効果には限りがある。 そして、私は本番では、与えられた楽器、与えられた状況の中で、最善を尽くすしかない。 頑張りすぎないで、力を抜いて、楽に、楽しんで、 与えられた楽器の好きなところにフォーカスする。