December 2009

ウォール街での昼食コンサート

昨日はレッスンがあったので、ニューヨークに行った。 レッスンの前、去年までコルバーンに居て今年からジュリアードで勉強している友達の演奏会に行ってきた。ジュリアードが毎週行っているウォール街に在るオフィス・ビルのロビーでのお昼時の一時間の演奏会だ。ジュリアードから選ばれた在学生が、小額のギャラと演奏の機会として、ここで弾く。吹き抜けの広いスペースで、ガラスに囲まれたロビーの一角は、視覚的にはすがすがしくて気持ち良かったが、回転ドアから絶えず人が出入りして、そのたびに冷たい風が吹き込んで、私の友達はコートを着込んで演奏していた。とても静かとはいけない環境で、「ランチ・タイム・コンサート」と名打ってあるだけあって、紙袋の音を高らかに立てながらサンドウィッチを食べている人もいる。その中でコートを着込んだ私の友達は、私が今まで生の演奏会で聞いた中で一番調律の狂ったピアノで、正直にベストを尽くしていた。一時間の演奏会がそういう状況の中ですすんでいくにつれ、彼女の真摯な姿勢が伝わったのか、段々足を止め、きちんと座って聞くことに専念する人が増えてきて、幸い演奏会が終わるころには20~30人の人が一生懸命拍手をして、彼女に敬意を表した。 私は複雑な気持ちだった。 クラシック音楽がお固い、敷居も入場料も高すぎる、と言うイメージは払拭したい。生演奏を日常の空間に、音楽や音楽家をより身近にと言う趣旨にはとても賛同する。しかし、ここまで妥協をするべきか。私の友達は立派だったと思う。私だったらあそこまで環境を無視して音楽に専念できただろうか? でもまたその一方、クラシックの演奏家は余りにも甘え過ぎているのか、という疑問もある。他のジャンルの音楽家は駆け出しの時にはクラシックの演奏家には想像もつかないような悪条件の中で演奏活動を始めなければいけない。それだけではない。バッハやモーツァルト、ハイドンは、コックと同じ条件で貴族に雇われる「使用人」だった。命令に従って、注文通りの作曲や演奏をしなければいけない。革命後のヨーロッパのロマン派の作曲家は今度はお金や権力を持つエリートのサロン・コンサートで演奏して、パトロンを見つけたり、コネ造りに励んだりした。そう言うサロンのピアノの全てがキチンと調律されていたとは、とても思えない。きっと歴史上、今現在の私たちほど演奏する楽器や環境の条件に煩い演奏家はいないだろう。これは間違っているのか?それとも、オリンピックの記録更新の様に、もっともっと完璧を目指す私たちには、そうすることが許されるべきなのだろうか? 一つ、このコンサートでとても良い、と思ったことは「ランチ・タイム・コンサート」と言うことで、「静かに聴かなければいけない」と言うプレッシャーが少ない事を見込んだ教育熱心な親たちが小学校低学年の子供たちを連れて来ていたことだ。それに、私が行ってあげられたから、後で二人で普通の聴衆には分かり得ない苦労を一緒に笑ってあげられて、良かった。一人だったら寂しかったと思う。

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また、風邪

今年は何度も病気になってしまった。 11月のリサイタル前にのどが腫れたし、 2月に学校のオケとラフマニノフのパガニーニ狂詩曲をレオン・フライシャーの指揮で弾く、 責任重大な本番前にも風邪をひいてしまい、冷や汗をかいた。 そしてまた、風邪です。 咳、鼻水、痰、熱は無いけど、けだるい状態です。 それにかこつけて、映画を沢山見ています。 実はマンハッタンに二泊三日する予定の前夜、38度の熱を出してしまい(アチャー)と思っていたのだが、 予定をもう一度組み直すのは不可能にも思え、それから高齢の保護者に移したくない、という思いで、 早寝と気合で熱を下げて、マンハッタンに出かけて行ったのだ。 そして帰ったその日はクリスマス・イブ~日頃の感謝をこめて保護者を夕飯に招待して、 クリスマスの日は保護者と私の友達を招いたクリスマス・パーティーで盛り上がり、 楽しく予定が詰まっている時は張り切って病気なんて吹き飛んでいるのだけれど、 ちょっと気が弛むとすぐ風邪ひいちゃう。 本番前の風邪は(そろそろ準備OK。このまま行けばばっちり)と思った瞬間に弾いてしまう。 そう言えば、ギリギリの所でいつも頑張っていた7週間半のタングルウッドでは一度も風邪をひかなかった。 病気は嫌いではない。 貧乏性だから、ぬくぬくして、ぼーっとするのは風邪を引いてないと罪悪感で無理なのです。 だから、今は結構幸せな気分で、気が向けば練習し、文献を読み、 気が向かなければ際限なくテレビを見たり、窓の外をボーっと見ながらお茶を飲んだりしています。 明日はまたマンハッタンに出かけて行ってレッスンを受けて、友達と会います。 今日でしっかり直さないと。

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Jeffrey Swannと言うピアニストについて。

しばらくブログ更新しなかったのはマンハッタンに二泊三日していたからです。 パジャマ、楽譜、洗面道具、防寒着、その他でいつも持ち歩くブリーフケースはパンパンで、とてもパソコンは持って行けず、それに多分持って行ってもどうせ書いている時間が無いのです。今回は実に、伴奏の仕事一つ、自分のレッスン二つ、クリスマス・プレゼントの買い物、メトロポリタン・オペラで「ホフマン物語」鑑賞、そして六人の旧友とそれぞれご飯やお茶をして、大変充実した二泊三日でした。その全てについて書きたいことが色々あるのですが、今練習を休憩して是非書かなければと思い、コンピューターを立ち上げたのは今回受けた二つのレッスンのうちの一つを教えてくれた、Jeffrey Swannとそのレッスンについて、です。 Jeffrey Swannは現在50代位のアメリカン人ピアニストで、若い時は王妃エリザーベート国際コンクールの金賞、ショパン、クライバーン、モントリオール、YCA(Young Concert Artists)などの上位賞を総なめにした人で、レパートリーもバロックから近代と非常に幅広いです。(ブーレッズのソナタを全て録音しています。)その他にもワーグナーの権威ある研究者で、アメリカ人としては初めてバイロイトで講義した、と言う歴史的経歴もあります。私が今まで知り合った人の中で最も頭が良い人の一人です。例えば、彼は非常に食いしん坊なのですが、ある日中華料理店で、英語と中国語の内容が微妙に違い、中国語のメニューのほうが豊富でしかもお得、と気がついてから一念発起してついに中国語(読み・書き、喋り・聞き取り、全て)を独学でマスターしてしまった、と言う人です。私の名前の漢字なども、得意そうにすらすら書いて見せます。 私がJeffrey Swannに初めて会ったのは2004年の音楽祭で、それ以来度々機会あるごとにレッスンをしてもらっていますが、私が彼について一番尊敬するのは、その人生における態度です。はたで見ていても歯がゆく成る位、今の彼は経歴と、能力に釣り合う評価を受けておらず、かつてのレコード・レーベルもマネージメントも全て倒産。かつての栄光とはちょっと程遠い生活です。それなのに、「音楽が楽しい」、「新しい発見が楽しい」と言うことを物凄い活力にしていて、いつ見ても何かに興奮して、夢中になっているのです。私もそう言う人になりたい、といつも思います。 彼はベートーヴェンのソナタを全て録音したベートーヴェンの学者でもあるのですが、今回はシューベルト(ハ短調ソナタ、D.958)を聞いてもらいました。そこで、「シューベルトとベートーヴェンの違いをしっかり把握して弾け」と戒められ、違いが何かについて、そしてそれをどう言う風に演奏に反映するか、と言うレッスンを受けました。 手短にまとめると、ベートーヴェンとシューベルトの違いはその方向性に在るようです。ベートーヴェンはいつも、どこかに向かって進んでいる。その目的地が時に聴き手に明らかで無くても、ベートーヴェン自身はいつも向かう地点がどこだかわかって音楽を進めている。これは曲の中のハーモニー進行やモチーフの展開の仕方だけでなく、音楽史におけるベートーヴェンの自意識、と言うことでも同じことが言えるのではないかと思います。それに対してシューベルトは目的地よりもその道筋の美しさに興味があり、しばしば作曲家でありながら一瞬一瞬のハーモニーやメロディーの美しさに惑わされて、とても大回りをしてしまったり、時には堂々巡りをしてしまったりします。そう言う風に意識してみると、なるほど解釈にも随分影響が出てきます。 この音楽の二人の特性を、彼らの人生に照らし合わせてみると、また面白い。ベートーヴェンは難聴や、家族の不和など、自殺を考えるほどの困難に直面しながら、あえて意思の力で生き抜く選択をした作曲家です。それに対してシューベルトは、梅毒と言う不可抗力になすすべもなく、わずかに与えられた31年と言う短い人生の中で書けるだけ、ありったけ曲を書いた作曲家です。 さて、こうやって書いているとムクムクともっと練習したくなります。さあ、シューベルト、シューベルト。。。

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大雪

サラサラの雪が、月並みな言い方だが音も無く降っている。 昨日の夜から天気予報が大声で警報を発していた。 水気のほとんど無い雪で、桜の花ビラみたいに、風が吹くとサーっと模様を描きながら舞う。 みるみるうちに景色が白に染まって行く。 空気が乾燥しているので、外に出ると最初の一瞬は肌が引き締まったようなピリピリした快感がある。 寒さを感じ始めるのは30秒くらいたってから、肌の下で、である。 段々骨がきしむような、骨がギューっと絞られているような、「寒さ」になってくる。 雪がやむ頃には、もう少し暖かくなっているはずで、太陽が出てきたらば雪に反射して、きれいだろう。

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冬休み

私が今居る所は、私の高校時代のホームステイ先だ。 私は13の時に父の赴任に伴ってNYに引っ越してきた。 16の時、父が日本の本社に帰ることになって母と妹は伴って帰国したが、私は残った。 その時私を引き取ってくれたのが、ドイツ系アメリカ人のエドとジョーンだ。 二人ともすでに60代で、4人の息子は独立していた。 私と私のピアノを引き取ってくれて、その後私が大学、大学院と進学して、卒業して、 演奏旅行やフリーランスの不安定な時期をすごして、その後ロスに進学してからもずっと 私の部屋と、ピアノがある地下室をずっとそのままにしてくれてもう15年を超える。 マンハッタンに住んでいる時は、休養のためや、祝日を祝うため、集中した練習の為、 度々この家に里帰りして来た。 もう家族である。 リュウマチや、視覚の問題など、それぞれ肉体的に少しずつ衰えてきては居るが、 まだボーリングやゴルフ、マージャンや執筆、ボランティア活動など精力的に生きている二人だが、 食は変わってきたなあ、と思う。 私が高校時代初めて一緒に暮らし始めた時は、その時流行りの健康志向で 魚や野菜を多く摂取し、肉は夏のアメリカ風物詩のハンバーガー位だった。 ところが段々、アメリカ人が「meat & potato」と自ら戒める食に段々戻って来て、 今日の夕食はBratwurstと言う、ドイツ風ソーセージが二本と、 mac & cheese(インスタントのマカロニのオレンジ色のチーズ和え)だ。 野菜は全く無し。 私はトマト・ジュースを飲んでごまかしたが、それでも太いソーセージ二本は油負けして残してしまった。 文句を言っているのではない。面白いなあ、と思うのである。 日本人は年を取ると、一般的に健康志向に、さっぱりした物を好むようになる。 例えば私の父は、もっと若い時は母の健康志向の料理に 「僕は栄養を食べているんじゃない」 「(小さく刻んだお肉をはしでつまんで)お肉はどこ?」 などと言っていたが、 特に健康診断で最近凄くほめられてからは、母の健康的な手料理を喜んで食べている。 でも、これは本能的に身体が健康食を求めるようになるのではなく、 子供時代に食べたのに近い食事を好むようになるのではないか? ドイツ移民として育ったエドとジョーンは、 子供時代はドイツ風ソーセージなどの肉食と、副菜のジャガイモ料理を多く食べて育ったはずで、 だから最近の食事はそうなるのではないか? 私は、ある日本人女性の晩年から死去までとても親しくしてもらった経験がある。 この方は津田塾の卒業生で、 戦後すぐ、アメリカに留学生として渡米してこられ、アメリカ人男性と結婚していて、 私との会話も、二人きりの時でさえ、ほとんどすべて英語だった。 ところが晩年、寝たきりになって、記憶が段々幻想的になって来た時、 見るテレビは全て日本語番組になり、私との会話も全て日本語、そして最後に「蕗が食べたい」と云った。 蕗は多分、ごぼうと並んで、アメリカで手に入れにくい数少ない日本特有の食材だ。 私は年を取った時、何を食べたいと思うのだろう?

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