セビリアの理髪師

ロッシーニ作曲の「セビリアの理髪師」をLAオペラの製作で見た。 ロッシーニは生前、大変な成功を収めたオペラの作曲家で 同じ時期に生きたシューベルトがほぼ無名で生涯を終えたのに照らし合わせて良く (娯楽的なオペラばかりを書いたロッシーニが大衆受けしたのに)と言う言い方をされる。 同じくやはりロッシーニが非常に流行したウィーンに、 わざわざ来たのに総すかんを食らったシューマンも同じように引き合いに出される。 私は実はロッシーニのオペラを生で始めから終わりまで見たのは初めてで、 今日はたまたま学校から券を譲り受け、行ってみた。 序曲は指揮をしたこともあるし、よく知っている。 凄く有名なアリアはやっぱり聴くと楽しい。 ロジーナ役のソプラノは5線の上のミのフラットまでラクラク出る、凄い軽い、美しい声の持ち主で フィガロ役もアルマヴィヴァ役も、実につやのある美声でコミカルな役者で、文句なかったのだが、 私にはオペラと言うジャンルがどうしてもやはり間延びした感じがしてしまう。 特にレチタティーヴォは伴奏がフォルテ・ピアノだったのか、 ただ単に非常に音程の狂ったピアノだったのか、なんだか間が抜けて気になってしまったし、 それにやっぱりレチタティーヴォは(どうして普通に喋っちゃいけないんだろう)と思っちゃう。 LAオペラの常任指揮者であるジェームス・コンロンは感心なことに、 いつもプログラムにその演目に関係あるエッセーを書く。 今日のエッセーは特に興味を読んだ。 「ベル・カントの弁護に」と言う題で、 ハーモニーに比べてメロディーと言うのは余りきちんと勉強されない。 ドイツ音楽の歴史がハーモニーをどんどん複雑にしていくことから成っているのに対し、 「美しさ」、特に「メロディーの美しさ」を追求したイタリア音楽の歴史は軽視されがちだ。 しかし、それでいいのだろうか?と言う内容だった。 でも、このエッセーを休憩中に興味を持って一生懸命読んだ後、 第二幕で集中してその「メロディーの美しさ」を楽しもうと思っても 言葉の発音との兼ね合いと、やはり単純としか言いようがないハーモニー進行の間で メロディーの美しさより、その繰り返しの多さが私には気になってしまう。 う~ん。。。

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