冬休み
私が今居る所は、私の高校時代のホームステイ先だ。 私は13の時に父の赴任に伴ってNYに引っ越してきた。 16の時、父が日本の本社に帰ることになって母と妹は伴って帰国したが、私は残った。 その時私を引き取ってくれたのが、ドイツ系アメリカ人のエドとジョーンだ。 二人ともすでに60代で、4人の息子は独立していた。 私と私のピアノを引き取ってくれて、その後私が大学、大学院と進学して、卒業して、 演奏旅行やフリーランスの不安定な時期をすごして、その後ロスに進学してからもずっと 私の部屋と、ピアノがある地下室をずっとそのままにしてくれてもう15年を超える。 マンハッタンに住んでいる時は、休養のためや、祝日を祝うため、集中した練習の為、 度々この家に里帰りして来た。 もう家族である。 リュウマチや、視覚の問題など、それぞれ肉体的に少しずつ衰えてきては居るが、 まだボーリングやゴルフ、マージャンや執筆、ボランティア活動など精力的に生きている二人だが、 食は変わってきたなあ、と思う。 私が高校時代初めて一緒に暮らし始めた時は、その時流行りの健康志向で 魚や野菜を多く摂取し、肉は夏のアメリカ風物詩のハンバーガー位だった。 ところが段々、アメリカ人が「meat & potato」と自ら戒める食に段々戻って来て、 今日の夕食はBratwurstと言う、ドイツ風ソーセージが二本と、 mac & cheese(インスタントのマカロニのオレンジ色のチーズ和え)だ。 野菜は全く無し。 私はトマト・ジュースを飲んでごまかしたが、それでも太いソーセージ二本は油負けして残してしまった。 文句を言っているのではない。面白いなあ、と思うのである。 日本人は年を取ると、一般的に健康志向に、さっぱりした物を好むようになる。 例えば私の父は、もっと若い時は母の健康志向の料理に 「僕は栄養を食べているんじゃない」 「(小さく刻んだお肉をはしでつまんで)お肉はどこ?」 などと言っていたが、 特に健康診断で最近凄くほめられてからは、母の健康的な手料理を喜んで食べている。 でも、これは本能的に身体が健康食を求めるようになるのではなく、 子供時代に食べたのに近い食事を好むようになるのではないか? ドイツ移民として育ったエドとジョーンは、 子供時代はドイツ風ソーセージなどの肉食と、副菜のジャガイモ料理を多く食べて育ったはずで、 だから最近の食事はそうなるのではないか? 私は、ある日本人女性の晩年から死去までとても親しくしてもらった経験がある。 この方は津田塾の卒業生で、 戦後すぐ、アメリカに留学生として渡米してこられ、アメリカ人男性と結婚していて、 私との会話も、二人きりの時でさえ、ほとんどすべて英語だった。 ところが晩年、寝たきりになって、記憶が段々幻想的になって来た時、 見るテレビは全て日本語番組になり、私との会話も全て日本語、そして最後に「蕗が食べたい」と云った。 蕗は多分、ごぼうと並んで、アメリカで手に入れにくい数少ない日本特有の食材だ。 私は年を取った時、何を食べたいと思うのだろう?