December 2009

突然、ちょっと多忙。

よく同業の友達とも話すのだが、音楽と言う稼業は本当に暇な時と忙しい時のギャップが激しい。 日本から帰ってしばらくは退屈をメランコリーと間違えないように 自分で自分に気を使う位、暇な日が続いたような気がしたけれど、 突然、期末の演奏試験の伴奏の仕事がドッと入って来て、 そのリハーサルが増えてきたな~と思っていたら 今度は私の先生が公開レッスンをしに遠くへ行ってしまい、学部生のレッスンを教えることになり、 そしてそういう時に限って今朝突然、今度の土曜日の学校のオケの演奏会の副指揮を頼まれた。 あらあら。 出来るようにしか出来ないので、一時間一時間、誠実にベストを尽くしています。

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ソーセージ・キッチン

ピアニストの友達と大勢で、最近噂のソーセージ・キッチンに行ってきた。 21種類のソーセージ(値段は3段階で、6ドル、6ドル75セント、7ドル75セント)と 約50種類のビール(値段は2ドル50セントから何と250ドル!!)だけを出すお店だ。 気軽に大騒ぎ出来るし、面白いソーセージが一杯あるし、有名人も沢山来る、と言うことで、 このごろよく話には聞いていた。 確かにメニューが豊富!そして奇抜! 菜食主義者の多いロサンジェルスだからなのか、3種類菜食主義のソーセージもある。 それだって、ポテトとニンニクとリンゴとセージのソーセージとか、 フェネル、ニンニク、赤ピーマンになすのソーセージなど、とってもグルメ! 他にはカモ肉とベーコンのソーセージとか、鳥肉とターキー肉にアプリコットを混ぜたソーセージ、 さらにはガラガラ蛇と兎の肉のソーセージなんていうのもある! ちなみに私は友達と交換とかして、上記のうち4つを食べました。 とても美味しかったし、面白かったけど、私の好みから言うと少し皆塩辛かった。 でも、ベルジアン・ワッフルと言う、フレンチ・フライより少し高級感のあるジャガイモの揚げたのは、 肉厚で、ほわほわの熱々で、ドレッシングも20種類位から選べて、本当に美味しかった! 英語ですけど、HPはこちら:http://wurstkucherestaurant.com/ ソーセージと言うのは、要するに腸(のようなもの)に詰めて在って、 ああいう形をしていれば定義にかなうのかな? 定義が「?」の食べ物には、寿司も上がる。 カリフォルニア・ロールだって新登場の時にはきっと伝統的すし職人はびっくりしたと思うけど、 菜食主義者用のすしには実にいろいろなものがある。 私の菜食主義者の友達はこの間フルーツ巻きを食べた、と興奮して報告してくれた。 マンゴとイチゴが巻いてあったそうな。。。余り、食べたくない。 ずっと前にブログで書いた生・菜食のレストランでもすしが出されていた。 でも、彼らの主義では摂氏45度以上の熱は使わないはずで、だから米は炊けない。 どうするのか、と思って聞いたら、すし飯の代わりにカリフラワーを砕いたものを使うそう。 想像がつかない。。。

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セビリアの理髪師

ロッシーニ作曲の「セビリアの理髪師」をLAオペラの製作で見た。 ロッシーニは生前、大変な成功を収めたオペラの作曲家で 同じ時期に生きたシューベルトがほぼ無名で生涯を終えたのに照らし合わせて良く (娯楽的なオペラばかりを書いたロッシーニが大衆受けしたのに)と言う言い方をされる。 同じくやはりロッシーニが非常に流行したウィーンに、 わざわざ来たのに総すかんを食らったシューマンも同じように引き合いに出される。 私は実はロッシーニのオペラを生で始めから終わりまで見たのは初めてで、 今日はたまたま学校から券を譲り受け、行ってみた。 序曲は指揮をしたこともあるし、よく知っている。 凄く有名なアリアはやっぱり聴くと楽しい。 ロジーナ役のソプラノは5線の上のミのフラットまでラクラク出る、凄い軽い、美しい声の持ち主で フィガロ役もアルマヴィヴァ役も、実につやのある美声でコミカルな役者で、文句なかったのだが、 私にはオペラと言うジャンルがどうしてもやはり間延びした感じがしてしまう。 特にレチタティーヴォは伴奏がフォルテ・ピアノだったのか、 ただ単に非常に音程の狂ったピアノだったのか、なんだか間が抜けて気になってしまったし、 それにやっぱりレチタティーヴォは(どうして普通に喋っちゃいけないんだろう)と思っちゃう。 LAオペラの常任指揮者であるジェームス・コンロンは感心なことに、 いつもプログラムにその演目に関係あるエッセーを書く。 今日のエッセーは特に興味を読んだ。 「ベル・カントの弁護に」と言う題で、 ハーモニーに比べてメロディーと言うのは余りきちんと勉強されない。 ドイツ音楽の歴史がハーモニーをどんどん複雑にしていくことから成っているのに対し、 「美しさ」、特に「メロディーの美しさ」を追求したイタリア音楽の歴史は軽視されがちだ。 しかし、それでいいのだろうか?と言う内容だった。 でも、このエッセーを休憩中に興味を持って一生懸命読んだ後、 第二幕で集中してその「メロディーの美しさ」を楽しもうと思っても 言葉の発音との兼ね合いと、やはり単純としか言いようがないハーモニー進行の間で メロディーの美しさより、その繰り返しの多さが私には気になってしまう。 う~ん。。。

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オーボエ・リサイタル、成功!!

本番で、一番大事で、一番難しいのは多分、平常心を保つことである。 緊張して、一番大きく変わる、のはテンポ感、リズム感である。 心臓がいつもより速く打ち始めると、テンポ感もいつもより速くなりがちだ。 自分ではいつもと同じテンポで弾いているつもりでも、実はいつもより速いことは多々ある。 難しいパッセージに来て突然(いつもは弾けるのに、なぜ急に指がおっつかないんだ!)とパニクッたりすると、 さらに心臓がどくどくして、余計悪循環である。 しかし、吹奏楽器の人には、このことがさらに直接的に演奏するんだ、と言うことを 今日改めて確認した。 緊張して、呼吸が早く、息が浅くなる、という現象は、吹奏楽器の演奏においては致命的だ。 今日は、舞台裏で今までで一番気を使った。 下手なジョークをかまし、凄くポジティブ思考の発言を思いつく限りして、 必要と感じたら一生懸命ハグをして、舞台上でもしっかり目線を交わして、にっこり笑う。 (大丈夫だよ) (さあ、一緒に美しい音楽を奏でるんだよ) (大丈夫、息継ぎが必要ならいつまでも待ってあげるよ) ニコニコニコニコニコニコ 人を一生懸命サポートしようとしていると、なんだか自分自身が強くなったような気がする。 私も、舞台上で平常心で保つのに苦労する演奏家の一人だが、 今日はジェニーに集中していて、自分の緊張は全く忘れていた。 そして結果は大成功だったのだ。 私の尊敬するアラン・ヴォーゲルからも、聴衆の皆からも一杯ほめられて、 ついでに伴奏の仕事が一杯来た。 ありがとう、ジェニー!

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オーボエとの共演

日曜日に日本からロサンジェルスに帰って来ました。 時差ぼけで、ねむ~いです。 24時間眠いのに、夜中に目が覚めて、夜の半分は起きています。 起きてはいるけど眠くって使い物になりません。 そして日中もほとんど同じ―「起きてはいるけど眠くって。。。云々」 そうしているうちにも、帰ってから最初の演奏会、木曜日のオーボエ・リサイタルのリハーサルが 月曜日から急ピッチで進んでいます。 オーボエと言うのは、もしかしたら演奏するのが一番肉体的にきつい楽器かも知れません。 物凄い小さな穴に、物凄いプレッシャーで息を吹き込んで音を出すのだけれど、 持っている息の全てを吹き込むことは不可能で、 息継ぎのときは必ず肺に残っている息を吐き出してから、吸わなければいけない。 このことと、それからその息を吹き込むプレッシャーで、失神することもあるそうだ。 今回一緒に弾くシューマンの「三つのロマンス」は特にこの点が難しい曲のようで、 特に2楽章を弾いた後のジェニーは、息が荒くなって、顔が真っ赤でまるでマラソン走者のようだ。 酸欠で、指先がしびれてきたりするそうだ。 今日のレッスンでは、私の尊敬するオーボエの先生(アラン・ヴォーゲル)に 「二楽章では、ピアニストはもう看護婦になったつもりで、兎に角オーボエ奏者の息に気を使って。 ここではオーボエ奏者が出来るだけ時間の余裕を持って息継ぎが出来るように、 息継ぎの所では、できるだけテンポをゆっくりにして」と言われた。 もう、音楽がどうの、フレーズがどうの、と言っていられない。 私だってジェニーに気を失ってほしくない! 一生懸命ジェニーの横顔を観察しながら息継ぎが始まったら音を出来るだけ長めに弾く。 頑張れ、ジェニー!気をしっかり、ジェニー! 私はピアニストでよかった。。。

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