弾く vs。 聴く

弾きながら聴く、と言うことは現実的にはにはどこまで可能なのだろうか? 表現しながら、表現している対象をありのままに受容する、と言うことは、可能なのだろうか? 弾くことに一生懸命になる余り、音楽を無視する、と言うことは多いに在りえる。 器用に弾く子供で、本当に音楽を理解している子供が居るとは思えない。 むしろ、本当に音楽を理解できる子供は自閉症の様に圧倒されてしまって弾くなんてできなくなるのでは? 理解、あるいは本当に聴く、その有難みを深く理解する、と言うことはむしろ演奏には邪魔、と言えるのか? 喋りたいことがすでにあって会話に臨む時、相手が何を言おうがそれをどうやって自分が喋りたいトピックに持って行くか一生懸命になる余り、相手が本当に言っていることを聴いていないことが在る。これは一般的なことなのだろうか?それとも私だけの汚点だろうか?それでは、喋りたいことが無い時、どうやって会話をするモチベーションを自分の中に見出すのか?相手への思いやり?気遣い? 疲れているのかも知れない。 元気になれば、難なく聴いて、難なく弾いて、 健康な自己主張をしつつ、自分の周囲を楽しむバランスが保てるのかも。 寝ます。

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