June 22, 2010

アリアのクラス。

タングルウッドに着いた翌朝、タングルウッドの総監督と、ピアノ・プログラムの主任、そして今年の招待研修生として来たピアニスト12人の、ミーティングが在った。「3、4世代前までは、ソリストはソリスト、室内楽奏者は室内楽奏者、そして伴奏者は伴奏者と、はっきりと分業されていました。しかし今の世の中、プロの音楽家として生きていこうと思ったら、独奏も、共演も、伴奏も、オケの一員として演奏することも、教えることも、さらには音楽について書いたり、喋ったりすることも全てが要求される世の中です。またレパートリーもバロック初期、あるいはもっと前のものから近代まで弾けなければいけません。タングルウッドでは2ヶ月間にこの全てを少なくとも味見してもらう、と言うプログラムを試みました。今までの経験レヴェル、得意、不得意に関係なく、普段の自分では挑戦を尻込みするような未知の領域にも挑戦してもらいます。勿論、得意分野で輝く機会も十分持ってもらうつもりですが、新しい経験に戸惑うことも在るでしょう。でも将来振り返って、あの時無理してやらされて良かった、と思ってもらえると信じています。」 今夜はアリアのクラスが在った。メトロポリタン歌劇団の常任ピアニストから、オケのピアノ編曲を弾く時の心構え、歌手を伴奏する時の心構え、フランス、ドイツ、イタリア、そして18世紀、19世紀、20世紀のそれぞれのスタイルに付いて、色々教わる。12人のピアニストの半分は声楽との共演や伴奏を専門に勉強、あるいは職業にしている。しかし、私を含む残りの半分は歌手との経験はほとんどない。そのどのレヴェルの人達にも有効な一般的、あるいはとても技術的な知識を、一人ひとりにアリアの伴奏部分を弾かせながら教えてくれる。びっくりするのは、彼らの情熱だ。それぞれのアリアの背景であるオペラの筋書きや、登場人物の性格描写をしながら、時にはほとんど泣きださんばかり、時には感極まって歌いだしたりする。そして、本当に楽しそうに教えてくれるのである。予定されていた2時間を多いに上回ってクラスが終わったのは夜の10時。何だか美味しいお食事をお腹いっぱい頂いた様な、ほっこりとした気持ちになって帰って来ました。

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「お洒落をする」と言うことと、芥川龍之介の「鼻」

私は新しい所で新しい事を始めるたびに、新しい自分になってみたくなる。 タングルウッドに来たら、きちんとお洒落をする手間をかける、おしとやかな女性になろう、と思っていた。日本の百円ショップなどで、沢山ヘア・バンドや小物を買ったし、タングルウッドにもチャンとアクセサリーや化粧品を持ってきた。 私はかなり長いこと貧困生活を送っていた。 もっとずっと若い時、必要に駆られてと言うよりは哲学的に、「生きていく最低限でやって行こう」と決めたので在る。一時期はトイレット・ペーパーは「生きていくために必要なもの」のカテゴリーに入っていなかったので。。。(割愛)。そんな訳で、ずっと服は人からのお下がりや、古着屋さんで必要に駆られて買ったもの(冬のコートや演奏会用のドレス)とか、そして化粧は演奏以外の時はせず、と、そう言う感じで生きてきた。その哲学が「余裕と言うものが生み出すものは大きい」と言う風に長年かけて進化して来たのを、この頃感じるのである。特に美人ではないけれど、魅力のある女性、と言うのが在る。そう言うのに憧れて、自分も成ってみたくなったのだ。ちょっと気のきいた小物の使い方や、身のこなし方、服の着こなし方で、贅沢ではないけれど、周りを嬉しくしてくれるような輝きを持つ人。 タングルウッド一日目の朝、私には珍しく、良いにおいのするクリームを塗って、唇にグロスを乗って、この日の為に買っておいたおニューのジーンズと白いシャツを着て、一日過ごしてみた。ところが、何だか自意識過剰になってしまうのである。ふ~ん、こういうのもはやはり練習が必要なのだろうか?芥川龍之介の短編、「鼻」を思い出してしまう。異常に大きな鼻を持ったお坊さんが自分の人生の不都合の全ては鼻のせいである、と思い、色々な手段で鼻を少し小さくすることに成功するが、鼻が小さくなったら何だか余計自分の鼻が気になって仕方なく成ってしまった、と言うお話。 今日、二日目は普段通りの服装である。チャンチャン!

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