November 2010

演奏の前後

演奏と言うのは極限状態になるものです。 ちょっと下ネタになってしまうが、演奏直前に吐く、あるいは下す人はとても多いらしい。 私は演奏まじかに吐いた記憶は一度しか無いし、これは車酔いとも、食べ過ぎとも言える状態であったので実際に「演奏の直前に緊張で吐いた」と言うのとはちょっと違う気もする。しかし下す方はもう当たり前だった時期も在った。全米ツアーで毎日、日中車移動、夜は演奏と言う生活を送っていた時は、もう儀式の様に演奏10分くらい前は自然に下っていた。下らない日は何だか変な気持ちがする位だったのである。今ではそう言う事もほとんど無くなったが、それでもやはり演奏前、中、そして後の身体の状態と言うのは、つくづく普通では無い。 これは前にも少し書いた事があるが、物の本によると、演奏の際の緊張と言うのを身体は「命の危険状態」と勘違いするらしい。心拍数が上がるのも、発汗するのも、「いざという時に逃げる瞬発力を出すため」だそうだし、指先やつま先が冷たくなるのは、「身体の先っぽに傷を負っても最小限の出血で済むように」、そしてつばが出なくなり、口の中が渇くのも、普段消化に使っているエネルギーを瞬発力に回すため、だそうだ。この状態、と言うのは五感が非常に敏感になって、まるで超能力者になったようである。一秒が普段の倍以上の長さに感じられ、気配などを感じ取る力が普段の数十倍、小さな音、動きを見分ける力もグ~ンと高まる。 そうして演奏した後、状態は様々である。非常にお腹がすく時は健康な時である。脳みそが充血したように重く感じられたり、頭痛がしたりする時もある。やたらとハイテンションになって喋りまくったり笑いまくっている時もある。逆に息をするのもおっくうなほど疲れてしまって呆然自失、と言う時もある。 昨日の演奏は私は指揮で、しかも普段は2時間弾きっぱなしだったりするけれど、昨日は30分の曲を振っただけで、こう言う状態になるとは余り予測していなかったけれど、今日の私はほとんど使い物にならず。今夜の8時ですが、すでに睡魔と闘っている状態。過労を感情的なものと誤解してしまう前に今日はもう寝てしまおうと思います。 宿題は明日の朝! 練習も明日! 明日は明日の風が吹く!

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指揮成功!

ヒンデミットの「白鳥を焼く男」の指揮、無事終了。 独奏者のモリーはコネティカット州とテキサスのオースティンから家族と親戚が駆けつけていて、彼らに招待されて一緒ににぎやかな夕食を楽しんで今帰宅したところ。正直、とても疲れています。無事成功して本当に良かった。 寝ます!

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休憩の大切さ。

Riceに来てから、Mind/Bodyのクラスや、ヴィオラ専攻だけど神経心理学を学んでいる人とお友達になって、色々それ系の事を学ぶ機会多くなった。音楽家が演奏している時、作曲している時、音楽を聴いている時など、脳のMRIなどによって脳のどの部分が活性化しているか見る事によって、音楽家の脳みそが一般の人の脳みそとは少し違っている事がこの頃注目を浴びている様だ。その他、音楽が一般人・音楽家関わらずに、神経や脳や、生態系一般に及ぼす影響と言うのも盛んに行われているらしい。 この間ちょっと耳にはさんだ事には色々考えさせられた。 Mind/Bodyのクラスでフェルデンクライス(http://www.feldenkrais.jp/what.html)の先生で、踊り子や音楽家の為の栄養、休息、効果的な練習法、などについて多くの研究を行っている人がいかに休憩と言うのが学習の過程で大切か、と言う話をしていた時だ。 「一般の人にハイドンの交響曲を聞かせ、その脳の活動を観察したところ、休符の所で一番活性化することが分かりました。休符でそれまでの全体像を総括したり、今までの復習をしたり、自分の記憶を整理したりしているんです。会話でも同じですよね。息継ぎとか抑揚が在るからお互い理解できるのであって、いつも一つのテンポでずーっと言葉を羅列したらとても分かりにくくなりますよね。休符は一瞬、長くても一、二秒の話ですが、休憩が必要、と言うのは何に関しても言える事なんですよ。運動でも、記憶でも、学習でも。眠れるだけ、寝てください。睡眠は7時間半以上が効果的です。昼寝も多いに結構。ただし一日の早い時間に、20分以下に抑えて。練習中の小刻みな休憩を必要な物、と理解して下さい。時には練習をしない、と言う行為の方がより効果的な学習法である事が在るんです。」 今日は冬時間に突入。昨日の真夜中に一時間加算されました。今はよる10時ですが、これは昨日の11時だったのです。これから早寝早起き、そして健康で充実した休息をもっと心がけるべく、今夜は早寝してみようと思います。

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指揮、再考

来週火曜日、待ちに待ったヒンデミット「白鳥を焼く男」の指揮本番が在る。 それに当たって、ライスで崇高されているLarry Rachleff に昨日ドレスの時の自分の指揮のヴィデオを見てもらい、批評をもらった。 「う~ん、君の今の指揮は拍が4か所に在るねえ。右手、左手、頭と胴体。まずこれを右手だけに絞ろう。左手は表現の指示を出すために自由にしておきたいし、胴体や頭の動きは右手の拍から奏者の注意を散漫にしている。当初は凄く自分がエネルギー放出量をケチっている様に感じるだろうけれど、信じてやってみて。今まで分散していたエネルギーを全て右手の小さな動きに集中させるつもりで」 「息を忘れずに」 「音楽的な意図を自分の中ではっきりとさせてから指揮台に臨めば、棒は考えなくてもきちんとその意図をコミュニケートをしてくれるよ。君のテンポがたまにぶれてしまうのは振り方の問題では無く、フレーズの方向性や歌い方の意図が頭の中ではっきりしていないからだよ。もっともっと曲を掘り下げてごらん。」 指揮の勉強はまず、オケのリハーサルを際限無く見学することから始まる。私は今までそれでも頑張って週に12時間あるオケのリハーサル中行けるだけ行ったが、座ってはいても頭の中はしょっちゅう空想の世界で遊んでいて、全然見ても聞いてもいない事が多かった。ところが実際自分に指揮の機会が与えられて、実際的な疑問が色々湧いてきて俄然、物凄い集中してオケと言うのはどう言う物なのか、どうやって指揮するのか凝視するようになった。そして色々発見が次々湧いて来たのだが、今日は(昨日のラリーの批判にヒントを得て)凄い発見をしてしまった。 楽器を弾く時、上手く脱力して、一番楽な方法で弾いた方がより豊満な音が出る、と言う事は熟知していたつもりであるが、指揮も同じなのだ! 私は一生懸命に、がむしゃらに「こんなに頑張っているから、皆付いてきて!」と言うアピールばかりしていたような気がする。力いっぱい、息を切らせながら、体中使って指揮していた。でもそうじゃないんだ。 楽に、ある程度達観して、自然に指揮しないと。奏者も息がつまっちゃうし、緊張しちゃうし、テンションばかりあがっちゃう。 う~ン。

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日本語の嬉しさ

この二日はかなり多忙だった。 昨日は11時からヒンデミットの指揮、その直後にヒューストンのダウンタウンでピアノ演奏が正午過ぎ。 今日は朝の9時20分からクラス、そして12時から指揮のクラス、その後ヒンデミットのビデオをLarry Rachleff に見てもらってコメントしてもらって、夜は現代音楽シリーズで”Traces"の演奏。その上、体調をちょっと崩していた。 演奏は、お客さんには幸い喜んでもらえた様子だったが、自分的にはちょっと不完全燃焼だった。 反省点、これから上達したい部分が沢山見えて来て、そう言う意味では良い経験だったが、必要以上に緊張して、それに比例して疲労も激しかったように思う。 でも、持つべき物は友。 最近会った、ライス大学で数少ない日本人のYさんに、昨日の夜はお茶して気分転換させてもらい、今夜は何と手造りの焼きそば(カレー味。とても美味しかった。お試しあれ)を御馳走になり、大量の日本語のマンガと本を借りて帰って来たのだ。とても嬉しい。 これからゆっくり日本語の読書をして、今日はゆっくり寝て、明日からまた頑張ります。

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