May 2011

帰国してきました!

日本はやっぱり良いですね。 深い緑が、さらに雨にぬれて、お抹茶のような素晴らしい色を出して、心を落ち着けてくれます。 そして、ご飯がおいしい! 家族が色々、ぶりの白子や、おいしいひじきの煮つけ、アジの南蛮漬け、 小松菜の煮浸し、豚汁、いわしのフライ、そしてキャベツの千切り。。。 毎年ですが、すごいお夕食で私を迎えてくれました。 テーブルにおかずが乗り切らないほどです。 日本に着いて、気がついたこと。 電車のつり革広告が半減。 ニュースが地震、そして東北地方や地震、そして原発の話題で70パーセント。 そして夜中、私は時差をものともせずに眠りましたが、 二回、小さな地震で目が覚めました。 今日は14日のすかピアと言うイベントに向けての初あわせ! がんばります。 イベントの詳細はこちら。 http://www.terachiyo.com/sukapia.htm 横須賀のベイサイドポケット中心に開かれるこのイベントは 14日(土)の午後と夜*3時開演、10時終了!?)を通じて計6人のピアニストがそれぞれソロやお互いとの合奏で ピアノ音楽を繰り広げる、と言う企画です。 一度ティケットをご購入いただければ、出入りは自由で、 近所の飲食店などでの割り引きなどの特典もあり、とってもお得! 私はリストのソナタ(16時45分ごろ)と、 この会主催の宮川久美さんとのバーバーの「お土産」(19時25分ころ)、 そしてラプソディー・イン・ブルーを宮川久美さんと20時20分ごろ演奏直後、 5人のピアニスト、2台のピアノ用編曲された エルガーの「威風堂々」(卒業式に良く使われる、あの曲です)を弾いて、 会の終わり! 楽しそうなイベントで、参加するのが嬉しいです。

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演奏会へのご案内

東日本大震災から、早いものでもう一ヵ月半が経ちました 。9月からライス大学で音楽・博士課程の勉強をするため に越してきたヒューストンでも、私ともう一人博士課程の 日本人のクラリネット奏者でもチャリティーコンサートを 企画・実行し、大学と地域の多大な協賛を得て、一万ドル 以上の義捐金を日本赤十字に送ることができました。おか げさまで今年11年目になる私の日本での演奏活動も一時 は見合わせようかと懸念しましたが、収益金の一部を義捐 金とする、と言うことで実行することにいたしました。 今年のプログラムはゴールドベルグ変奏曲と、リストのロ 短調ソナタ、と言う二つのピアノ大曲を並べたものです。 ゴールドベルグ変奏曲を弾くことは私の長年の夢でした。 また、並べたリストのソナタは、リストが今年生誕200 年と言うことだけでなく、ピアノのダヴィンチ、と呼びた い様な実に多足のわらじを履いた音楽家の、最高傑作です。博士課程勉強一年目にて、強い意気込みを感じて企画した このプログラムを一人でも多くの人と分かち合いたく、ご 案内しています。横浜か、墨田区の近辺でご興味がおあり になりそうなお知り合いがありましたらば、このイベントにお誘いいただけませんでしょうか? みなとみらい小ホールで5月22日(日)、そして墨田区 トリフォニーで5月28日(土)、どちらも1時開場、一 時半開演です。入場料は一般が3000円、高校生以下が 2000円です。この他の私の日本での演奏活動も下の URLから、私のHPでごらんいただけます。 http://makikony.cool.ne.jp /

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「ピアノの時間」エピソード8が放映されました。

ロサンジェルスの日本語テレビ放送Ntb(Newfield Television Broadcasting)で私が担当しているミニ・シリーズ「ピアノの時間」のエピソード8が放映されました。 このエピソードからは、先月ロサンジェルスでのチャリティーコンサートに参加するために行った際、スタジオでまとめ撮りしたものです。今までは、一人で学校の練習室で、機材も学校から借りてやっていました。カメラ操作もマイクのことも良くわからなくて、めくらめっぽうでやっていたので、音質が悪かったり、画面が暗かったりして、放送できなくて没になったものもたくさんありました。それに、一人で部屋にこもってカメラに向かってしゃべる、というのはとても変な物です。 でも、このエピソードからは、Ntbのスタッフの方と一緒に笑いながら楽しく撮ったものです。音質もとても良いですし、私の笑顔も本物です。ちゃんとドレスも着ています。 次のURLの11分目から15分30秒までが私の「ピアノの時間」です。今回のテーマは「歴史を反映する音楽」で、ショパンの革命のエチュードを弾いています。 http://www.soto-ntb.com/program/2011-05-01/

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リストのソナタ、プログラム・ノート

フランツ・リスト (1811-1886) ソナタロ短調 (1853) フランツ・リストのピアニストとしてのイメージはあまりにも強烈です。長くたなびく金髪、彫りの深い顔。「リストマニア」と言われる多数の女性ファンがコンサートでは相次いで失神し、女性とのスキャンダルが絶え間なかったそうです。さらに『魂を悪魔に売った』とまで噂されたヴァイオリンのヴィルチュオーゾ、パガニーニのピアノ版と騒がれ、現在でも超えるピアニストは居ないと言われるほどの超絶技巧の伝説的ピアニスト。その当時の圧倒的な名声が、現在のリスト像を不当に世俗的な物にしているように、私には思えます。そしてその世俗的イメージに影響された現在の一般的なソナタの解釈は私はリスト自身の意図から少し離れているのでは、と思うに至りました。この曲は超絶技巧を見せびらかす、きらびやかで劇的な曲のみでなく、ベートーヴェンのようなしっかりとした緻密な構成によって建築された曲なのではないでしょうか。 そのロックスター的イメージをひっくり返す事実は沢山あります。特に1848年ヴァイマールの宮廷楽長に就任し、強行軍的演奏旅行をやめてからは、リストは交響楽団やオペラの指揮者、評論家、名高い教師、同業者(例えばスメタナ)の理解者・支援者、そして意欲的な作曲家(優に1,400曲以上)として精力的に活躍し、さらに1866年には僧籍にも入っています(ただし下級聖職位で、典礼を司る資格はなく、結婚も自由)。作曲家としてのリストはそのミーハー的なイメージからは程遠い、知的な探索を多く行っており、一番最初の無調性の音楽を書いたのはリストだとする学者もある程です。 ベートーヴェンの愛弟子だったカール・ツェルニーに師事したリストは、11歳の時に老ベートーヴェンに絶賛されています。そしてベートーヴェンから受け継いだ物は、ピアノ奏法に限らなかったのではないでしょうか。ベートーヴェンと言えば、ちょうどヨーロッパ中の数々の革命で、王侯貴族の地位が暴落し、宗教信仰も一般に盲目的ではなくなり、代わって個人の権利や思想の価値が向上してきた啓蒙主義の時代を音楽で体現したような人物です。その孫弟子であるリストは1835年、20代の時に、音楽は宗教に取って代わって、全ての社会層の人間を慰め、向上させる物になるべきだ、と説いています。『(Now, to accomplish this, the creation of a new music is imminent; essentially religious, strong, and effective, this music, which for want of a better name we call humanitarian, will embrace within its colossal dimensions both the THEATRE and the CHURCH. It will be both dramatic and sacred, splendid and simple,

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ゴールドベルグ変奏曲のプログラム・ノートです。

「ゴールドベルグ変奏曲」と言う通称で親しまれるこの曲に、バッハ自身がつけた正式な題名は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと様々な変奏」(BWV988)です。「ゴールドベルグ変奏曲」の通称が定着したのはバッハと面識の在ったJ.K.Forkelによる史上最初のバッハの伝記(1802)に出てくる逸話―不眠症に悩むカイザーリンク伯爵が、眠れぬ夜の慰みにお抱え鍵盤奏者(ヨハン・ゴットリーブ・ゴールドベルグ)に弾かせるために委嘱した作品―ですが、これは現在は事実無根とされています。大きな理由としては、当時のゴールドベルグがこの曲の出版された1741年にまだ14歳であったこと、さらにこの時代こういう状況では絶対につけるはずの献呈が無いこと、などがあります。 ではなぜバッハはこの大曲を書いたのか ―この曲にはこの根本的な問いかけを促す、緻密な構造的こだわりが在ります。例えば三つ目の変奏曲はいつもカノン(輪唱)で、このカノンの声部間は同音から始まって9度まで一つずつ広がっていきます。そのカノンの数学的完璧さと、音楽的美しさの兼ね合いはこの世の物とは思えません。この9つのカノンにバッハは実に8つの違った拍子を使っているのです。これはただならぬこだわりです。 バッハ自身は副題として「音楽愛好家の魂の喜びのために」と記しています。『魂の喜び』と言うのはキリスト教の中でも特にバッハの信仰したルーテル派に置ける自己向上の喜びと言う意味があるようです。しかし、似たような副題をバッハは他の作品に用いていますし、なぜ『ゴールドベルグ』を書いたのかと言う説明には不十分かも知れません。 バッハがなぜゴールドベルグを書いたのか ―これは今まで沢山の音楽学者を翻弄してきた課題です。奇抜な物では占星学や神学を表現する為の音楽的象徴、と言うような物もあります。1737年にシャイベという批評家にけなされた時の、音楽で行った反撃だ、と言う見解はアラン・ストリートと言う学者が1987年に発表し、注目されました。もう少し実際的な学説としては1738年にドメニコ・スカルラッティが出版した練習曲集が30の鍵盤奏法の技術をくまなく駆使したソナタから成っており、それに触発され(あるいは対抗して)バッハにしては珍しく超絶技巧や、ユーモア、そして表現の幅を多いに探求したこの30の変奏曲を書いたのでは、と言う物があります。あるいは、バッハはただカノンと言う作法の可能性を模索したくて始めはカノンを同音からオクターブまで8つ書き、その後その周りの変奏曲を書いて一つの曲集としたのでは、と言う説もあります。 何にせよ、この曲は18世紀に出版されたピアノ曲としては一番の大曲であり、それは長さに置いてだけではありません。そしてなぜバッハがこの曲を書いたのか、そしてなぜこの曲がここまで音楽学者、奏者、そして聴衆をとりこにするのか、と言う問いかけには言葉で説明出来なくても、聞いて納得すれば良いのでは無いでしょうか?ゴールドベルグを聞く体験と言うのは、他のどんな音楽、どんな体験を持っても似るということの在り得ない、いわば別世界を垣間見ることだ、と私は思います。

ゴールドベルグ変奏曲のプログラム・ノートです。 Read More »