May 2011

放射能について

昨日の夜、ギャラリー「静」での演奏会も無事終わり、ほろ酔いでとても幸せな気分でいた、帰途の電車のホームでのこと。背の高いアメリカ人が電車情報の出る電光掲示板と自分の手帳を何度も見比べながらとても困った顔をしている。「Can I help you?」と声をかけるととてもほっとした顔をして湘南新宿ラインと東海道線の関係について聞かれた。私はそんなことは(自慢ではないが)ぜんぜん知らないが、彼の行き先と私の行き先が同じだったため、自信を持って「Come with me!」と胸を張って言うことが出来た。 それでその道中約40分、1週間ぶりに英語で話すことになったのだが、彼の話は面白かった。彼は放射能関係の技術者で、今日本にいるのはアメリカ海軍で地震直後福島近辺で救助活動に当たった軍人たちの放射能レヴェルを計る仕事をしている。そして2,800人の測定をしたが、その中で少しでも放射能のサインが在った人はわずか二人。しかもそのレヴェルは単位は忘れてしまったが40何とかで、その40何とかと言うのは例えばヒューストンから成田まで往復すれば、その高度で絶対に受けてしまう程度の、普段なら問題にならないレヴェルだったのだそうだ。 「だから、日本は大丈夫。」 彼の説明にはとても説得力があり、私は彼の訪問、仕事、そして説明に私は多いに感謝した。

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「ピアノの時間」エピソード9が放映されました。

ロサンジェルスの日本語テレヴィ放送、Ntb(Newfield Television Broadcasting)でやっている 私のミニ・シリーズ「ピアノの時間」エピソード9が放映されました。 今回のテーマは「音楽に組み込まれた暗号」。 曲はラヴェルの「ハイドンの名によるメニュエット」です。 下のリンクの10分26秒目のところからご覧ください。 http://www.soto-ntb.com/program/2011-05-15/

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明日は三鷹、ギャラリー「静」で18時から演奏!

明日は三鷹にある日本工芸のギャラリー「静」で6時からの演奏です。 「静」では毎年演奏させて頂く様になって今年で4、5年になります。 染物や、焼き物、絵画、ガラス工芸など、毎年企画が違って、 私はそういう美しい物に囲まれて、美しいスペースで弾くのがすきです。 とても小さいギャラリーなのですが、だからこそ出来るお客様との対話、も又楽しい。 そして、演奏後はテーブルを囲んで軽食とワインでみんなで歓談します。 静のHPはこちら http://gallshizuka-sh.sv1.catch-cms.jp/

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音楽をやっていて良かった。

「涙がボロボロ出てくるの。私は今までちゃんと泣けてなかったのかなあ、と思うくらい。 兄と父が他界したばかりで、義母の介護も色々在って、 そんな時庭の草むしりしてたらマキコさんの練習が聞こえてきて、泣けて、泣けて。。。」 近所の方から今日聞かせて頂いた、去年の話である。 私の方で泣きそうになってしまった。 音楽で成功する、と言うのは、実はこういうことなんじゃないだろうか。 年収や、拍手の音量や長さや、演奏会の数や、ティケットの売り行きや。。。 そういう数えられる物で成功を計ろうとして、何の意味があるだろう。 私は、何の意図も無く、ただ無念に練習していただけなのだけれど、 その音楽がたまたま誰かに深く感じ取ってもらえた。 そうして、このまま音楽人生を進んでいれば、 自分が知らない時、意図せずにこういう風にまた、 誰かに一瞬の息抜きを提供できるかもしれない。 私は新たに指針を見つけた気持ちである。 感謝。

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褒めない日本人

”Wow – So great to see you! You look GREAT!! Did you loose some weight? (わあ、会えて感激!なんか素晴らしいルックスじゃない!減量でもした?) ”That was WONDERFUL. You are awesome. You play so beautifully" (今の、素晴らしかった。本当にあんぐりしちゃう。君は本当に美しい演奏するね) ”You are so strong. I know you will work out everything in the end. I have faith in your strength。”(あなたは本当に強い人間。 全部、最後には解決し得る強い意思を持っているの、知っているから。私はあなたの強さを信じているから) こういうのは、英語では常套句である。そういうのをアメリカでは、いつもちょっと白々しくて、本心が見えにくいだけに何だか(さびしい)と思う時もある私だが、それになれてしまった部分が大きいようだ。日本に来て、なんだか期待している褒め言葉が無いと、自分に物凄い落ち度があった様な気持ちになってしまう。特に、3番目にあげた例のような、励ましを含んだ褒め言葉と言うのは、私自身が人によく使うため、期待している自分が居ることに気がつく。 私はもう、そういう風に言葉で全面的に周りに居る人間を褒めまくることを友情から来る一種の「支援」と思っている傾向がある。ところが、日本に来て、周りにそういう常套句で接しても、同じ様な「支援」が帰ってこない。私は何だか反省してしまう。やはり文化が違うのだろうか。私はこんなに日本人離れしてしまったんだろうか。確かに、無責任な励ましに聞こえるかも知れない。手放しの賛美と言うのは、双方でやら無いと、やった方だけ無防備に、ちょっと馬鹿になった感じがする。 逆カルチャーショックのようだ。 う~ん、私は褒めるのも、褒められるのも、スキ。  私はそういう点では、アメリカの方が好き。

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