天正遣欧少年使節、1582-1600

今週末の大きなプロジェクトはルネッサンス音楽のクラスのためのリサーチ・トピックを見つけること。 このクラスでは一つの(3000語、約12ページ)リサーチペーパーを書くことになっている。 博士論文の練習とも言えるプロジェクトで、私は学会で発表できるくらいのレヴェルの物をという野心を持っているので、結構本気です。 私がリサーチャーとして貢献できるのは三つの点において、です。 1.英語と日本語のバイリンガルであること 2.楽譜が楽に読め、西洋音楽史の一般的知識がある。 3.研究発表の段階で、音楽的なデモンストレーションを鍵盤楽器において簡単に出来る。 と、言うことでリサーチ・トピックを探していたら、天正遣欧少年使節に当たりました。 彼らは1582年から1590年までポルトガル、スペイン、そしてイタリアに使節として九州から送られた4人の1十代の少年たちです。ポルトガル人のイエズス会の宣教師によって提案された使節団は、ローマ教王やスペイン・ポルトガルの両王と会い、日本への経済的、そして宣教的支援を要請するため、またヨーロッパでの見聞を持って日本に帰り、ヨーロッパ文化とキリスト教を日本に広めるために送られました。日本に持って帰ってきた物の中には海図やグーテンベルグ印刷機のほか、西洋楽器があり、豊臣秀吉の前でジョスカン・デ・プレ(1440-1521)の曲を演奏したそうです。 ヨーロッパ文化の中でその頃まだ新しい発明であった印刷機や海図などに並んで、音楽が日本に持ち帰る必要のある程大事だ、と彼らに思わせたのはなんだったのか。彼らはどうやってかなり高度なジョスカン・デ・プレの曲を御前演奏できるレヴェルまで習得したのか。なぜ、すでにこの頃死んでいたジョスカンの曲なのか。この音楽は日本ではどう受け止められたのか? 問題は、この使節団に関する資料の中に音楽に焦点を当てている物が無いと言うこと、そして資料の多くが日本語でのみしか入手できず、私の教授にチェックできないことなどから、このトピックが拒絶されてしまうかも知れない、と言うことです。でも私はこのトピックについてとても興奮していて、意欲満々なので、通るといいなあ、と思っています。

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