November 2012

学期末!

今日は11月30日(金)。 ライス大学では秋学期の授業最終日です。 この後土曜日から火曜日までは「スタディーデイズ」と言って、期末試験の準備期間。 教授たちはこの間、ペーパーの締め切りなどを設定したり、 この期間に期末試験を実施することを禁じられています。 そして水・木・金と期末試験の3日間の後、冬休みが始まります。 昨日はルネッサンス音楽の期末試験がありました。 特に修士・博士課程用のクラスの場合、最後の授業に期末試験が行われることは多いです。 その勉強、そして教えている「非音楽専攻のための音楽理論」の期末の準備。 さらに学期末に伴う色々な雑用で、「師走」の意味を実感する日々でした。 昨日ルネッサンスの試験が終わり、今日教えているクラスの最終日。 本当はまだルネッサンスの期末試験の「テイク・ホーム」 (大きな課題の質問が課せられ、それについて一定期間内に簡単なエッセーを書く  締め切り12月8日)や、 音楽理論のクラスの「テイク・ホーム」 (博士課程試験の模擬でフォーマットも規制も全く同じ。12月12日締め切り)、 さらにルネッサンスのペーパーの最終稿(締め切り12月8日)、 そして「非音楽専攻のための音楽理論」のクラスから 「是非現代音楽について、一つセミナーをしてくれ」と言う、 生徒たちからのたっての頼みがあり、非公式に来週月曜日に特別クラスの実施をしたり、 さらにこれらの生徒たちの最終コンサート・リポート(演奏会に行って批評する)を受け取り採点、 それからもちろん、期末試験の採点、などなどまだまだ終わりには至らないのですが、 昨日の試験までがあまりにも上り坂だったため、試験が終わった段階で一つ肩の荷が下りた気持ち。 久しぶりにライス大学の日本人の方々とお寿司を食べに行きました。 お二方音楽とは関係の無い分野で博士課程の最終段階をなさっていらっしゃって、 今年イギリスと日本でそれぞれ輝かしい将来がお決まりになり、お祝いです。 それにしてもアメリカのお寿司というのは面白い。 えびの天ぷらとマンゴを巻いて、外側に刺身とアヴォガドの薄切りをきれいにあしらい、 キムチとマヨネーズのソースで食べる、とか。 結構美味しいです。 でも、お寿司の定義と言うのは、寿司飯が在れば何でもあり、なのでしょうか? 晴れがましいお祝いを一緒にさせていただき、楽しいひと時でした。 さあ、後もう一頑張り! 12月22日、12月31日、そして1月5日にそれぞれある演奏会の準備もそろそろ無視は出来ません!

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昨日は誕生日でした。

私はいくつに成っても誕生日が好きです。 テキサス州はヒューストンから車で一時間ぐらいのところにあるメキシコ湾に面した、 Galvestonという町に行ってきました。 ここは1850年くらいはとても栄えた港町でテキサス州一の人口と富を誇っていた場所です。 その頃の豪邸や船が沢山残っており、その中のいくつかは歴史的建築物に指定されて見学できます。 ショパンやシューマンやブラームスが活躍していた時代のアメリカのエリートや金持ちの人生を垣間見ることが出来るのはとても感慨深いです。 天正遣欧少年使節の勉強をめぐって少し歴史が分かってきた矢先ですから、特に興味深かった。 これからも見聞を広め、深め、ちょっとづつ自分の世界を広げていくことに喜びと意義を感じ続ける、その全てを自分の音楽人生に生かす、そう言う人生を歩む自分に自身と誇りを持つ、そう言うことを大事にこれからも一日、一日、正直に生きて行きたいと思います。

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勉強してました…

天正遣欧少年使節のペーパーの第一稿締め切りが今日だった。 かかりっきりになっていて、ブログがすっかりおろそかになってしまった。 私は日本では中学二年生までしか学校に行っていない。 その後アメリカに来て、英語が分からないまま高校を卒業し(中2から飛び級してそのまま高校に入ってしまったのです)、その後はずっと音楽学校だったので、一般知識が驚くほどかけている。 その私が今回始めて織田信長の最後から鎖国くらいまでの日本史を少しかじった。 面白い。そしてなんとも不穏。 特に私が集中した日本でのキリシタン史と言うのはなんとも複雑。 マーティン・ルーサーに始まるカトリックへの反抗の勢力が西ヨーロッパを大きく影響し始めた頃、 カトリック教会は勢力を外に求め始め、アメリカ大陸、アフリカ大陸などへの布教活動を始めた。 その中に日本も含まれていたのである。 日本で布教に成功すれば、中国までカトリックを広げられると考えていた節もある。 こういう大陸の存在が明らかになり、それぞれの原住民を「人間」と考えるかどうかと言うことについてカトリック教会の中心であるローマ法王が「彼等も人間である」と最終結論を出したのは、日本での布教が始まるわずか数十年前だった。当然、人種差別がある。貧困にあえいでいたその頃の日本では、自分の家族や、奇襲の結果制覇した隣村の日本人などをポルトガル承認に売り払う、と言うことがあったらしい。イエズス会は立場的には日本人奴隷の取引に反対だったが、彼等自身も非常な財政難で、多少の報酬でちょっとした手助けをすることも在ったらしい。 そんな中で行われた天正遣欧少年使節。4人の13歳の少年が、九州のキリシタン大名の使節としてローマ法王、スペイン国王、イタリア、ポルトガルの貴族などヨーロッパの容人と会見した。目的は日本でのキリスト教布教への財政補助と関心を集めることと、日本人にヨーロッパを見せることでヨーロッパの文化の高さを体験させ、日本に帰った後その体験を持ってヨーロッパ優勢を語らせよう、と言うことだったらしい。少年たちは、行く先々で物見高い人々に囲まれ、歩行すら困難になるくらいだったらしい。ヴェニスでは歓迎のために花火が打ち上げられ、3万人の観客が集まったらしい。ローマ法王、グレゴリー8世は涙を流して使節を歓迎し、ローマ市民権を与えた。この日本人使節の動向にはヨーロッパ中の関心が集まっており、彼等がローマ法王と会見した1585年一年で彼等についての出版物が48もあった。 「裸の王様」みたいである。少年たちは渡欧する船の中でも、ヨーロッパでも、売られた日本人を目撃したらしい。そんな中で、彼等は「新しく発見された世界から来た初めてのキリスト教者」として熱狂的にもてはやされたのである。もちろん、奴隷と成った日本人たちは「キリスト教者」ではなかったのかもしれない。でも、使節の例えば伊東マンチオは確かに大友宗麟という大名のと遠縁では在ったが(妹の娘の夫の妹の息子)、父親を若く亡くしてからは母親の再婚相手を嫌って、新学校に拾われるまでは家出少年としてほとんどホームレスであったのである。それが飾り立てられて、「王子」としてヨーロッパで最高級の礼を持って迎えられる。 そしてさらに皮肉なことにそんな彼等も日本に帰ってみれば、キリシタン追放礼がすでに出ており、社会の最下層に突き落とされるのである。使節の一人、ジュリアンは殉死している。キリシタン迫害が始まってかなりの時間がたってからのことである。その頃にはもう幕府はキリスト教者が殉死を崇高な物としていることを知っており、出来るだけ殺さず、拷問で棄教させようと、色々な方法を編み出していた。ジュリアンは「穴釣り」の刑に会い、3日かかって死んだ。汚物の詰まった穴に逆さづりにされるのだが、ただ単に逆さづりにしたのでは、脳に血が溜まるか、内臓が圧迫されて死んでしまうらしい。脳の鬱血を防ぐために耳タブに穴があけられ、そこから余分な血が出て行くように工夫され、内臓の圧迫を防ぐために胴体に縄が巻きつけられたらしい。 30万人から50万人居たとされるキリスト教徒の中の4000人が殉死したらしい。 こういう歴史と言うのは悲惨で悲しい。私の住んでいる世界と言うのはなんと恵まれていることか。そして人間の命の尊さと言うものが、つい最近の概念なんだと思い知る。つい最近、しかも限られた特権階級の先進国においての概念。 ちょっと開眼である。自分の無知が恥ずかしく、今までのほほんと生きてきたことに罪悪感を感じる。

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エリオット・カーターが亡くなりました。

アメリカを代表する現代作曲家、エリオット・カーターが今日亡くなりました。 103歳でした。90歳から100歳の間に40曲、100歳を超えてから14曲書いた、 生涯を通じて意欲的な作曲家でした。 私はカーター氏はタングルウッド音楽祭でお目にかかりました。 彼の作品の初演の時に後ろのおじいさんがやけにやかましく、 演奏中にかなり大きな声で隣の人に話しかけたりしていたので (うるさいなあーどこのおじいさんだろう)と思っていたら、それがカーター氏でした。 2009年に最初に見た時は演奏後の挨拶は人に頼って立ち上がっていましたが、 2010年の夏は一人でひょこひょこ歩いていました。 いつまでも生きるかのような勢いだったのですが、やはり亡くなりました。 私のフェースブックはエリオット・カーターの話題で持ちきりです。 そしてもう一つの大きな話題は明日の選挙! 頑張れ、オバマ!頑張れ、アメリカ人! 私は市民権が無いので投票できませんが、 今回の選挙で投票するために市民権獲得した移民が結構居るようです。 しかし、ハリケーン・サンディーの被害をこうむって投票が難しくなった地域の多くは 民主主義者、オバマ支持者の多い地域でもあります。 頑張れ、オバマ!!

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ルネッサンスの試験、終わり!

勉強と試験と言うのはほとんど関係ないな~と思います。 おとといまでは、本当に勉強した。歴史的背景を理解しようと努力し、作曲家の生い立ち、環境、その結果の音楽的、宗教的選択と言うものを考慮して、そういった視点から彼の作品を読もうとした。でも、昨日とおとといの作業と言うのは、その絶大的な想像を超える歴史をなるたけ簡単な箇条書きにし、年号と共に丸覚えして、質問に答えられるようにする、と言うもの。山ももちろん張るし、質問しようのない事実や微妙なことは全て割愛!先生と教師の間の狐だましのような、ゲームのようなものです。 でも、筋肉と同じで、脳みそも使えば使うほど機能アップするものだな~と言う実感もあります。膨大な量の年号を丸覚えしていくのは、ある意味快感です。そして、自分で自分をテストして、自分が意識しているよりもはるかに多くの情報を記憶していることを知る時、人間の記憶力、脳みその不思議、そして自分の未発達の能力について、感動します。まだまだ頑張れる! 試験は上々でした。次はリサーチペーパーに締め切りが2週間後にあります。

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