May 16, 2011

音楽をやっていて良かった。

「涙がボロボロ出てくるの。私は今までちゃんと泣けてなかったのかなあ、と思うくらい。 兄と父が他界したばかりで、義母の介護も色々在って、 そんな時庭の草むしりしてたらマキコさんの練習が聞こえてきて、泣けて、泣けて。。。」 近所の方から今日聞かせて頂いた、去年の話である。 私の方で泣きそうになってしまった。 音楽で成功する、と言うのは、実はこういうことなんじゃないだろうか。 年収や、拍手の音量や長さや、演奏会の数や、ティケットの売り行きや。。。 そういう数えられる物で成功を計ろうとして、何の意味があるだろう。 私は、何の意図も無く、ただ無念に練習していただけなのだけれど、 その音楽がたまたま誰かに深く感じ取ってもらえた。 そうして、このまま音楽人生を進んでいれば、 自分が知らない時、意図せずにこういう風にまた、 誰かに一瞬の息抜きを提供できるかもしれない。 私は新たに指針を見つけた気持ちである。 感謝。

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褒めない日本人

”Wow – So great to see you! You look GREAT!! Did you loose some weight? (わあ、会えて感激!なんか素晴らしいルックスじゃない!減量でもした?) ”That was WONDERFUL. You are awesome. You play so beautifully" (今の、素晴らしかった。本当にあんぐりしちゃう。君は本当に美しい演奏するね) ”You are so strong. I know you will work out everything in the end. I have faith in your strength。”(あなたは本当に強い人間。 全部、最後には解決し得る強い意思を持っているの、知っているから。私はあなたの強さを信じているから) こういうのは、英語では常套句である。そういうのをアメリカでは、いつもちょっと白々しくて、本心が見えにくいだけに何だか(さびしい)と思う時もある私だが、それになれてしまった部分が大きいようだ。日本に来て、なんだか期待している褒め言葉が無いと、自分に物凄い落ち度があった様な気持ちになってしまう。特に、3番目にあげた例のような、励ましを含んだ褒め言葉と言うのは、私自身が人によく使うため、期待している自分が居ることに気がつく。 私はもう、そういう風に言葉で全面的に周りに居る人間を褒めまくることを友情から来る一種の「支援」と思っている傾向がある。ところが、日本に来て、周りにそういう常套句で接しても、同じ様な「支援」が帰ってこない。私は何だか反省してしまう。やはり文化が違うのだろうか。私はこんなに日本人離れしてしまったんだろうか。確かに、無責任な励ましに聞こえるかも知れない。手放しの賛美と言うのは、双方でやら無いと、やった方だけ無防備に、ちょっと馬鹿になった感じがする。 逆カルチャーショックのようだ。 う~ん、私は褒めるのも、褒められるのも、スキ。  私はそういう点では、アメリカの方が好き。

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