• 9    練習 10   オケのリハーサル 11;30 練習 12;30 ヴォランティアによる研修生の為の昼食会 1    寮に戻り昼寝、ちょっと読書、またキャンパスに戻る 4    ストラウスの歌曲のクラス 6    寮に戻る、夕食 7    アンドレ・プレヴィンの歌、リハーサル 8    練習 ちょっと疲れ気味。 昨日のブログを書いたあとで、何となく自分がこの頃不必要に批判的になっているようで悲しくなった。 何しろここに来て、ほぼ毎日演奏会に参加するか、演奏会を聴くかしている。 時には日に二度、演奏会を聴く日もある。 その上にレッスン、リハーサル、講義、そして自分の練習。 段々食傷気味になってきているのかも。 贅沢な話ではあるが。 皆そうだけど、そして周りが疲れているから余計自分の疲れを意識することもあるのだけれど、 今日はついに昼寝をしてしまった。 そういうときに、今日のランチは嬉しかった。 普段、研修生は寮で朝ごはんが8時から9時まで、夕飯が5;30から7時まで食べられる。 でも、昼は出ないし、夕飯もリハーサルが立て込むと、時間内に寮に帰ってくるのが不可能な日もある。 そういう日は、朝頼めば、寮の食堂のおばさんがサンドウィッチを作ってキャンパスまで届けてくれる。 でも、アメリカのお弁当にしてはましな方だけど、 レタスとトマトとハム(又は菜食者用に、豆腐の薄切りにペスト・ソースを塗ったもの)のサンドウィッチ それからポテトチップスと、リンゴかオレンジと、リンゴジュースのお弁当である。 メニューの変化は無い。 私は実は日曜、月曜とつづけてその「お弁当」だった。 そしてお昼は食べている時間が無いし、買うお金ももったいない。 朝食の時(本当はいけないのだけど)食パンを紙ナプキンに包んで持ち出してお昼に食べたり、 お菓子や、粉末スープ、同じく持ち出したフルーツを食べたりしている。 そういう食事が続くと、やっぱり悲しくなってくる。 でも、毎週水曜日はヴォランティアの人達が、そういう研修生たちの為に昼食会を開いてくれる。 それぞれのヴォランティアが10人掛け位のテーブルを受け持って、 おうちで作ってきたお食事でおもてなしをしてくれる。 それぞれのテーブルでメニューが違う。 今日はロースト・ビーフと、グリーン・サラダとポテト・サラダ、 それからトマトとマッツォレラ・チーズにボルザミコ酢をかけたものをごちそうになった。 このテーブル受け持ちの人は91年に近くに越してきて以来ずっとタングルウッドに関わってきたけど、 5年前にいとこが研修生で参加したのをきっかけに、このランチのヴォランティアの参加を始めたそうだ。 他にも、ただ単に音楽家とおしゃべりしたい人たちとか、 それから自分の子供が昔研修生で、今はどこかでオケ奏者として働いている、と言う人や、 色々な人が色々なきっかけでこういうヴォランティアを始める。 私たちはみんな忙しいから、時にはご飯をかきこんで「ごめんなさい、リハーサルがあって。。。」 と言って立ち去る「食い逃げ」の様なことをしなければいけない時もある。 でも、みんな「分かっている、気にしなくていいから」と言いながら、 にこやかに、さりげなくごちそうしてくれる。 中にはそういう研修生用に、デザートを包んで持っていけるように、用意していてくれる人もいる。 一昨日、ボストン交響楽団の演奏会の休憩中、後ろに座った人たちの会話が聞こえてきた。 知らない人同志の、通りすがりの会話だったけど, 若い女の人の声が 「自分はミュージカル女優を目指して、そういう大学を卒業したけれど、今は普通の企業勤め。 そして今の夢は、いつかここの研修生を一人スポンサーするだけの貯金をすること」 と言っていた。 そういう芸術活動、夢の持ち方もあるんだなあ、と思って、感動した。

  • 音楽の役割

    「自分にとって良い曲とは、新しい聴き方を提示してくれる音楽だ。」 -Steven Drury 10   リハーサル・コーチング(Singing Sepia)  12;30 Steven Druryと昼食 1;30  練習 2;30  Steven Drury コーチング、(ベルグのソナタ) 4    オーケストラのリハーサル("Drala" by Peter Lieberson) 6 寮に移動、夕食 7;30  マーク・モーリス舞踏団のドレス・リハーサル見学 マーク・モーリスは元舞踏家、今は振付家で、彼の舞踏団はアメリカではかなり有名だ。 音楽にとても詳しく、オペラの演出を手掛けたりもしている。 自分の舞踏団では、リハーサルから公演を通じて、録音に合わせて踊ることを主義的に禁止していて、 そのせいで時間もお金も余計にかかるが、 そのおかげで私の知人の数人はマーク・モーリス舞踏団と共演したことが在る。 音楽の演奏がその日の天気、演奏家の気分、会場の雰囲気などに影響されて変化するように ダンスもそれを反映して、自在に変化するべきだ、と言う考えからの生演奏である。 かなり著名な音楽家もこの舞踏団と定期的に共演していて、 今日演奏したヨーヨー・マや、エマニュエル・アックスも頻繁に参加するらしい。 今日のプログラムは研修生によるハイドンのホルン協奏曲ニ長調、 ヨーヨー・マとアックス氏によるベートーヴェンのソナタハ長調、 研修生によるストラヴィンスキーの「Serenade」(ピアノ・ソロ) ヨーヨーとアックス氏と未知のヴァイオリニストによるアイヴスの三重奏だった。 振り付けは非常に面白かった。 幾何学的な模様のように何人もの腕や脚が舞台の上に模様をなして、 それが音楽にぴったりと合わせて万華鏡の様に七変化する。 音楽を本当に視覚化している感じで、たとえばカノンなら、 同じ振り付けを声部の導入に合わせて、ずらして何人ものダンサーが踊るとか、 協奏曲はホルンに合わせて踊る人、オケの中のあるテーマだけを踊る人、とか 例えば音楽理論を全く知らない人でも、一目でソナタの構造がわかるような そんな振り付けだった。 ヨーヨー・マとアックス氏はどうして舞踏団と共演する選択をするのかなあ。 振り付けの都合で、音楽的解釈を妥協しなければいけないところが在る。 例えば、ベートーヴェンのハ長調のソナタは、私はこのデュオがロスで演奏するのを聴いたが、 今日のテンポは振り付けに合わせて、普通の解釈よりも、彼らのロスのテンポよりも かなり遅いテンポになっていた。 後の講義で「こういう解釈もできるかも、と挑戦されるのが面白い」とマ氏が言っていたが。。。 始めは音楽が視覚的に体現されていく目新しさが楽しくて、息を呑んで見ていたが、 段々(これはマーク・モーリスの音楽の解釈を見ているのであって、 音楽そのものを解釈と切り離して体験するのはこの方法では難しい) と思わざるを得なくなってきた。 しかし、演奏だって、演奏家の解釈と音楽そのものを切り離すのは難しい。 それでも、ベートーヴェンは私はよく知っている曲だから、 例えば普通のテンポより遅い、とか、かなりのところが分かったが、 アイヴスやストラヴィンスキーに至っては初めて聞く曲なので、 マーク・モーリスの提示する世界を鵜呑みにするしかない。 それはそれで、ただ単に音楽を聞くより、ガイドが在ってわかりやすく、楽しめはするのだが、 しかし良く知らない曲だけに、視覚に気が囚われて、せっかくの尊敬する演奏家の演奏でさえ 気がつくとダンスの二の次になってしまう。…

  • 今日はこの頃ほぼ毎日リハーサルをしていたムソルグスキーの歌曲を6時のコンサートで演奏した。 ムソルグスキーがまだ若いころ作曲した曲4つをグループにして、 「What are Words of Love to You?」、 「Jewish Song」 「The Sould Flew Quietly Through the Celestial Skies」 「Hopak」 歌曲の伴奏は楽器伴奏と随分違って、音面は楽器演奏より簡単なことが多いが、 テンポやムードの設定は、詩を考慮するために、音楽だけを考慮すればいい楽器演奏より気を使うし、 子音のあと、母音に合わせて入る、息はを配慮する、など色々大変。 イタリア語なら、日本語に似て、子音と母音の関係もタイミングもわかりやすいが、 ロシア語の場合「グズチェ」の「グズチ」に随分時間がかかって「エ」と、ともに和音を入れたりするから おっとっと、と言う感じである。 新しいことが多くて、はじめは戸惑ったけど、 今日の演奏は今までやったリハーサルやコーチングを全部超えてうまくいった。 嬉しい。 厳しく指導してくれた先生が「今日のは、本当の『共演』でした。素晴らしかった」 と褒めてくれた。 その直後、研修生のオーケストラがオール・ストラヴィンスキーのプログラムの演奏をした。 プルチネラ、ピアノ協奏曲、そして「火の鳥」である。 ピアノ協奏曲はピーター・セルキンがソロを弾いた。 彼は、たとえば公開レッスンをする時「上がってしまうので」と言う理由で、 3人しか客席に生徒を入れさせない、とか少し変わった人のようだ。 今日の演奏は何と言うか、きっと物凄く練習したことをうかがわせる、ある意味完璧な演奏だったが、 私はとても不思議な感覚で聴いていた。 何しろ、完全にオケとぴったりなのだ。 ティンパニーと同じリズムで和音を入れるところでは、 一糸乱れることなく、ティンパニーと一緒に入るので、 ティンパニーの延長線上にピアノの音が在るような感じになる。 金管と揃うときも同じである。 完璧なオケ・ピアノを聴いている感じがした。 でも、ソロではない。 期待にいつも応えたタイミングで発音がなされるので、ある意味超人的なのだが、 裏返せば、それが非人間的にも聞こえる。 物凄い演奏だったのだ。 この曲はオケがピアノを圧倒しやすい曲である。 それなのに、いつもピアノの音がはっきりと際立つ演奏だった。 私は例によって舞台から7列目の鍵盤が良く見える席に座っていたのだが、 彼は指を立て、上から落とすことでスピードをつけて和音を強く弾き、 あらゆる細かい努力を惜しまずに、熱演していた。 でも、私だったら、ああは演奏しない。 これはあくまで協奏曲なのだ。

  • 8;40 寝坊、急いでシャワー、身支度、9時に容赦なく片付けられる朝食にぎりぎりセーフ 10   キャンパスで、研修生たちの演奏会を聴く 1    ピザパーティー 1;30  練習 2;30  ボストン交響楽団(ベートーヴェンピアノ協奏曲3番、ラフマニノフ交響曲2番) 5    練習 6;30  明日のコンサートのドレス・リハーサル(ムソルグスキー歌曲) 7;30  寮に戻る 8;30-10 練習 ヴァイオリンや管楽器など、オケに使われる楽器の奏者たちは、 定収入を得ようと思ったら、一番普通の道はオーケストラで弾くことである。 そして、オケでのポジションを得るためには非常に競争率の高い、 厳しいオーディションを通過しなければいけない。 生徒たちはよく「mock audition (模擬オーディション)と称して、 (偽)試験管の前で、15分オケの抜粋やソロのサンプルなどを弾かせられる。 タングルウッドでは、7月の上旬にこの「mock audition」が在った。 そしてオーディションで「プロとして通用する」と認められた奏者は、 ボストン交響楽団の演奏会に載せてもらえる。 明日は、これは模擬では無く、本当のオーディションが行われる。 フロリダにある、「New World Symphony」と言うオケの 欠席奏者の代理の候補になるためのオーディションである。 New World Symphony と言うのは、マイケル・ティルソン・トーマスが音楽監督の 由緒あるオケだが、奏者は2年間しか在籍できず、若い人たちが他の場所のオーディションを受ける間の 受け皿の様な存在だ。 で、オーディションを受けに行く奏者の穴を埋める代理がいるわけである。 正規の奏者にも、代理にも、待遇はとてもいいから、アルバイトのオーディションでもみんな真剣だ。 隣がチェロ、真向いがヴァイオリンを一生懸命練習している。 もう11時なのに。 私は、耳栓でもして、寝ることにしよう。

  • 今日は晴れ!

    7;30 起床、身支度、朝食、移動 9   練習 9;30 リハーサルとコーチング(”Singing Sepia” by Tania Leon) 12  コーチング(”Boulez is Alive” by Judd Greenstein) 1   図書館で調べ物 1;30 練習 3;30 シューベルトのソナタハ短調、コーチング by Ken Griffith 5   寮に戻り、皆で楽しく夕食、食後のお散歩、 7;30 リハーサル(ムソルグスキー歌曲) ”To listen is to expect to hear things(「聴く」と言うのは音を期待して待つ、と言うこと)" これはまだ10代の後半の時、カナダの夏の音楽祭で出会った先生に言われたことで、 今でも何かにつけて、思い出し、感じ入る言葉だ。 今日は朝から中々忙しい日だったのだが、朝一番のウォーム・アップがすごく集中・没頭してできた。 そういうときは、上の様な、過去や最近のいろいろな教訓が、実感として思い出せる。 今日は上の言葉を思い出しながら、 演奏家がいかに聴衆の「音に対する期待」をまず創り上げるか、 そしてその期待に応えたり、あるいはわざと裏切ったり、 そういう操作をすることでコミュニケーションとしての音楽を確立するか、と言うこと、 そしてその大半がリズムのコントロールによって成される、と言うことがお腹の底で一瞬分かった。 この夏本当にまれな、快晴の日だった。 久し振りに汗ばむほど気温が上がり、夕飯のあとで仲良くなったピアニストたちとお散歩した。 雨続きや、本当に忙しかったせいで、キャンパスと寮の往復以外には この町の近所を探索もほとんどしていない皆だったけど、 おしゃべりしたり、歌を歌ったり、笑い転げたりしながら、ぐんぐんお散歩した。 途中、大雨続きの結果、池の様な水たまりになった所の横を通ったら、蚊が大発生していて、 みんなで腕を振り回しながら走ってUターンして寮まで帰ってきた。 「タングルウッドは長すぎる、もうおうちに帰りたい」、とこの頃皆で挨拶の様に言い合っているが、 タングルウッドが終わってみんなと別れたらちょっとさびしいなあ、と思った。 ここに来るための荷造りをしている時、ちゃんと日数分のビタミン剤をビニール袋に入れて持ってきた。 毎日一錠ずつ飲んでいるけど、あたりまえだけど随分減った。 もうここに来てから40日を過ごしたんだなあ、あと二週間ちょっとだなあ、と実感する。