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笑いの必要

ずっと眠れない。 眠れないから悩んでしまうのか、悩んでいるから眠れないのか、もう分からない。 悩んでもショウガナイことばかりだし、元気な時は鼻先で笑っちゃうくらい小さな悩みばかりなのだ。 でも、眠れない夜には本当に悩まされる。 寝ようともがくと邪念に苦しむから、ガバっと起きてとりあえずしなければいけないことを片付ける。 野暮用が多いのだが、それでも少しずつ片づけていくと気がまぎれる。 そうしていると朝になってしまう。 疲れてはいるが、眠気は無く、そのまま練習に向かったりする。 そうするともう晩には夢遊病者状態。 感覚がいつもの半分くらい。 カーテンを通して世界を経験しているよう。 そんなとき、学校から招待券をもらって現代曲ピアノ・リサイタルを聴きに行った。 ピアノの生徒の皆と一緒だ。 今夜のメキシコ人女流ピアニストが、主に南米の作曲家たち12人に Pedro Paramoと言うメキシコ詩人の作品への反応としてピアノ曲を作曲するよう依嘱した。 その結果を12曲並べて2時間のピアノ・リサイタルにしたプログラムだ。 曲の合間に、それぞれの作曲家が取り上げた文章がスペイン語、その次英語で ピアニスト自身によって読み上げられる。 始めは面白いリサイタルになるか、と思った。 紫色の照明で、舞台は不思議な雰囲気に包まれ、 ピアニストの声はハスキーで詩の朗読はゆっくりととても心地良かった。 ピアノ演奏も中々良い雰囲気で始まり、曲も美しい。 一曲目、二曲目と進むうちに(?)となってきた。どの曲も同じに聞こえる。 もしかしてこの人は、どんなテンポ指示も強弱記号も無視して、 弾けるように、もしくは弾きやすいように、弾いているんじゃないか? よってどの曲もスロー気味で、思わせぶりな、残響をいつまでも聞くような、弱音続きになる。 そして極みつけに、二つの音をただやたらと連打し続ける曲が在って(本当に3分くらいそれだけ) 私たちは、静かに笑い始めてしまった。 休憩中、目と目で通じあって会場を退出して、ピアニスト仲間同士、外に出たとたん爆笑大会になった。 ちょっと意地悪だったかもと反省の念もあるけれど、それよりも本当に正直に、素直に、心の底から 「笑わせてくれて、ありがとう」 普段の私は普通の人がびっくりするくらい、大声で頻繁に笑う。 でもこの数日間、そう言えば全然笑っていなかった。 笑って、みんなで一緒にお腹が痛くなるくらい笑って、本当にすっきりした。 糞まじめを笑い飛ばす勇気と元気と強さを持ちたい。 豪快な楽観性と、荒削りな態度を持ちたい。 今日は笑って、それに一歩近づいた。 今夜はちゃんと眠れるように。

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嬉しかったこと

今日の夕焼けは格別だった。 友達と外の芝生で夕飯を食べながら、 自分たちの将来や音楽業界の将来について結構真剣に話をしていたのだが ふと気がつくと、雲が美しいパターンを描いて、夕焼けを金色に反射していた。 どんな統計が、これからの音楽業界の先行きの不安を描き出したとしても、 私にとって音楽とはもう宗教の様なものなのだ。 人類にとって、と言うのはおこがましければ、私にとって、 音楽と言うのは感性を研ぎ澄ましてくれ、生きていることの実感を与えてくれ、 信念を持つことを教えてくれる、私が成りたい私になるために不可欠なものだ。 そのための犠牲は、私は悔いは無い。 私は音楽に巡り合えて幸運だった。 それに、一生懸命何かをやっていると、同じく一生懸命な人と、親身な友達になれる。 私は楽観的に、毎日一歩一歩、自信を持って修行を重ねていこうと思う。

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ワーグナーの「指輪物語」と「送り人」

昨日の夜は盛りだくさんだった。 前から「送り人をダウンロードしたから一緒に見よう」と誘ってくれてる下級生がいて、 昨日の夜9時に約束がしてあった。 内気な子で、やっと段々打ち解けて来てくれたのが嬉しかったので、この約束は守りたかった。 しかしその午後、ワーグナーの指輪物語の「ジークフリートの伝説」の通し稽古の券をもらったのだ! 5時半に開演、10時45分に終演する5時間以上の長丁場だ。 私はジークフリートを9時までみて、それから「送り人」を見ることに決めた。 5時。お腹が空いて無くても、とりあえず軽食をお腹に押し込んで、オペラに挑む。 ワーグナーは調整をその限界まで押し続けた作曲家と言うことで、 ドビュッシー、ショーンベルグを始めとする20世紀の音楽の創始者達すべてに大きな影響を及ぼした。 と、言うことで、11月後半に「歴史を反映する不協和音」と言う題名で ウィーン学派の作曲家たち(モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ベルグ)が どうして無調性に行きつくか、というテーマのリサイタルを予定している私は、 ワーグナーは必修!だったのだ。 しかし、長い。 第一幕は一時間だったが、ほとんどがジークフリートとその育ての親である小人の会話だ。 舞台装置も衣裳もすっごく(音楽の邪魔になるくらい)凝っており、 音楽とストーリーがゆっくりと進行する中、舞台の仕掛けは結構一生懸命動き、 多分、ワーグナーマニアは眉をひそめるが、ワーグナー初心者には親しみやすい演出だった。 絶対にワーグナーはユーモアを意図してないところでも、 舞台装置や、歌手の演技がコミカルで、客席から笑いが良くおこった。 特に、指輪を守っている、恐ろしいはずの竜は、出場する前の歌詞や、 まだ姿を見せずに歌だけが聞こえるところでは、マイクを通して歌手の声がびりびりと聞こえ、 どんな竜を出してくるかと思ったら、「お母さんと一緒」に出てきそうな可愛くて、 サイズも小さい竜で(7歳児くらいの大きさ)客席は大笑いになった。 う~ん、ワーグナーはきっと怒るだろうな。 そして、こんなに演出家が頑張っても、私はちょっと寝てしまった。(ごめんなさい) タングルウッドで友達になったチェリストがこのオペラのオケでアルバイトで弾いているが、 非常に疲れるだろうと思う。トイレはどうするんだろう。今度ご飯する時に聞く。 9時「送り人」。 主人公がチェリスト、と言う設定の割には音楽がお粗末で友達と大笑いしたが、 でも、いっぱい泣かせられて、最後はどうしても鼻声を隠せなかった。 中国人の友達だったので、中国語の字幕付きで見たのだが、 そのあと、日本の文化や死の概念について、いっぱい質問された。 こんなに哲学的な子だとは知らなかった。 私は「送り人」の方が、正直楽しかった。 タングルウッドで「マイスタージンガー」の第三幕の演奏会バージョンも聞いたけど、 そっちの方がまだ楽しかった。 こんなことを書いたら指輪マニアに軽蔑されそうだけど。

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コーヒーの効用と、練習効果

子供の頃は、母の方針によりコーヒーは飲まないで育った。 段々、カフェインは体に良くないと言う認識が芽生え、 お茶でもカフェインの入らないハーブティーを飲むようになった。 しかし12年前ころから演奏会が増え、譜読みが追いつかなくなり、 カフェインを飲むと練習の効率が上がると言う噂を頼りに飲み始めるようになった。 最初に飲んだ時の感動は今でもよく覚えている。 お店でテイク・アウトを頼んだのだが、カップの半分をミルクにしてもらい、砂糖をいっぱい入れた。 そして一口飲んだ時、本当に目から鱗が落ちたような、急に世界中の色が鮮やかになったような、 視点が一転したような感覚が在った。 その日の練習は夢のようにはかどった。 コーヒーを飲むと、いつまでも楽しいのである。 そして、繰り返しが苦にならずいつまでも興味を持って同じパッセージを練習できる! どんどんミルクの量が減って行き、そのうちブラックまで行きつき、一日に2杯以上飲むようになり、 さらにコカ・コーラのカフェインはコーヒーとちょっと効き具合が違うことを発見してからは 朝はコーヒーで、夕方からはコーラと使い分けるようになった。 そうしないと練習できないような、必需品になってしまった。 この効用のどれだけが心理作用で、どれだけが実際の効用だったのか。 最近風邪をひいたとき、 友達に断固と「カフェインは病気の時、体に良くない」と主張され、 コーヒー無しでずっと過ごした。 何となくいつもよりリラックスして、性格がまろやかになったような、 アクセク観が無くなったような気がした。 興味を持って回復後もずっとコーヒーを絶ってきたが、そろそろ困ってきた。 何だか一日中眠いのである。 始めは病み上がりのせいだと思っていたが、どうやらそれだけでもないらしい。 緑茶を飲んだり、甘いものを食べたりして、自分にはっぱをかけようとするのだが、 怠け者になってしまう。 そしてどんどん早寝になる。 今日は友達の誕生パーティーだったのに、10時になったらもうどうしようもなく眠くなってしまった。 う~ん、どうしよう。 明日、コーヒー再開しようか。

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ロスの週末

ハリウッドがロスにあるのは、ロスの降雨量がアメリカで一番少なく、日照時間が一番長かったからだそうな。 その昔、映画に必要な照明を太陽に頼るしかなかった時代、ロスは最高のロケ地だったわけだ。 今では撮影は大抵屋内で、電気照明でやるので日照時間は映画製作にはあまり関係ないが、 その気候のおかげで私たちは、とても幸せな毎日を送ることができる。 大体いつもぽかぽかとお日さまが照って、9月後半から5月頃まで気温は10度と25度の間を行ったり来たりする。 (夏は地獄の様に暑いらしいが、私はまだ夏をロスで過ごしたことはない) そんな訳で今日は私はLAマラソンに向けてトレーニング中の友達に付き合って海岸に行ってきた。 友達が走っている間、自称未だに病み上がり中の私はのんびりと砂浜に座り込んで、 海を見ながらテレテレお勉強をした。 海岸は、学校からドライヴして20分くらいのところに延々と広がっている。 波の音を聞くのは本当に気持ちがいい。 2週間前サーフィンをしたときは、水は全然冷たくなかった。 今朝もサーフィンしている人が結構いる。 子供も水遊びしている。 ロスのもう一つ素晴らしい事は、いろいろな人種が同居しているので、 色々なお食事が体験できることだ。 土曜日の夜は友達の誕生日で、インド料理を食べた。 その時、エチオピア料理とインド料理の比較検討が話題に上り、食べたくなったので、 日曜日の昼食は今度はエチオピア料理を食べに行った。 エチオピア料理は、インジェラと言う発酵したパン生地を薄くのばして焼いた、クレープの様なパンをちぎって シチューの様に、色々なスパイスで煮込んだ野菜や肉を包んで、手で食べる料理だ。 スパイスを使って煮込むところがインド料理に似ている、と言えばそうだが、 スパイスの種類が違うし、そんなに辛くなく、うま味の要素がずっと多いと思う。 私は大好きな料理だ。 それにしても、ロスは日本系の店や料理屋が並ぶ「リトル・トーキョー」や 同じく韓国系が密集する「コリア・タウン」、 そして今日行った所はエチオピア料理屋ばかりが並ぶ一角だし、 同じようにタイ系、ベトナム系の地域、そしてチャイナ・タウンもあるし、 メキシコ人ばかりでお店の表示がみんなスペイン語の地域もある。 なんでこうはっきり分離するのか。 ちょっと車でドライヴすると、ハングル文字、中国語、スペイン語、など地域によって看板が違う。 本当に国際旅行をしているようだ。

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