著作権について。
9 練習 12 シェークスピア「尺には尺を」 4 ピアノ・クラス(現代曲の弾きあいっこ) 6 夕食 7 リハーサル(ムソルグスキー歌曲) 8;30 ボストン交響楽団(ドビュッシー「海」、ラヴェル「ダフネス&クローイ」、 ベートーヴェン、ヴァイオリン協奏曲、デュ・バルゴス指揮) 今日はシェークスピアの劇を見に行った。 タングルウッドの近くに「Shakespear & Company」と言う劇団が在る。 そして夏の間はタングルウッドと同じ様に若い人達に経験の機会を与える研修制度がある。 その研修生たちによるシェークスピアの「尺には尺を」の公演用に、 タングルウッド研修生の作曲家たちが曲を書いた。 劇の内容を勉強して、どういう音楽が求められているかについて監督と話し合い、 曲をたくさん書いて、提出したのが、タングルウッドが始まった6月の下旬。 それを監督が劇に合わせて勝手に選び、編集して、切り取り、貼り付け、 劇のリハーサルのプロセスが終わり、作曲家が公演に招かれた。 私はルームメートにくっついて、招待券をもらって行った。 観劇と言う行為そのものは久し振りで、いろいろ考えさせられた。 音楽から少し離れて、全く別の表現方法に触れ、触発された。 特にイザべラのジレンマには共感して、涙が出た。 しかし、脚色、解釈にすごく疑問が残り、私は公演前に、作曲家たちと共に監督に会っていたのだが、 帰り際にどうしても、他の友達の様に「素晴らしい公演でした」とか、お世辞を言うことができなかった。 それから、もう一つ疑問に思ったことは、音楽の使い方である。 この劇の為に曲を供給する、というプロジェクトに、はじめから作曲家たちは疑問を抱いていた。 これは本当に勉強になっているのか、もしかしてただ働きで利用されているだけじゃないか? それでも頑張って、書き上げた曲が2秒とか、3秒とか、長くて15秒位に細切れにされて、 舞台設定を変える時とか、幕と幕の間に何となく流される。 作曲家たち自身は(こんなものだろう)、と言う感じで別に何とも感じていなかったようだし、 劇の始まる前に監督から観客に「今日の劇の音楽を提供してくれた作曲家たちです」 と紹介してもらって、嬉しかったようだ。プログラムにちゃんと名前も載っていたし。 でも、私はこの為に私のルームメートは一週間追われまくっていたのかなあ、とちょっと思った。 「あ、そういえばマキちゃんのCD、結婚式の時に流したよ」とか、 「自分の教えている小学校の劇のBGMに使った」とか、事後報告を受けることが時々在る。 一瞬嬉しくって、その後に(う~ん、厳密には著作権の問題がちょっとあるなあ)と思う。 著作権と言うのは、とても不思議なものだ。 実際には仕事は終わっているのだが、仕事の結果が誰かの役に立つと、またお金が入ってくる。 それで不当と思えるほどのお金をもうけている人もいる。 でも、その昔、モーツァルトとかの時代には、他の人のテーマを自分の曲に使うことは 「あなたの曲があまりによかったので、自分の曲に取り入れました」 と言う、敬意を表する行為だったそうだ。 なんだか、それで良い様な気もする。 私はお金が欲しかったら、音楽家にはなっていない。 お金をなってもならなくても弾き続けるし、 どうせやるなら、なるたけ沢山の人に聞いてもらった方が良い。 例えそれが、細切れでも、自分の全く意図しない使われ方をしていたとしても。 そういう意味では、やはり今日は作曲家たちは嬉しかったのかもしれない。