第三章「超越精神の暗譜」を金曜サスペンスドラマ風に
最近書き終わった最終章(第三章「精神超越の暗譜:頭で覚える」)を金曜サスペンスドラマ方程式に沿って組み直してみよう。 1.まず1837年にクララ・シューマン(1819-1896)がベルリンでベートーヴェン作曲「熱情」のソナタ全三楽章を暗譜で行った。この演奏は暗譜の歴史に良く「公開演奏に於ける最初の暗譜の例」として引き合いに出される。しかしクララは実は8歳で神童デビューする前からすでに暗譜は施された教育の一部であり(第一章で言及)、その後の演奏は全て暗譜で行われていたと理解して良い。さらに「熱情」は1835年からレパートリーに入っていた。つまりクララの個人的演奏キャリアに於いても、さらにピアノの演奏様式の歴史に於いても(第一章・第二章で言及)、この1837年のベルリンの「熱情」は全然、『最初の演奏』なんかじゃなかったのである。 2.この頃ドイツではカントが提唱した「個人が主観的に体験する世界と、客観的な現実の世界の間にはギャップがある」と言う概念が思想革命を起こしていた。(ちゅんちゅん) カントとカントに続く哲学者(ヘーゲル、ショーペンハウアー、など)は、個人が自分の主観を超越し、客観的現実を垣間見ることができるのは抽象化された美に対する無私な静観によってのみ可能だ、とした。歌詞の無い楽器音楽、そしてその中でもタイトルなどではっきりとしたテーマが提示されない「絶対音楽」は、その抽象性の高さのために、「超越」の手段としては最高だとされた。これを受け、さらに「絶対音楽」の抽象性を高めるべく起こったのが「形式主義」と「演奏会の儀式化」「ベートーヴェンの神聖化」「音楽体験から視覚的要素(演奏家を含む)の排除」の4つである。これらが「なぜクララの1837年の『熱情』の暗譜演奏が歴史的重要性を持ったのか」と言う問いに応えるヒントをくれる。 3.なぜ、クララの1837年の『熱情』の暗譜演奏はここまでの歴史的重要性を課されたのか。 ークララは「熱情」は何度もすでに演奏していたが、全楽章を通した演奏は初めてだった。実際この時代、全楽章通した演奏は少なかった。そして全楽章を通した演奏は同じ年に出版された音楽楽理者、A.B.Marxの「形式主義」の考えと通じていた。 「形式主義」とはこうである。音楽では内容(物語、とか絵画の対象である裸体とか静物、等と言うはっきりとした対象)が無い。「音楽の内容はその形式である」と言う、さらに抽象的な概念が出てくる。「形式主義(Formalism)]と言う考え方は、野の君に言わせると「幕の内弁当は、鳥のから揚げがお刺身になっても幕の内弁当は幕の内弁当」と言う事だそうである。私にはいまだに良く分からん。が、この考え方のために「細部を理解するためには全体像の理解が必要」と言う考え方が提唱された。この考え方では全楽章を通した演奏が必須なだけではなく、曲を一回聞いただけではその曲の理解は無理だ、とする。のちにクララが「クラシックレパートリーの固定化」の第一役者となったことと、この『熱情』演奏の重要性とは無関係では無いかも知れない(この形式主義の「細部を理解するためには全体像の把握が不可欠と言う考え方では暗譜も不可欠になる。) ー音楽の構築を理解し、一音一音全体像を再現して行くピアニスト像にクララが適当なキャラだった。クララの1837年の『熱情』を歴史的一大事としたのは、歴史家たちである。そしてクララの歴史的重要性と言うのは、第一に作曲家ロバート・シューマンの妻であり、理解者とシューマンのピアノ作品の奏者・教師としてである。作曲家ロバートとピアニストクララの結婚は当時の音楽界では理想とされていた。創造者である夫の作品を忠実に再現し世に広める妻クララと言う構図が、音楽でも結婚でも理想だとされたのである。ベートーヴェンは音楽を男性化した作曲家、と言われている。「男の中の男」ベートーヴェンの作品を再現する処女のクララ(当時18歳)と言う構図は、クララとロバートの結婚と同じくらい受けたのではないか。 この背景に、「美術」と言う概念が1735年に確立されていることがある。 「美術」とは現実用途を放棄し、「美」の追求に専念する芸術の分野と言う意味で、絵画・彫刻・建築(これが私には分からん)・詩に続き、音楽も入る。ここに入ったことで音楽は「作品」と言う概念が必要になる。それまでは演奏されて初めて存在するイベント性を併せ持った演奏分野だった「音楽」が、作曲家に作曲されたら一度も演奏されなくても存在する「作品」となる。この作品は美術館に展示された絵画の様に永久に変わることが在ってはいけない。故に、演奏者はその絵画を精密に複製するように、一音も変えることも足すことも無く、楽譜を作曲家の意図に忠実に完全復元することが良しとされるようになる(Werktreueと言う概念です)。(Werktreueでもやはり、暗譜の方が理に適っている。楽譜は音楽の形としては不完全である。楽譜だけでなく、楽譜の背景にある作曲家の意図を組んで演奏するためには楽譜は暗譜して排除するところまで読み込まないといけない。) 「音楽」と言う「美術」を美術館で絵画を鑑賞するように崇めるために、演奏会が儀式化される。儀式とは何か。儀式とは「複雑な宗教、あるいは社会的概念を広く伝達するために行われる、参加者全員が意識的に行う、それ自体には意味が無い行為」である。この用途「複雑な宗教、あるいは社会的概念を広く伝達するため」をより効果的に行うために二つのモデルがある。(Whitehouseと言う認知心理学者が提唱)。一つは頻度を多く行う物。最低週一で行い、多い時は一日に何度も行う。(例えば、この定義によると「いただきます」は儀式である)これはルーティーンになり、感情は伴わなくなるが、何度も行う事でその意義を問う事を余技なくし、参加者は理解をもって儀式を通じてメッセージを伝達する。もう一つは頻度が非常に少ないが、感情的あるいは肉体的な苦痛か快楽を伴う物。(例えば大人になるための通過儀礼や結婚式など)一生に一回であることが多い。この場合はトラウマ(あるいは快楽の記憶)と、その希少価値が、参加者にその体験を反芻させる結果となり、そのために概念の伝達が達成する。 私はここで、「19世紀に於ける音楽とはこの後者のモデル(頻度が少なく、トラウマを伴う)の儀式に乗っ取って、ドイツ ロマン派理想主義のメッセージ伝達の役割を請け負った、そしてそのトラウマ(あるいは快楽)とは、すなわちベートーヴェンである!!」と宣言する。 ー1837年のクララの演奏は神聖化されたベートーヴェンの作品だった。 ベートーヴェンは今でも「楽聖」と呼ばれたりする。実際には師事していたハイドンに出された対位法の宿題が間違えだらけだったり、駆け出しの頃自分の作品に対する批評に腹を立て「もっと良い評を出さないとお前の雑誌をスポンサーしている出版社から自分の作品を出版させないぞ」とゆすったりして、結構ずっこけキャラだったところもあるみたいなベートーヴェンだが、このベートーヴェンを半ば強引に神聖化させたのは、ウィーンの旧貴族階級である、と言う研究発表がある。経済的にも政治的にも衰退していたこの階層は、文化面でエリートとして権威を誇示することで、自分たちのプライドと社会的メンツを保とうとした。さらに、ドイツは政治・経済・工業の面で他のヨーロッパの国々に劣っていたがウィーンの旧貴族階級と同じく、文化面での優勢を誇示し、「自分たちは精神性に優れているので、物欲が無いのだ!」と言ってメンツを保った。この全てが高じて、ベートーヴェンの神聖としての地位が確立した。ベートーヴェンにはドイツと、ウィーンの旧貴族のプライドがかかっていたのだ。「難しかろう、良かろう」の背景には、カントに始まるドイツ観念論と、それを受けたもある。 こういうプレッシャーを受けて、ベートーヴェンのイメージと言うのは「英雄」化されていく。さらに彼の作品も「英雄」風であるし、「英雄」的なテーマは伝記的逸話も多い。ベートーヴェンはその理論的難しさ、演奏に要求される肉体性、超絶的な大きさ(音が多い、音が大きい、曲が長い、など)全てに於いて男性的とされた。そして「美」よりも「崇高」を大事にし、時には苦痛を伴うような不協和音や、それまでの音楽的常識を覆すような音楽の概念に対する挑戦を生涯続けた。(こういうベートーヴェンの音楽は勿論、暗譜するまで練習しなきゃ理解も演奏も出来なかったりする) ーその男性的なベートーヴェンを18歳の乙女であるクララが演奏した。 当時の女性蔑視は私たちには想像が及ばないほど浸透している。その中で、後に100ドイツマルクの紙幣に自分の肖像を乗っけるに至ったクララ・シューマンと言う女性は本当にすごいピアニスト、そして人物だったのだろう。そして1837年の『熱情』の演奏も評論の絶賛振りなどから見るに、すごかったのだと思う。しかし、その中には「チャーミング」などと言ういかにも女性だけに使われる形容が選曲に無関係にふんだんに使われていることや、「無意識の中で鍵盤に指を滑らせ」などと言う霊媒の様な描写など、女性蔑視の溝の深さを思い知る。 男性的なベートーヴェンを演奏する女性は1837年の時点では少なかった。しかし、子供は大人には無い勘があると理解されており、クララはまだ18歳ーぎりぎり子供だった。さらに、クララは『神聖な儀式を司る女祭司」と言った形容を良く受け、自分も黒っぽいドレスばかり着て演奏していた。当時、演奏家や演奏のプロセスを「音楽」と言う概念から排除する動きが出ていた。その一環として奏者を隠す、と言う物が在った。ステージのカーテンをおろしてしまったり、ピットが絶対に客席から見えないように建築設計をしたりするのである。音楽は神聖な物であるのに、その神聖な音楽を体現化するために汗をかいている演奏家が見えては興ざめする、と言う事である。その中で自分を霊媒化することは特にベートーヴェンを演奏する女流演奏家としては必要だったのだ。霊媒が楽譜を読んでいては、それこそ興ざめである。 4.クララの1837年の『熱情』の暗譜演奏は、暗譜で行わなければここまでの歴史的重要性を課されることは無かった。暗譜と言うのが「形式主義」「演奏会の儀式化」「ベートーヴェンの神聖化」「音楽体験から視覚的要素を排除」と言う4つの要素全てに叶っている、と言う事は私の博士論文によって立証された。(第三章・終わり)
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