音楽

今日三つ嬉しかった事。

一つ目。 タングルウッドに研修生として来ている日本人で、すでにとても素晴らしく、かつ幅広く活躍している指揮者の原田慶太楼君に、私の指揮のヴィデオを見てもらってコメントをしてもらった事。メールで画像を送ってから返事が来るまで気が気で無かったのですが、忙しいスケジュールの中、昨日の夜遅く、びっしりとコメントを書き出して送って来てくれました。一般的な「上手」「下手」では無く、「ここはこうした方が良い」「ここはこうしたら演奏者に伝わりにくい」「ここはこうだから間違っている」と言った本当に親身なコメントで、私は多いに励まされ、また(もっと勉強したい、もっとうまくなりたい)と言う勇気をもらいました。 二つ目。 今度弾く"Traces"と言う曲の作曲家Augusta Read-Thomasから、昨日のセッションの御礼のメールが来ていた事。「これからOUR(私たち)のTracesを創り上げるのを楽しみにしています。」と書いてあって本当に嬉しかった。作曲家がまだ生きて居る現代曲でも、作曲家は「楽譜にもう全て託したので、書いてある事を忠実に再現して下さい」と放任主義(その代わり楽譜そのものはコンピューターに音楽そのものをインプットしようとしているかのように細かい。一音、一音に強弱記号や、スタッカート、テヌートなど、色々な指示が付いていたりする)の作曲家もいる中で、彼女は私の為にわざわざ出向いて、私の細かい指摘や疑問に誠実な興味を持って一緒に曲に取り組んでくれます。私の意見を聞き入れて、時には楽譜を書き換えたりしてくれて、私にとっては本当に新鮮な喜びです。昨日のセッションの後考えていたのですが、曲と言うのは、作曲家にとっては子供の様なものと思うけれど、演奏家にとっては愛人の様なもので、両方とも曲そのものをとても影響するし、曲からも影響されるのだけれど、それは全く別の立場からで、でもその曲との関係においてで。。。兎に角、OUR Tracesと言ってもらえて本当に嬉しかった。 三つ目。 今日はボストン交響楽団の演奏会を聞きに行きました。ストラヴィンスキ―の”Symphony of Psalms"と言う、昔指揮の勉強の為にやった事が在る曲と、私の大好きなモーツァルトのレクイエム!それだけでも嬉しかったのですが、演奏会の休憩時に見覚えの無い電話番号から電話がかかって来て、それが何と三年くらい連絡が取れなかった友達だったのです!私がコルバーンに行ったばかりの頃ヴァイオリン専攻だった女の子で、とてもユニークな子で、ある日突然コルバーンを辞めて「作曲家になる」と宣言し、それまでの友達とほとんど完全に連絡を経ってしまったのです。しかし、タングルウッドに演奏会を聞きに来ていて、これからの演奏会案内に私の名前を見つけ、電話をかけてくれたのです。物凄く嬉しかった。同じコルバーン出身のライアンと一緒に抱き合って再会を喜びました。作曲家として精力的に活動しているようで、それも嬉しいです。その子は休憩の後またす~っと居なくなってしまいました。とても変わった子で、凄く面白くて私は大好きです。

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You don't have to build a house everyday

毎日、ぎっしり充実しています。 やる事が沢山在りすぎて、ちょっと寝不足なので、今日は手短に、でもここ数日(どうしても書き留めとかなくちゃ)と思った事を書きます。それは、Phyllis Curtainと言う今年92歳のアメリカの伝説的ソプラノで、タングルウッドで教えている人が言った事です。"You don’t have to build a house everyday (毎日自分の住処を新しく作る必要は無い)”。どう言う意味かと言うと、演奏している時、練習している時、どうしても基本的な事から不安になりがちですが、ここまで来た道のり、積み重ねてきた訓練、そして自分の勘(才能)を信じて、気を楽にし、その自信の上に演奏を載せなさい、と言う意味です。 明日もぎっしり充実!

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蘭学事始

杉田玄白と言う人は、本当にエライ!アルファベット26文字を何とか知っている程度の所で40歳でオランダ語の医学書を訳そうと仲間と一緒に思い立って、4年かけて成し遂げたんだから、本当に凄い! 。。。と今、私が絶賛するのは、タングルウッドで演奏予定の現代曲を譜読み中だからです。 何が何だかわからん!きっと今の私の気持ちは杉田玄白と同じはず。 指示が細かい!(一つ一つの音ほとんど全てに強弱、速度、時には「ジャズっぽく」などの指示が在る) そしてテンポ指定が速い! そして和音が分からん! あ~~~~~!!! この曲にはもう二日半かかりっきりですが、(本当に弾くことが可能なのか、この曲?)と言う様なパッセージも在ります。一小節ずつ、一和音ずつ解読しよう、と頑張っているのですが... でも、だめだめ、ポジティブ思考、ポジティブ思考。 段々パターンが見えて来ては居ます。(あ、この和音、前にも出てきたぞ) (あ、ここの音形は二小節前と同じだ) (ああ、この和音進行は割と奇麗だ) (ああ、ここはこの指使いで弾けば簡単)。 そして、信じられないことに一、二楽章は段々音楽に成って来ていることを今、発見。 大丈夫、大丈夫。

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調律師とピアニストの関係について

調律師と言う人種が、私は一般的に好きである。 ピアノと言うのはその西洋音楽の楽器としては飛び抜けて精巧なメカニズムによって成っている。 その製作、修理、そしてメインテナンスを受け持つピアノ技術師(英語ではpiano technician)には エンジニア、職人、そして伝統芸術家の全ての要素が備わっている人でなければなれないと思う。 しかも修行期間、下積み期間が普通の職業に比べて長い(ピアニストよりは短いかもしれないけど)。 そして割と需要が大きそうなこの職業なのに、ピアノが好きで、音楽が好きで、 儲けを度外視してお仕事してしまい、結局余りお金持ちになれる人が少ない。 そう言うこと全部ひっくるめて、私は調律師一般に共感するし、好感を持つし、友達も多い。 でも実は、少なくとも今日、演奏会場において、技術者と演奏者の接点と言うのはとても少ないのである。 私は演奏会と言うものは共同製作だと思っている。 企画する人、広報の人、当日裏方をしてくれる人、聴衆、そして演奏家。 皆が集まって、音楽を通じて2時間の時空を共感すべく、力を合わせて製作するイベント。 もっと大きく言えばその日の曲の作曲家、ホールの設計をした建築家、音響のデザインをした人、 そして今までこの西洋音楽を今日、私に至るまで継承して来てくれた人たち全ても 間接的にその日、その音楽の共同製作に携わっていると思う。 そんな中で調律師と言うのはピアノの音を整備する、演奏により直接関わっている、 ピアニストにとってはほとんど共演者と言っても良い存在だと思う。 それなのに、技術者と言うのは演奏者が会場入りする前に仕事を終える。 アメリカでは演奏者が会場入りする頃にはとっくに立ち去っている技術者が多い。 日本では技術者が調律を終える頃ピアニストが会場入りして、 10分ほどピアノの確認に立ち在ってもらったりするが、 技術者が演奏会に残って聞いてくれることは例外的だ。 私は「技術者=共演者」と言う意識を持っているので、演奏前に技術者と話す機会が在れば、 そのピアノの音色の由縁、どうしたらホールの音響、このピアノの性格、その日の天候に対応して より良い音楽を与えられた状況・楽器から引き出せるか意見を求めたり 楽器に不都合な点が在れば改良が可能か、尋ねたりする。 クレームを付けるのとは違って、私にだって個性が在るし、 私がそれぞれの演奏会場やピアノの状況からベストを引き出したいのと同じに、 可能ならば私のベストを引き出せる物をピアノが提供してくれることを望むからだ。 でも、技術者とそう言う対話をするピアニストは、私の友達によると少ないらしい。 自分の専門の「弾く」と言うことに専念する為だろうか? 技術者を絶対的に信頼するからだろうか? 私は皆で関わったほうが面白いし、満足感も大きいと思うのだけれど。 一般的にピアニストは自分の楽器のことを一番よく知らない楽器奏者だと思う。 ピアノが複雑な楽器だ、と言うせいもあるが、そう言う態度が今まで継承されてきた、と思う。 それは一部、ピアノはアマチュアが多く弾く楽器だから、と言うことが無いだろうか? でも、プロとして、私は自分の音楽をさらに極めるためには、もっと自分の楽器を知ること、 そして自分の楽器を一番良く知っている技術者に助けを求めるのは、必要な様な気がする。 今度、ピアノの調律を習ってみようかなあ、とか考えている。

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先生の叱責

毎週火曜日の夜はプレイング・クラス(playing class)が在る。 楽器ごとのグループで集まって、同じ楽器奏者の前で練習の成果を発表し、お互い意見し合ったり、先生の指示を皆で見学したりする。一昨日のピアノのクラスでは、新入生で彼女にとってコルバーン初のリサイタルを今週末に控えている女の子がコレグリアーノのエチュード・ファンタジーを披露した。 「この曲はとても効果的な曲で、特にコンクールで色々な人が弾くけれど、一つ問題はどうしてもピアノを調律を狂わせてしまうことだ。特にミのフラットとラのフラットが狂いやすい。なるたけ調律を狂わせないように、努力して弾きなさい」との先生のイントロに、クラスが皆笑った。 確かに凄い力で一つの音を連打したりする。その子は渾身こめて、初めての通し稽古とは思わない程素晴らしい演奏をしたけど、演奏を通じて、ピアノはどんどん調律が狂って行った。終わって、満足げでちょっと得意げなその子に対して、先生がコメントする。 「五楽章は素晴らしかった。幻想的に、良く弾けていた。全体的にもとても良かったよ。ところで、調律に関して、私が冗談を言っていると思った?」 ここで突然先生の声音が変わった。 「私はこういうことでは絶対に冗談を言わない。覚えておきなさい。」 「ピアノと言う楽器は楽譜に何と書いてあっても、在る程度以上の力をかけて鍵盤を叩くと調律が狂う。一度調律が狂った音は響きを無くし、それ以降はどんなタッチで弾いても醜い音しか出さなくなる。どんなに大きな音がほしい時でも、鍵盤のアプローチにはある程度の弾みを持たせなければいけない。肩から力を込めてまっすぐに鍵盤を力任せに押しては、絶対に、絶対にいけない!」 クラス中がシーンとなった。先生は時々こういう風に爆発する。デモ今回の場合、爆発には教訓が在って、この場に居合わせた子は皆一生このことは忘れないだろう。 私もこのごろこの爆発に近いものをレッスン中に受けた。5月の日本でのリサイタルで弾く、ショパンの幻想曲をレッスンに持って行った時だ。先生は私がもうすぐ卒業するので、褒めるのにも、教えるのにもかなり感情的で、かなり大げさだ。「君のテクニックは凄い。君の指さばきは私が今まで教えた生徒の中でも1位、2位だ。」と一しきり褒めた後、「でも、君は指が器用に動き過ぎるせいで、指以外で弾くべき時にも指先で全てを解決しようとする」と、突然怒り出した。「例えば和音。君のはいつも全ての音が同時に鳴ってそれは素晴らしい。尊敬に値する。しかし、それを指先だけでこなしているから、機械的に聞こえる。指先はお腹の底にあるリズム感、そして感情から一番遠いところにある。もっと腕を、背中を、腰を、身体の重心を全てかけて弾いてみなさい」 そこで急に怒り出すのはちょっと理不尽だと思ったけれど、その後のレッスンは素晴らしいものだったし、この時のことはそのレッスンの後一週間毎日私の練習を影響している。これからも何年も覚えているだろう。

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