コンピューターの時間

ヒューストンに来る直前に読んだニューヨーク・タイムズで、心理学者、神経科学者、社会学者などが集まって5日間ほどキャンプをし、携帯やインターネット無しの生活がどういう影響を及ぼすか『実験』すると言う記事が一面に写真入りで載った。何だかのんびりした記事に思えたが、デモ実は結構深刻なトピックなのかも知れない。 この実験に参加した学者たちは皆一日に何度となくメールや携帯をチェックする「電波常用者」たちだったが、特にその中の一人は実験の主旨を理解し、同意して参加しているにも関わらず掟を破って「今大事な研究費用が下りたかどうかの瀬戸際だから」と言って、移動中も電波が届く限り際限なくメールをチェックした。そして電波が届かなくなったら何とか電波が届く場所を見つけようと努力した。しかし5日間の電波無しのキャンプ生活を終えて最後に振り返った彼は「別に研究費用が下りたか下りないか、知った所で旅の途中でどうする事も出来ないし、メールを何度もチェックする必要は無かった」と反省している。この『実験』に参加した全員が「電波無し」の五日間を経てより精神的に健康的、のびやかになった、と良い、まるで電波に支配されるかのような現代人の生活を「病的」として、定期的な電波からの休憩を奨励している。 メールを出すと、瞬時置かずに返信が来る場合がある。そうするとこちらもすぐ返信しなければ失礼な気持ちになってしまう。私はfacebook(ミクシ―に似た、ソーシャル・ネットワークのサイト)と二つのメール・アドレスを持っているので、一度コンピューターの前に座るとその三つをぐるぐるしてしまったりする。facebookに来たメッセージに返信したり、遠距離友人とのチャットに深入りしてしまったりしている間に、(ホットメールにメールが来ているかも知れない)、(一時間前に先生に出したレッスンの時間変更のメールに返信が来ているかも知れない)、とホットメールもチェックし、そうしているうちにまたfacebookが気になって(友達から今度の夕飯の時間に付いての返信が来ているかも知れない)ぐるぐるしてしまうのだ。一日何度となくメールをチェックしてしまったりする。こうなるとどっちが本業か分からない。コンピューターか、音楽か。 インターネットには感謝しているのだ。アメリカに単独で住んでいる日本人としては、家族や日本の知人・友人と簡単に連絡が取れるのは実に嬉しいし、メールが来るのは毎回嬉しい。ただ、どうやって一番有効に、かつ自分の他の活動に食い込む事無くこのテクノロジーを使いこなすか、ちょっと思考錯誤しているのだ。コンピュータによる眼の疲労、そして神経の覚醒作用と言うのも、馬鹿にならない日常的影響を私たちに及ぼしていると思う。 この何年か、夜寝る前に必ずメールをチェックし、朝起きて一番にコンピューターの電源を入れていた。それを辞めようと思うのだ。コンピューターは一日一時間半に制限してみよう。どうだろうか?出来るだろうか? と、インターネットで声を大にするのは、可笑しいだろうか?

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