ヒンデミットの「白鳥を焼く男」

来る11月9日に指揮をするヒンデミット作曲「白鳥を焼く男」を猛勉強中。自身も超絶技巧のヴィオラ奏者だったヒンデミットが書いた三つ目のヴィオラ協奏曲である。 一曲指揮するのに、こんなに時間かけて勉強してるなんて、本業の指揮者は一体どうやって2時間のプログラムの曲目の勉強を毎週こなすんだろう、とちょっと自分が歯がゆい気もするが、こうやって一生懸命勉強するのは中々楽しいものである。 この曲は歴史的背景も中々面白い。 1935年に書かれているのだが、これはヒンデミットがナチスに糾弾され(知らなかったのだが、ナチスもスターリンと同じ様に『音楽は不協和音を少なく、一般人に心地よい様に ―前衛的なものは取り締まる』と言うスタンスを取っていた模様)、ドイツでの演奏会がどんどん減らされてやむなく外国に演奏の場を求め始めている時に当たる。1936年にヒンデミットの曲はドイツでは演奏禁止になり、彼は最終的にアメリカに移住するのだが、この曲はその前の話。 35年にJoseph Goebbelsと言うナチスの一員が公共で行ったスピーチの中でヒンデミットを糾弾している物が今私の手元に在る。「ヒンデミットはドイツ人であるが、だからなおさらユダヤ人のエリートがいかにドイツ国民の思想をむしばんでいるか、と言う証拠になると言えよう」。さらに、ヒンデミットの妻はユダヤ人だったという事情もヒンデミットの立場を難しくしただろう。 「白鳥を焼く男」と言うのは何だかショッキングなタイトルだが、由来はヒンデミットがこの曲に取り入れた四つのドイツの中世時代の歌のタイトルである。一楽章には「山と深い谷の合間に」、二楽章には「緑に育て、菩提樹の木」とそれからフーガの主題として「垣根に座ったかっこう鳥」、そして三楽章にタイトルトなる「白鳥を焼く男」と言う歌を使っているのだ。ヒンデミットが選んだこの4つの歌の歌詞にこの時のヒンデミットの心情を反映して読み込む人は多い。例えば、「緑に育て、菩提樹の木」と言うのは別れなければいけない恋人の歌だが、その歌詞に在る「もう耐えられない」と言う所のメロディーと、「悲嘆にくれる日」と言う所だけが、楽章の最後にヴィオラのソロで思わせぶりに出てくる。それから一楽章の「山と深い谷の合間に」は恋人を後に残して、山と深い谷間の合間にある「自由の道」を歩いて行く、と言う歌である。この恋人を「祖国」と読むのだ。 さらに、ヒンデミットが残した短い「前書き」も意味深である。「中世時代に沢山いた旅周りの音楽家が、異国から来て幸せにたむろす町の人々の前で演奏する。彼の出身地の歌は悲しい物も在れば、楽しい物もある。彼は技の限りを尽くして、このメロディーに装飾をして演奏して聴かせる」と言う前書きである。 勉強し過ぎると頭がくるくるしてくる。私はどうも根詰め過ぎな様な気がする。もっと色々なものを一定の時間ずつやれば、気分転換になって効率が良い様な気もするのが、一つの事を始めるとどんどん掘り下げたくなってしまう。そして最後にぐったりくたびれて、一つのプロジェクトは必要以上に仕上げても、他のプロジェクトが手つかず、と言う状態になってしまうのだ。それに一つのプロジェクトに集中し過ぎると、細部にとらわれ過ぎて全体像が見えなくなってしまったりする。 反省、反省。

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