フランス映画『Amour』を見ました。
今週末はオスカー賞。 その年の映画に色々な賞が与えられる毎年恒例のビッグイベントで、 好きな人は集まって「オスカー賞パーティー」なるものを開き、 参加する候補者などのファッションを批評したり、 どの映画がどの賞を取るか予測しあったりして楽しむ。 私はロサンジェルスに4年間住んでたにも関わらず、 そしてNYでもLAでも映画関係の仕事をしたり夢を追ったりしている人たちと多く知り合ったにも関わらず、 あまりこう言うのには興味が無いのだが、 今回主演女優賞(オスカー史上最高齢!)を始め色々候補に挙がった『Amour』には興味があった。 理由の一つにはNY Timesの音楽評論家、Anthony Tommasiniの結構話題になった12月31日付けの記事「Playing by Heart, with or without the Score」が在る。『Amour』は老いたピアノ教師とその夫の話なのだが、Alexandre Tharaudと言う若いフランス人ピアニストが実名で主人公の生徒を演じている。実際にもそうなのだが、この主人公の生徒もデビューしたてだがすでに前途有望なキャリアで忙しく活躍中。脳梗塞で半身麻痺となった昔の教師を訪ねるシーンで、「12の時に教わったベートーヴェンのバガテルを弾いて」とせがまれて「もうあの曲は随分長いこと弾いていないし、ちゃんと覚えているか…」と躊躇するも、老いの激しい恩師の頼みを断りきれず、結局完璧な演奏をする。Tommasiniはここで疑問を提示する。「元ピアノ教師で、背景の本棚にも楽譜がぎっしり。なぜこの状況設定でで暗譜なのか」。Tommasiniの記事はこの後、このAlexadre Tharaudと言うピアニストがNYでのカーネギーホールデビューの際、楽譜を使ったこと(暗譜で演奏しなかった)。しかも、そのことが批評に全く書かれなかったことに発展し、さらにEmanuel Ax,Richard Goodeと言った、高名なピアニストがこの頃大きな舞台で次々と楽譜を使って演奏していることに言及し、暗譜の効用を疑問視している。 映画は思ったよりもさらに重い物だった。女主人公が元ピアノ教師だったことは映画の流れにはほとんど関係ない位の詳細で、テーマは老いと、人生を寄り添った夫婦がいかに尊厳を持ってその夫婦関係の幕を閉じるか、と言う問題。女主人公は脳梗塞を患い、半身不随になり、それがきっかけで痴呆、そして段々弱っていく。彼女の夫は最初の脳梗塞の手術から退院して来た女主人公の「もう絶対入院させないで」と言う主人公の頼みを最後まで守り、通いの看護婦の助けを借りながら、全ての看護を自分で請け負う。まだ意識がはっきりしている時、病態の発展を悲観して主人公が尊厳死をほのめかしても、「君は私に気遣っているだけだ。でも、立場が逆だったら、君は絶対私を同じように看護した」と、はねつける。看護も忍耐強く、隣人に賞賛されるほど。表面的にはだから、「Amour」なのだ、と思う。でも、夫は主人公が夫の生活の一部始終の助けを必要とするのと同じ比例で、彼女から必要とされることを必要としていたのでは無いか。看護の苦労を知らないから言える戯言かも知れない。 極限まで音楽の使用を最小限に抑えてある映画だった。淡々と日常の詳細を丁寧に反映し続けるのだけれど、時々全く音声を切って完全な静寂を演出したり、そんな中に映画のスクリーンいっぱいに絵画を何枚も数秒ずつ映し出したりする。一シーンでは、夫が元気だった頃の妻がピアノでシューベルト(即興曲作品90-3)を弾いているところをソファに腰掛けて一人回想している。その不動の夫がそのシーンで初めて動いて、彼の後ろに位置しているステレオを止めるとき、回想していたシューベルトは実は思い出の妻の演奏では無く、生徒が送ってきた新しいデビューCDの演奏だったことを知る。そして夫のステレオの切り方は曲の途中で、ブツリと切る。シューベルトが聞こえなくなった後の静寂に、夫と共に視聴者は取り残される。 私の後ろに腰掛けていた人は泣いていたけど、私は涙がにじむ程度で、涙もろい私には珍しく泣かなかった。でも今朝起きて、まだ考えていた。壇一雄の「リツ子、その愛・その死」を思い出した。あれは私小説だし、書き手の視点から書かれているから、そう言う意味でこの映画とは全く違う。でも、この映画を見たことで「リツ子、その愛・その死」の新しい見方が出来る気がする。壇一雄は物書きとして満州に送られ、終戦後帰国して結核に冒されているリツ子と長男太郎を見出すのだった。彼があそこまで我武者羅に妻の看病と子育てに投じたのは、そうしなければ終戦の混乱と貧困の中で、自分が自分の存在価値を見失ってしまう危機を無意識の内に感じたからではないか? 相手に必要とされていることをしてあげる愛と言うのは、分かりやすい。 でも、相手を必要とすることを自分に課す愛、と言うのもあるのだと思う。
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