November 2015

歴史のあやふやさーやっぱり私は演奏家!

「The History is written by the winners(歴史は勝者によって書かれる)」 私がアメリカに来て一年目、 まだ自信を持って喋れる英語が「Where is the bathroom?」と「I’m hungry」だけだった あの中で始まった世界史の授業の最初のクラスは、この諺で始まった。 びっくりした記憶があるのは、この諺を理解した、と言うことだろうか? 難しい英語ではないし、 6月に渡米してサマースクールで英語で授業を受けることに慣れさせてくれた両親の采配のお陰で もしかしたら理解したのかも知れない。 この諺の意味をクラスの時間の大部分を使って生徒間で討議をさせてくれた。 その事にも、世界史の教科書が百科事典のように大きく、厚く、 日本の教科書の10倍ほど在ったことにも、 ただ、ただ、びっくりした。 真珠湾攻撃が原子爆弾投下よりも事細かに教えられるのに妙に納得したのも、 この最初の授業があったからかもしれない。 名前は忘れてしまったが、肉屋のおじさんの様な赤ら顔をした人の好い先生だった。 なぜ、こんな事を書いているか。 音楽史の文献を読みまくっているからである。 そしてびっくり。 音楽史の一般常識にはかなり事実無根の物が多い。 例えばベートーヴェン。 彼は晩年、耳が完全に聞こえなかった。 「会話帳」なるものを使って意思疎通を図っていた。 ベートーヴェンは言いた事は自分で言えるのだが、 ベートーヴェンに何か言いたい人はこの「会話帳」に書き込む。 だから、ベートーヴェンの会話の片方は全て記録されているのだ。 やった~、と思うでしょう? 違ったのである。 ベートーヴェンの秘書を務めたシンドラーと言う人、 後にベートーヴェンの伝記も書くのだが、 この人ベートーヴェンの死後、 自分の名誉のために自分の部分の会話にかなり手を加えたらしいのである。 ダメじゃん! この場合「歴史は生存者によって書かれる」ですね。 さらにリスト。 リストはどこに行ってもスーパースターで演奏会では女の人たちが感激して卒倒しまくり、 …と、言うのが一般常識。 まあ、そう言う時も在ったりしたのだが、でもそれだけでは無い。 リストは、自分をスーパースターと見せるための演出にかなり苦労している。 友達に大絶賛の批評を書かせたり、桜を使ったり、ライヴァルを蹴落とす努力をしたり… 「あまりの美貌と才能にわれ関せずでスーパースターになってしまった」のではない! もう一人のスーパースター、パガニーニは笑える。 この人は「金儲けのために興業する!」と頑張った人である。 ギャンブル癖があったせいかも知れない。 パガニーニはなんと、変装して自分の演奏会のビラ配りとかもし、 さらに演奏会の休憩時間に走ってチケット売り場に行って […]

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身近にある飢えの問題。

11月はありがたい事に毎週末、音楽的にとても大事に思う演奏会を弾くことが出来ました。 それに続いて、12月の最初の週末、金曜日の夜7時から出演する演奏会は 面白い趣向です。 入場料の代わりに、10ドル(約1200円)分の、保存食を持って来てもらうのです。 缶詰、赤ちゃん用の粉ミルク、乾燥パスタ、乾燥食品、豆、米などの穀物、など。 飢えの問題は難民キャンプやアフリカなど、遠い国の事と思いがちですが、 実はアメリカでも日本でも多いにある、見えにくいだけの現象のようです。 ヒューストンでは特に貧困は地域が限定され、 中産・上流下級とは距離があり、寄付の余裕がある人々の多くは気が付かない。 しかし、こういう地域の貧困は本当に深刻で、車を持たない人も多い。 しかし、こういう地域にはスーパーも2キロ半径に無く、 ヒューストンの公共交通機関はあまりにも頼りなく、 買うお金が無いと言う問題だけでなく、 容易に買いに行く手段がまず、無かったりする。 今度のコンサートで集める食料品は全てTarget Hungerと言うNPOに寄付されます。 このNPOはヒューストン界隈で実に3万8000人に食料品を届けるのだ、とか。 今朝初めてのリハーサルで、この演奏会を企画したトランペット奏者が語ってくれました。 私は多いに賛同! こういう演奏会に音楽を提供できることを誇りに思います。

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またもや論文、大笑い!

論文、頑張ってます。 今は、クララ・シューマンの事を書くためもあって、 音楽史解釈に於けるフェミニズムに関する本を読んでいます。 例えば、フロイドなどの心理学、特に児童心理学は 男児を対象に研究したものが多く、 男の子とお父さんの関係を研究して、 それを女の子とお母さんの関係にそのまま応用している、とか。 現代ではそんな事は無いと思いますが、それでも確かに男性中心の視点で 歴史は回ってきているのだな~と言うことを色々考えてさせてくれる本、 Gender and the Musical Canon by Marcia Citron (1993)です。 その中で今日の大笑い。 歴史的に影響力を持った人の幼児期や教育背景を考察する時、 父親の影響が主に語られ、母親について語られることが少ない。 しかし、特に女性について考えるとき、母親の影響と言うのはずっと大きいのでは? 母親の事をもっと調べよう!と提唱する下りで 「HISTORYだけでは無くHER-STORYを!」 と言う所で回りがびっくりするほど吹き出してしまいました。 ダジャレと言うのは日本語特有のユーモアだと思っていました。 英語のダジャレは初めて! しかも学術書で! いや~、論文、楽しい!

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缶詰で論文書いてました。

メシアンの「時の終わりのための四重奏」の演奏も無事終わり、 その後はずっと缶詰で論文を書いていました。 いろんな文献を読み、読むたびに開眼で、しかし読んで私の論文に関係あるのはごく一部。 暗譜の記述がある文献は本当に少ない。 まあ、当たり前かもしれない。 暗譜が始まったころはまだ即興演奏もとても多かった。 聴いている方には即興演奏か、暗譜演奏か区別がつかなかったらしい。 それに当時は曲も構造的にも和声的にも単純なものが多かったし、 一つの演奏会でソリストが担当する曲数も少なかった。 そして演奏会も聴衆がお互い会話をしたり、奏者もろくにリハーサルもしなかったり、 かなりカジュアルな、プレッシャーの少ない物だったらしい。 例えばパガニーニは当時非常な数の演奏をこなしていたが、 自分の作曲した20曲以外はほとんど演奏会では弾かず、 さらに一度の演奏会で演奏する曲は3曲ほどだったらしい。 (他にはオケの曲があったり、歌手が歌ったりしていた)。 同じ20曲を何十回もの演奏会でとっかえひっかえしていたら しようと思わなくても暗譜してしまう。 それにパガニーニの曲は技巧的には難しいかもしれないが、 曲の作りは単純だ。 私が言いたいのは、暗譜の演奏がそんなにびっくりするような偉業では無かったし、 偉業と捉えられない行為をわざわざ文献に発表する批評家もいない。 と言うことで、記録が無い、のである。 業を煮やした私は作戦を変えてみた。 19世記の盲目のピアニストについて調べてみたのである。 そしたら居た!結構居たのである! 点字を発明したのは、自身も盲目のLouis Brail(1809-1852)と言うフランス人だが、 彼はオルガン奏者、そしてチェリストでもあり、 楽譜を点字にすることもしていたのである。 そのせいか、19世紀の後半から盲目の奏者が急増している。 そしてなんとイギリスでは盲目者のための音楽学校までできているのである! Hans von Bulowと言う有名な指揮者がこの学校を訪ねている記述がある。 自分で学校の印象とか聴いた生徒の演奏の感想とかいろいろ書いているのだが、 その中で私は80人の盲目の奏者から成るオーケストラをBulowが指揮する記述を読んで 大笑いしてしまった。 自分だけでは足りず、友達にも話してまたお腹を抱えて笑った。 大指揮者だったBulowだが、 いつもの通り指揮棒を上げて演奏を始めるよう指示したら、誰も音を出さなかった。 (おお)と気が付いて、小声で「始めてください」と言った。 おかしい! またブログを書きながら笑っている。 論文を書くのも中々楽しい。

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演奏後に皆で抱き合って泣きました。

昨日の「時の終わりのための四重奏」の演奏中、 私はこんなことは本当に初めてだけれども、何回か泣きそうになってしまった。 チェリストは泣いていた。 お辞儀の時は本気で泣いてしまい、楽屋で4人で抱き合って泣いた。 「時の終わりのための四重奏」が 第二次世界大戦中にフランス兵士としてドイツの捕虜収容所に居たメシアンが 収容所の中で書いて、初演した曲だ、と言う歴史的事実と 先週のパリ、今週のマリでのテロ惨事、 そして演奏前に 「負の力に抗って創造を続ける世界の全ての人々のためにこの演奏を捧げます」 と言った事、そういう事も今回の感動の理由の一部だったかも知れないけれど でもやっぱりこの曲は部屋を一体にする、 パワフルな、祈りのような曲なんだなと実感した。 お客さんが泣いていたかどうかは分からないけれど、 ゆっくりと始まった拍手はいつまでもいつまでも続き 一人ひとり立ち上がって最後は総立ちになってくれた。 音楽家になってよかった。

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