2015

秋晴れの・朝のブログは・美しく・ヒューストンでは・師走は秋。

充実した毎日を元気に楽しく送っています。 練習、演奏、論文執筆、クリスマス関係の色々な社交… そんな中、ブログ更新が中々間遠になってしまったりします。 書いておきたいトピックは多々あるのですが… そんな中、最近のブログに書いた「美しい」を全ての選択に於いて追及する、と言う事。 http://ameblo.jp/makikochan6/entry-12103543794.html これは中々有効です。 小さい事では言葉遣い、言葉の選択、立ち居振る舞い。 もっと大きなことでは、時間、一日、一週間をどのように使うのか。 誰と、どのように時間を過ごすのか。 例えば私には思慮深い積極性は受動的な姿勢よりも美しく思えます。 それで「美しくあろう」と思うことで行動的になることができる。 正直に愚痴をこぼせる友情と言うのは美しいと思いますが、 行動や思考の伴わない愚痴に甘んじる事は、私は美しいとは思わない。 それで、愚痴をこぼしてしまった次の日は対処法を行動に移す! 食べるものの選択、食べる量の選択も、「美しさ」を追及すると簡単です。 これで、どんどん贅肉が落ちてきたのには、自分でもびっくりしています。 今までいかに、惰性で不必要に、考えなく食べて来ていたか。 ちゃんと味わって、意識して物を食べてあげる、と言う行為は美しいと思います。 最近、私のストーカー現状を気遣って 「いやな思いをしていないか」 と聞いてくださる方がありました。 この質問にどう応えるか、私はしばし熟考しました。 何を「いや」と思うかは、自分の態度次第だと思います。 態度と何にフォーカスするかと言う選択一つで、 ちょっとした困難は「いやな経験」にも「チャレンジ」にもなり得る。 私を心配してくださる気持ちは美しい。 そこを尊重・重視して、私成りに美しいと思える返事をすることで、 自分もより勇気づけられました。 私がこういう風に考えられるのは、 美しい人々に囲まれ、ストーカーと言う非常事態にありながら 沢山の友達と素晴らしいコミュニティーにサポートしてもらって、 優しい気持ちでいられるから、です。 私は本当にラッキーです。

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バランスが・大事と自覚はしながらも・私は熱血没頭タイプ。

事あるごろに(私はなんて没頭・執着・熱血型なんだ!)と感嘆する。 練習と論文をバランス良く、と朝起きたところでは思っていても、 論文始めると、一日がアッと言う間に過ぎてしまう。 練習やっているといつまでも練習したくなってしまう。 更に、メール対処で一日を始めると、一日の大部分が溜まっていたメールの返信で終わってしまう。 昨日は、ず~っとしなきゃと思っていた掃除と、衣替えとかそういう事を始めてしまった。 気分転換になるかな~と思ったのと、 2章を書いている段階で部屋中に文献が散乱し、 それはそれで2章目には丁度良い具合に2章に重要な文献が上の方に浮いてきていて 足の踏み場はどんどん減ったが、2章執筆のためには丁度良い具合だったのだが、 2章が一応終了した段階で、3章に必要な文献がどこに埋もれているか不明な状況で、 結構切実に掃除が必要だったのだ。 ところが! 掃除を始めたら、洗面台も磨きたい!キッチンシンクもごしごししたい! 溜まっていたリサイクル用のごみもきれいに整理してリサイクル場に持っていきたい! さらに風呂桶、とか机の上とか、もう一生懸命になってなんだか大掃除をしてしまい、 気が付いたら論文を書かずにレッスンを教える時間になってしまっていた。 でも! 私の部屋はとってもすっきり。 文献は完璧に整理された。 よし! 体制が万全に整いました。 これからまた、頑張ります。

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論文は・ピアノと同じで・完成は無し・上達目指して・今日も頑張る!

昨日の夜、物凄い達成感と共についに博士論文の2章目を完成した! そして今日、論文指導の先生との面会があった。 非常に適格な、アドヴァイスを沢山頂いたので、ここで覚書。 1.When ideas are big, sentences should be short. (語る概念の大きさに、文章の長さを反比例させる) 大きな概念について語る時、概念その物と概念に対する形容などを同じ文章に居れてしまうと、読者は何度もその文章を読み返して理解しようと努力する。そうするとその概念がどのように論点の後先につながっているのか忘れてしまう。分かりにくい事こそ、簡潔に言い切る。 2. Be very concise/precise on the background context to the immediately related parts. (歴史や文化の背景の描写や説明は、自分の論点に直接的に関係のあるものに限る) 例えば私は暗譜の起源を語る時、農業革命、工業革命、中産・ブルジョア階級の社会的進出、啓蒙主義、個人主義、ロマン派思想、自然主義、と言うことを全て大まかに説明してから、「音楽でも、自然主義の哲学に乗っ取って、理論では無く感覚的に楽しめる音楽が好まれるようになる。さらに、個人主義の思想に乗っ取り、一人でも演奏可能なピアノが好まれる。貴族社会崩壊、さらに農業革命と工業革命の結果としての人口の都市密集などにより中産・ブルジョア階級の社会進出、さらにそれに伴う演奏会様式の変容…」と言う風に論理を展開する。 こうなってしまう理由は、自分自身がそういう歴史的背景に対する知識が浅く、自分が発見解明していく過程をそのまま順を追って書いているからなのだが、こうすると読者は「自分は暗譜の歴史について読んでいるつもりだったのに、なぜ筆者は19世紀の社会変動について書き連ねているんだ…?」と途方に暮れてしまう。さらに「こんなこともう知ってるよ~」と言う読者も居るかもしれないし、あるいはそういう事を全然知らなくって「あんたはそう思っているかも知れないけれど、この連鎖的社会変動が歴史的絶対事実だと言う証拠はどこにあるのよ~!」と思う人も居るかも知れない。後者を満足させるだけの情報量にページ数を費やす余裕はこの博士論文では無い。そして前者の読者にはこの情報は全く不要。と、言うことでこの歴史的背景の大まかな説明は全て割愛! …と教授に言い渡されて、私は口をとんがらせてしまった。そして私の反論。 私はこの論文を書き始めるまで、こういう19世紀ヨーロッパの社会的背景について本当に知識が浅かった。私には自分の論点を展開する上で、背景について勉強する必要性があった。私の論文テーマは私と似た様な音楽教育を受けてきた人たちに需要が高い情報を提供している。彼らが読むことを想定するならば、この背景をこの論文に居れることは(学術論文的には蛇足でも)許容されても良いのじゃないか? …教授は優しい人なので、私の不満げな顔を見て、一生懸命考えたうえで、こういう提案をしてくれた。 それなら、論理展開の順番をさかさまにしてみたらどうか? 例えば、『19世紀前半の演奏会様式は(云々)だった。なぜならば背景に個人主義(あるいは自然主義、ロマン主義、云々)があったからである』 よし!これならできる。 書き直すのはちょっと面倒だし時間もかかるが、これならできるぞ~。 3. Always be clear about how each point you’re making relates to your thesis 論文に触れる全ての点と自分の最終論点との関連性をいつも明確に提示する 上の歴史的背景でもちょっと触れたが、兎に角「暗譜の起源・発展を語る上でこの情報は見逃せない!」と言うアピールを常にすることによって、読者を論理の展開に乗せて、飽きさせない。方向性をしっかりと提示することによって、読者が安心して次の文章へ読みたい気持ちを募らせるようにする。 4. Every point

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書けぬなら、美食で触発、論文執筆。

博士論文を書く作業と言うのは色々と挑戦が多い。 意外だったのは寂しさ。 (自分は何て意思が弱いんだ!どうして論文書く時間にFacebookばっかり見ちゃうんだ!) と一時期本気で嘆いていたが、 勉強パートナーが幸い見つかり、一緒に勉強するようになって一気に解決した。 時々息抜きで冗談を言い合ったりする以外は ただ隣に座ってそれぞれ文献を読んだり、激しくタイプしたりしているだけなのだが、 安心するのだろうか…スっごく捗る。ありがたい。 次に挑戦は細微にこだわりすぎるあまり、大きな論理を見失ってしまう現象。 これは自覚すること、そして論文の専門家に読んでもらって批評してもらうしかない。 そして文献のあまりの多さ。 読めば読むほど新しい見解が増えていき、自分の中でまとまりが無くなってしまう。 どこまで読めば良いのか、どこからが読み過ぎなのか、と言うことを見極める勇気が、 非常に重要だけれど、重要度に比例して中々困難。 さらに、言いたい事が決まっている時、 自分では頭の中でもう嫌と言うほど反芻した事実を、 今までそんな事思ってもみなかった読者にきちんと伝わるように筋立てて書き出す、 と言うのは、中々難しかったり、逆に簡単すぎて退屈だったり。 それを律儀にこなすのも挑戦。 こう言う挑戦の一つ一つが時々、気持ちを弱らせてしまったりする。 そういう時の一番の応援は美味しいお食事を楽しく友人と談笑しながら頂くこと。 誘われて(ああ、でも論文が…)とか思いながら、 それでも約束の時間になって無理やり外に出ると、 頭の中がもやもやして、友人を見つけた時の笑顔もいつもの半分くらいなのを 自分でも自覚したりする。 それが、メニューを読みながら色々な料理を想像していくと、段々楽しくなって来て、 ついに料理がでて、それが美味だったときに、パッともやもやが晴れて (おいし~!!!!)と一気に元気になる。 食のパワー、そしてそういう食に誘ってくれる友情のパワーは素晴らしい! 皆、いつもありがとう!

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毎週末、演奏会があるけれど、忘れちゃならぬ、長期向上

日曜の朝、起きてベッドでぐずぐず… 寒くなったせいもあるが布団の中で携帯で動画を立て続けに見たり なんとなくまったり過ごしてしまった。 一昔前の私は、目が覚めるとベッドから飛び起きて洗面もそこそこ練習室に向かっていた。 そうしないと早いもの順の練習室、自分の好きなピアノが取られてしまう! 本当に出遅れると、練習室が埋まってしまい、 空き練習室を求めて練習室の周りを巡回したり、廊下に座り込んで待つ羽目になる! 質より量で練習していた。 本当に修行の様な毎日だった。 最近の私からは想像も出来ない… 大変ありがたい事に場数を踏んで経験を積み重ねる幸運に恵まれた私は 良い意味でも悪い意味でも、演奏に向けての準備、そして演奏をする、と言うことに慣れた。 昔は寝る間も削って準備しないと怖くて演奏に臨めなかったが、 今は良い意味で度胸、悪い意味でふてぶてしさが身に付いた。 精神安定剤と言う意味で練習する必要がなくなって、 社交や勉強、そして人生経験のために時間を使えるようになったのは 音楽のためにも良い事だが、 同時に完璧さや技術の向上を求める自分に対する厳しさをもう一度見直さなくては、 と今日、ベッドの中でのぐずぐずの後に、しばし焦燥感を覚えている。 演奏の数が増え、場慣れしたとか言っておきながら、 演奏会をこなす度に、達成感から来るご褒美で自分に休息を許してしまう。 しかし演奏会が増えているので、今では一週間に一回、時にはそれ以上 自分に「休息日」を許してしまっている。 だめだ、こんなんじゃ! 博士論文のリサーチで色々な分野の沢山の論文を読んでいる内に OK Plateauと言う概念について知った。 (日本語では「OK停滞」と訳すようです。http://www.lifehacker.jp/2012/09/120926okplateau.htm) 自分の現状にある程度満足してしまい、現状維持だけで向上心をなくしてしまう状態。 私はそんなのはつまらない! 死ぬまで向上したい! 私の目標は 「死ぬまで毎日、日々のピアノの修行を通じて、 ピアニスト、音楽家、そして人間として少しずつでも上達していく」 今日からそこに「より美しくある事を追及する」を付け加える! 「美しい」と言う基準は曖昧であるけれど、同時に包括的でもある。 人道的な行為を私は、非人道的な行為よりも、美しいと思う。 筋の通った理論、自分の理論を行動に移せる決断力を全て、私は美しい、と思う。 無駄の無い効率の良さ、歯切りの良い物言い、潔い行動力も、美しい。 なぜ最近元気が無いのか、セラピストに相談したら 「記念日症候群」と言う概念について教えてくれた。 自分で意識していなくても、記念日には喪失感に襲われる、と言う現象だ。 そう言えば全く考えもしなかったが、 私が元・婚約者、現ストーカーであるサイコパスと付き合い始めたのは 丁度去年の今頃、ドンピシャである。 でも、言い訳なんて言うのは探せばいつでもいくらでも見つけられるのである。 残るのは、その時々の心理状態では無く、やったかやらなかったか、だけである。 私はちょっとした鬱なんてものは、行動を持って対処する。 寝て回復を待つ、何てことはしない。 受動的な姿勢は、私には美しく思えない。 忍耐力や辛抱強さは美しく在り得るけれど、私は能動的に忍耐する。 私は練習して、論文書いて、演奏活動を続けながら辛抱する。 さあ、気を取り直して! 今日も頑張る!

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