脳神経科学は私たちがいかに社会的動物であるかということを示してくれます。そして「個人主義」のプレッシャーが私たちの性質に反した不自然なもので、そのひずみで色々な誤解と間違えが起きたと仮定すると、方向修正の希望が見えてきます。私は、ナイーブに聞こえることを承知で言うと、音楽活動を教育・医療・社会福祉の一環とすることによってコミュニティーの連帯感を再発し、相手に自分を重ね見るという性質に基づいた博愛主義的な行動で社会の将来をより良い物にできる、と思っています。
美味しい物を食べたり、美しいものに見たり触れたり、的を得た表現に共感したり、突拍子もないことに度肝を抜かれたり...何かに反応して我を忘れるのも良いのだが、でもそういうのは一瞬で終わる事が多い。逆に目標に向かって邁進している時は何時間も没頭する。そういう時間が私にとっては人生の醍醐味。
コロナで授かったこの時間は好機でもあります。人生のど真ん中で、自分についてこんなに熟考する機会を持てる贅沢を多いに謳歌して、そのプロセスをシェアするのも、また音楽家・芸術家タイプの人生特権、そして同時に使命かな、と思うのです。
現状は受け止めるしかない。私はそういう現状を客観的に把握した上でどうやって生きていくのか。ここで今までの人生の中で私が得た確信を二つ書き出してみたいと思う。①他人が何を考えているかは絶対分からない。②過剰評価よりは過小評価されている方が自由。
幸福感とは、何ぞや。幸福感とは相対的な物では無いのか?幸福感とは一番の苦渋と一番の幸福の幅が大きければ大きいほど、凄いのではないか。だったら私は苦渋や苦労を甘受しよう。私は極端を経験したい。これからの人生で選択を迫られるときは、よりどん底と頂点の幅が広くなるであろう方を取ろう。